TRACK6 山


「久しぶりですね」

 校長先生は、卒業式の日と変わらない笑顔と優しい声で、そう言いました。

 校長室のソファは柔らかくて、気持ちよかったです。ちょうど走って疲れてたので、ソファで体を癒せて最高の気分でした。このままごろごろしてしまいたくなったので、しばらくごろごろしました。ハナちゃんはカチコチに固まってて、背筋、まるで棒切れみたいに伸びてました。当たり前です。来たことのない小学校の校長室なんて、一生行くことないでしょうから。

「今日は、どうしてこちらへ? ずいぶんと、慌てていたみたいですけど」

 ごろごろするのに夢中になって、ここに来た理由を言い忘れてました。くーちゃんはソファから体を起こして、校長先生に言いました。

「喋りたいことがあります」

「どうぞ」

「くーちゃんたちは、トンネル、探すことにしたです」

「なるほど、例の、トンネル、ですか」

 校長先生はトンネルのことを信じてくれた最初の大人です。きっとお話を分かってくれると思いました。

「ハナちゃんの絵のトンネルに、くーちゃん、呼ばれてます。だから、そこに向かうことにしたです」

 ハナちゃんに目線を送ります。ハナちゃんは相変わらず固まってたので、ハナちゃんのリュックから、貼り合わせていたトンネルの絵をくーちゃんが取り出して、校長室に広げました。少し皺がついてますが、絵の凄みや、トンネルの息吹は失われてません。

「なるほど、これはすごい……」

 ハナちゃんは、校長先生の誉め言葉が耳に入ってないのか、固まったままです。試しにツンツンつついてみましたが、微動だにしません。このまま釘を打つことも不可能ではない気がしました。

「天野さんから、トンネルの話はたびたび聞いていました。想像するだけでしたが、まさにこの絵は、天野さんの言っていたトンネルそのもののように感じます」

「くーちゃんです」

 きっと昔の習慣で、校長先生はくーちゃんのことを天野さんと呼んでしまったのでしょう。まあ、校長先生らしいと言えば、校長先生らしいですけどね。

「失礼しました、くーちゃん。で、その様子では、そちらのハナさんがどうしてこの絵を描いたか、わからない、といった感じですね」

「そうなんです。ハナちゃん、少しお話をするの、苦手なんです」

「なるほど、なるほど」

 校長先生は、じっくりとハナちゃんの絵を見つめます。

「校長先生は、あまり絵には詳しくありません。ですが、すごいエネルギーのようなものを感じます。その一方で、冷たい感じもします」

「確かに、それはくーちゃんも感じます。きっとすごい植物のとこです。ジャングルみたいな場所ですかね。パスポートのないくーちゃんがジャングルに行くの、かなり大変です。不法入国の罪、重いと聞きます」

「ええ、それはさすがの校長先生でも止めます」

 校長先生はお話を続けます。

「それに、ジャングルとは限らないでしょう。どことなく日本のような感じはします。ですが、そちらのハナさんが感じたことなので、あまり校長先生の意見は参考にならないかもしれません」

「かまいません。思いついたこと、何でも言ってください。校長先生はくーちゃんより長く生きてます。きっと素敵なアイデア、あるはずです」

 すると、校長先生は、なにかに気が付いたように、手をパンと叩きました。

「一つ、浮かびました。平地ではなく、山や森を探してみてはどうでしょうか。少なくとも、その辺に生えている木よりは、珍しい木があるかもしれません」

 山。とてもしっくり来る言葉でした。

 ハナちゃんの絵で感じたもの。それは確かに平地にあるその辺の木と、違います。となれば、もっともっと植物が集まってる場所。すなわち森か山しかありません。

「最高です校長先生! 山です! 山、行きます!」

「もちろん、正解はどうかなんてわかりません。ですが、見つかるといいですね」

 校長先生は優しくそう言ってくれました。

「気をつけて行ってきてください。山は危ないですからね。あと、あまり無茶をしないで」

「ありがとございます!」

 くーちゃんは居ても立っても居られなくて、走って校長室を出ました。途中で石化から解放されたハナちゃんが、慌てて追いかけてきました。

「廊下は走らないでください!」

 校長先生は、走るくーちゃんとハナちゃんに、そう言いました。卒業してもくーちゃんはこの学校の生徒みたいです。

 何はともあれ、くーちゃんたちは、トンネルがあるかもしれない山を探すことにしました。

「このトンネルのある山、どんな山でしょか、ハナちゃん」

 ハナちゃんは首をかしげます。それもそのはずです。ハナちゃんはこの絵について、未だに何もお話してくれません。トンネルの場所がわかってたら、最初から教えてくれるはずです。

 困ったくーちゃんたちは、ひとまず近くのバス停のベンチに座りました。

 すると、そこに大きなヒントがありました。

 路線図です。

 路線図に書かれている一番遠い場所。山に囲まれたとある田舎町でした。昔、巫女の真似事のお仕事で、その町には行ったことあります。とても高く、大きな山がそびえていたの、覚えてます。

 一つのヒントになるかもしれないと、くーちゃんは思いました。

「こういうめぐりあわせは大切です。バスであそこまで向かいましょう」

 ハナちゃんは不安そうでしたが、グっと拳を握り締めて頷きました。

 そして、くーちゃんたちは、バスが来るのをしばらく待ちました。その時でした。パトカーが、遠くの道路で信号待ちをしてたんです。くーちゃんは、パトカーにどういう人が乗ってるか、知ってます。警察です。お母さんは真面目な人です。くーちゃんがあんな、ほとんど家出同然で出かけてしまえば、通報する可能性はとても高いです。もし、通報されていて、くーちゃんの顔写真を、お母さんが提供してれば、アウトです。困ったくーちゃんに、ハナちゃんはそっと、ある物を差し出してきました。

 それは、黒縁のメガネでした。

 メガネは便利です。メガネをかけるだけで顔の雰囲気が変わります。しかもハナちゃんは用意周到でした。くーちゃんの目は、別に悪くないので、度が入ってたら困るところでしたが、度の入ってない伊達メガネなんです。

「さすがです、ハナちゃん」

 この旅立ちの企画者であるくーちゃんより、ハナちゃんは本気でした。ハナちゃんのメガネの力もあってか、信号が青になったあと、パトカーはくーちゃんたちの前を通り過ぎてくれました。

 ですが、このままメガネだけで乗り切れるかどうか、不安なところです。

「もしかしてハナちゃん、他にも使えそうな道具、持ってたりしませんか?」

 ハナちゃんが、ゆっくり頷いて、大きなリュックから取り出したのは、小さなはさみでした。ハナちゃんは震える手で、くーちゃんにはさみを差し出します。

「なるほど、さすがです、ハナちゃん。山奥でも眉毛、鼻毛の手入れ、するとゆうことですか!」

 ハナちゃんは首を横にぶんぶん振ります。どうやら違ったみたいです。ハナちゃんも年頃の女の子なので、美容的なところを気にしてるのかと思いました。

 ハナちゃんはくーちゃんへ、はさみを差し出す前に、ハナちゃんの長くて黒い髪をばっさり、そのはさみで切り落としました。落ちた髪はそのまま風に流れて、あっという間に空に消えていきます。そしてハナちゃんは、はさみを差し出してくれました。

 たしかに、髪型が変われば、一気に人の印象は変わります。くーちゃんは、肩まで伸びていた自分の髪を適当に切ろうと、はさみを開いて、後頭部に近づけます。すると、ハナちゃんは、くーちゃんの切ろうとする手をそっと握って止めました。お母さんが握ってきたときについた痕が、少しだけシみました。

「どうしたですか? ハナちゃん」

 ハナちゃんは、一度軽く頭を下げます。何かを謝ってるみたいでした。はさみを手に取って、ハナちゃんは、くーちゃんの髪を、そっと撫でながら、後ろ髪を、ちょきん、ちょきんと、器用に切ってくれました。優しい手触りで、とても温かかったです。

 髪を切った後、ハナちゃんは小さな鏡をリュックから取り出して、くーちゃんの髪の毛を、映してくれました。幼稚園の頃の、おかっぱ頭みたいです。くーちゃんの好きな髪型です。とても懐かしい気持ちになりました。それもあってか、くーちゃんは今もおかっぱです。気に入ってるです。かわいいです。

「すごくすてきです、ハナちゃん。ありがとです」

 ハナちゃんは、照れくさそうにうつむきました。ハナちゃんは、おしゃべりじゃなかったですけど、とてもやさしい女の子でした。

 たった数分で、くーちゃんたちは、ヘアーサロンハナちゃんの力と、メガネの力で、ニューくーちゃんと、ニューハナちゃんに大変身を遂げたのです。ただ、その変身の秘密を誰かにするわけにもいかないので、くーちゃんたちは、静かにバスを待ってました。

この町のバスの本数は絶望的に少ないです。一時間に一本あれば、よい方です。なので、しばらくとゆうか、かなり待ちました。ただ、退屈ではなかったです。ハナちゃんがその途中もスケッチブックに絵を描いてたので。たくさんの色を使って描いた、お昼下がりの空の絵です。ハナちゃんの空はすごいんです。絶対に青を使いません。青以外の色鉛筆をたくさん使って、カラフルな、おもちゃ箱みたいな空でした。

 ハナちゃんの絵を見ている間に、バスが到着します。幸いバスは他の交通手段と違ってお金があまりかからないので助かりました。

 乗り込んだバスはガラガラで、くーちゃんたちだけの貸し切り状態でした。今思えば、経営が続いてるの、不思議ですよね。旅の目撃者は少ないに越したこと、ないので、ラッキーでした。移動の最中、ハナちゃんはくーちゃんに、何か話しかけるわけでもなく、バス停の時と同じように、スケッチブックに、ひたすら絵を描き続けてました。それは、くーちゃんの今まで訪れてたトンネルのようなものもあれば、ただの田舎の景色だったり、花だったりと、自然についての絵が多かったの覚えてます。くーちゃん、絵のこと、からっきしなんですけど、絵が描かれる過程、見るの大好きなんです。今生きてる世界と違う世界、作られてるみたいで、旅行してる気分になります。特にハナちゃんの絵は素敵でした。見えてる世界より、たくさんの色を使って、形も変わってたりするです。散髪の時の手つきの良さ、お絵かきにも活かされてるようです。上手いね、とか。すごいね、とか。言おうかと、思ったんですけど、そんな言葉がハナちゃんの大切な時間を汚してしまうのではと思うと、不安になって、結局見てるだけなんです。すっかりくーちゃんは、ハナちゃんのファンになってしまいました。

 ハナちゃんの絵を見てると、終点には、あっという間にたどり着きました。

 くーちゃんたちが何もない田舎のバス停で降りてるのを、運転手さんは、「どちらへ?」と尋ねて来たので、くーちゃんは「行きたいところがあるので」と言いました。嘘を吐かないのは気持ちいいです。こういう時、親戚のおばさんの家へ行きますとか言っておけばもっと安全だったかもしれませんが、くーちゃんは、正直なのが、もっとーなのです。

 見たことない田舎の夜道。街灯はほとんどないので、とてもとても暗かったです。くーちゃんは目を閉じました。目を閉じても開けてもほとんど変わらないほど暗くて、今が現実なのか、夢の中なのか、わからなくなりそうでした。でも、目を閉じるとそれだけで音や匂い、よくわかるんです。

 草、土、雨の匂いが混じった、素敵な香り。体に巡ってゆくんです。もう、現実の嫌なことを考えなくて済むような、そんな気がしました。遠くに来ることが、こんなに素敵な気分になるなんて、知りませんでした。

 すると、ぴかっと何かの光が瞼の裏に当たります。思わず目を開くと、ハナちゃんが、懐中電灯を持ってました。

確かに、なにかを探すにしても、道が暗すぎてしまえば、どこに何があるのかわかりません。きちんと明かりは持っておくべきでした。さすがくーちゃんイチオシのハナちゃんです。最近は、推しとゆう言葉があるらしいですね。面白い言葉だと、思います。

 それからくーちゃんたちは、ハナちゃんの懐中電灯で道を照らして、目的地の山へ向かいました。目的地の山といっても、目の前にある木の隙間を通ってゆけば、自然と山の中へいけるんです。枝、石、足場の悪い柔らかい土。くーちゃんの大好きなものばかりでした。ずっと感じていたかった植物さんのすべてに、交われる気がしたんです。ハナちゃんの方は、何とか前方を照らしつつも、バランスを崩しながら転びそうな時もありました。時々くーちゃんは「ついてきてますかー」と言うと、ハナちゃんは、「え、あ、う、ん」と震える声で答えてくれました。ハナちゃん、あまり運動が得意じゃないみたいです。

 しばらく歩いた後、くーちゃんは、山の中で空を見上げました。木はあまり生えてない、開けた場所です。吸い込まれそうな夜空が、どこまでも広がってました。お月様が浮かんでて、ハナちゃんの懐中電灯が、いらないほど明るかったです。

「ここで、よいんじゃないでしょうか」

 くーちゃんはそう言いました。

「はあ……はあ……はっあ……う……ん」

ハナちゃんは、息、切らしながらそう返事してくれます。多分返事です。返事でしたよね? 

それに、自然の多い山を目指しましたが、別にてっぺんを目指してたわけじゃありません。だから、ここだと思ったこの場所に、くーちゃんは寝転がることにしました。

 ハナちゃんも、てっきり寝転がるのかと思ったですけど、そんな様子はありません。過ごし方は人それぞれだろうと、くーちゃんは思ったので、ハナちゃんのことは気にせず、土を頬で感じながら、息を吸って、吐きました。全身が土に溶けてゆくような感じでした。そして、山から漂う、温かさ、優しさ、冷たさ。そんなものが混じりあったトンネルに、くーちゃんはいつのまにかいたんです。ここのトンネルは悪い感じ、しません。広くて大きくて安心しますからね。

けれど、くーちゃんのことを呼んでません。

それに、ハナちゃんの描いていたトンネルと、違う色な気がしました。あの絵で感じた、さみしさも、感じません。それに、別の何かの気配もします。まるで、すでに別の人が住んでるかのような。その人の選んだ場所のような。そんな感じでした。

「ここ、違います」

 くーちゃんは目を開けて、土で汚れた顔のまま、ハナちゃんの方を見ます。月明かりにハナちゃんの、不安とワクワクの入り混じったような顔が照らされてました。

「この山、違います。くーちゃん、呼ばれてません。きっと、別の誰かの場所です。ほか、探すしかありません」

 くーちゃんはカバンから地図帳を取り出しました。月明かりのおかげで、地図帳の文字は、しっかりと読むこと、できます。

「ほかの山です。目についたところにしたの、いけなかったです。ちゃんと、選ばないと、いけません……あっ」

 くーちゃんは、とてもたいせつなことに気づきませんでした。

 この世界には、山が、とても多すぎることを。ハナちゃんの描いたトンネルに、連れて行ってくれる山がどれか、見当もつきません。

「……これは、とても困りました。なんでこんなに山、多いですか! ハナちゃん! どうゆうことですか!」

 ハナちゃんは泣きそうな顔でうつむきます。当然です。ハナちゃんに八つ当たりしても、何の解決にもなりません。

「ごめんなさい、ハナちゃん。まだ旅、始まったばかりです。喧嘩、だめですね」

 ハナちゃんはぶんぶんと首、横に振りました。とりあえずくーちゃんの失言、許されたとゆうことでしょう。夜も遅くなってたので、くーちゃんたちはそのまま寝床を探すことにしました。山の中を歩いてると、土や草が柔らかいところを見つけたので、そこを寝床にすることにしました。

「ここで夜、明かしましょう」

 ハナちゃんの方を見ると、ハナちゃんは大きなリュックから、小さく収納してた寝袋を取り出してました。代わりにくーちゃんは落ち葉を集めて、お布団にして寝ようとしてるところを、ハナちゃんはじっと見つめます。なにか言いたそうでした。

「あの、もしかして、くーちゃん、何か変なことしてますか?」

 ハナちゃんは小さく頷きます。

 ハナちゃん、いつもこうゆう時、くーちゃんが失念してることを伝えてくれます。植物さんの、トンネルの向こうへ行くにしても、健康が一番です。

 ですが、困ったことにくーちゃんは、あんな感じで飛び出してしまったため、着替えも寝る道具もありません。お情け程度に、持ってきた地図帳をお腹の上にかけてみました。でも、まだまだ寒さはくーちゃんの体温、奪っていきます。

 すると、ハナちゃんはくーちゃんに自分の寝袋を差し出してきました。けれど、それではハナちゃんも風邪をひいてしまいます。

「二人で、入りましょう」

 二人で入る寝袋はとても狭かったです。でも、ハナちゃんの汗の香りが好きで、心は落ち着きました。目を閉じると、昔、とても大切な人と行った場所を思い出します。波の音や潮の香り。おひさまが、きらきら反射してた海です。とても、懐かしい気持ちになりました。キリ組にいた時より、もっともっと昔の思い出です。どんな顔の人と行ったのか、よく覚えてません。そして、そんな海の向こう側にある島を思い浮かべました。

 その時、くーちゃんに天才的なひらめきがありました。山に、しっくりきてない理由がわかったんです。根本的に違いました。

ハナちゃんの汗のにおいと、トンネルが、つながったんです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る