TRACK5 旅

 その旅は片道切符かもしれません。トンネルの向こう側に行けば、人間のいるこっち側に戻ってこられないかもしれません。でも、そんなのくーちゃんにとって、どうでもよかったですし、くーちゃんの知っている世界を理解してくれてるハナちゃんとなら、一緒に行けるような気がしたんです。

「ハナちゃん、旅です。旅に出ましょう」

 中学生が朝っぱらからとんでもない誘いをかけてるのはわかってます。その旅がいつ終わるのかも、描かれたトンネルが見つかるのかもわかりません。でも、他に選択肢はありません。あんなわけのわからない巫女服を着て、わけのわからない儀式のようなことをして、たくさんの人たちを満足させるだけの、意味のないこと。もうしたくなかったんです。

「作戦会議、しましょう。放課後、図書室に集合してください」

 くーちゃんは勢いで動くタイプです。ですが、あてもなく旅をするのに、この日本は少し広すぎるので、計画を練る必要がありました。幸いその日の授業は短縮授業でした。お昼ちょっとすぎには放課後になります。裸足のまま上履きを履いて、授業を受けた後、くーちゃんとハナちゃんは図書室に集合しました。集合といっても、同じタイミングで教室を出て、同じタイミングで図書室に入ったので、一緒に行った、が表現としては正しいかもしれません。

「では、作戦会議です」

 ハナちゃんは、こくりと小さくうなずきます。もしかしたら、いろいろ言いたいことがあったかもしれません。ですが、拒否してる感じもなかったので、安心してくーちゃんの天才的な脳みそで考えた計画を伝えられる気がしました。

 くーちゃんは図書室にある棚から大きな地図帳を取り出します。本を開くと、日本の沢山の町の名前が地図上に書かれていました。これならばっちり。そう思いました。

「ハナちゃんの描いた、トンネルにつながってそうな植物さんのある場所、しらみつぶしに探しましょう。訪れた場所、バツマーク、つけていきます」

 それがくーちゃんの天才的なアイデアでした。

「……え」

 ハナちゃんは不安そうな顔をしてましたが、特にくーちゃんは気にしませんでした。人の顔色をうかがうのはもうやめたんです。それに、初めての旅です。不安な気持ちになるのは、仕方ないです。けど、ハナちゃんは、おどおどと泳いでいた目玉をしっかりと止め、くーちゃんの方を、じっと見てくれました。綺麗な宝石みたいな瞳でした。

「いく」

 ハナちゃんとくーちゃんの旅は、この日から始まったんです。

 作戦会議後、くーちゃんは必要なものをいらないプリントの裏側にまとめて書いた後、鞄につっこみます。ハナちゃんは、トンネルの大きな絵を、テープで後ろ側を貼り付け、折りたたんで持ち運びしやすくしてました。折り目がついているような気もしましたが、作者のハナちゃんが気にしていないのであれば、きっと大丈夫でしょう。芸術家は、そうゆうものです。そして、くーちゃんたちはそれぞれの家に帰りました。

 家には、お母さんがいないと思ってました。その日はお仕事でしたし、お休みだなんて聞いてません。だけど駐車場には、お母さんの車がありました。くーちゃんは思い出しました。お母さんとお話するのが嫌で、巫女服の説明をロクに聞かず、家を飛び出したことを。

 もしかしたら、今朝の行動が、お母さんを不安にさせて、お仕事を休ませてしまったのかもしれません。

 まずいことになりました。お母さんがいるのに、堂々と荷造りをして、トンネル探しの旅に出るだなんて、絶対にわかってくれません。これでもくーちゃんは未成年です。親の保護の元で育たなければいけないのです。とても難しい問題でした。

 くーちゃんは天才的な頭脳をフル回転させて、お母さんにばれず、旅に出る方法を考えました。まずは観察です。くーちゃんの家は、二階建てではなく、平屋のお家です。なので、くーちゃんのお部屋には、玄関から入らずとも、裏に回れば窓から入れます。よってくーちゃんは忍び足で、裏庭に回りました。幸いお母さんは、お庭にいなかったので、くーちゃんの部屋の窓まで簡単にたどり着きました。くーちゃんが窓に手をかけたとき、またアクシデントが襲いました。鍵がかかってたんです。くーちゃんは基本的に窓を開けたときの風が好きなので、あまり鍵をかけないんですけど、今回ばかりは例外だったみたいです。

困りました。ですがここで諦めるくーちゃんではありません。鍵が閉まってるのなら、壊すまでです。くーちゃんの家の庭には、小石くらいは転がってます。その辺の小石をもって、くーちゃんは鍵の取っ手近くの窓ガラスへ、思い切りぶつけました。

 ですが、予想外なことが起こりました。

 なんとお母さんは、くーちゃんの部屋の中にいたんです。中をちゃんと見ればよかったんですけど、そんなこと、考える余裕はありませんでした。

「いつからそんな不良娘になったの」

 普段優しく、くーちゃんに声をかけてくれるお母さんとは別人みたいでした。まあ、娘が窓を割ったら、大概のお母さんは、こんな顔になると思います。

「思春期ですお母さん。思春期に少年から大人に変わってるです」

「大人は鍵が開かないからって窓を割ったりしないのよ。なんで玄関から入らないの」

「お母さんの顔、見たくないからです」

 くーちゃんは嘘が嫌いですからそう言いました。ここまできたら、とことん言うしかないんです。

「……とりあえず、説明してもらいたいところなんだけど」

 くーちゃんは嘘が嫌いですが、あの巫女服を、平気な顔してもってきたお母さんに、なにかを説明したい気分にはなれません。

「説明したら、わかってくれるんですか?」

 くーちゃんは、開き直って家の中へ入ることにしました。くーちゃんは割った窓の隙間に手を入れて、鍵を明けてから中に入りました。くーちゃんは、仁王立ちのお母さんを押しのけ、旅の準備をするため、机の引き出しを開けます。中には、大量の一万円札がありました。くーちゃんのお仕事の報酬金です。使う機会がなくて、ずっと貯めてたやつです。くーちゃんは何かを数えるのが苦手なので、いくらだったか忘れました。コソコソするのは、最初から性に合わなかったので、むしろすがすがしい気分でした。

 けれど、お母さんはそういうわけにはいかなかったみたいです。

「やめて」

 くーちゃんの腕を、お母さんは強く握りました。細いけど、力強い感覚。今でも腕に残ってる気がします。

「もう、誰もいなくなってほしくないの」

 どういう意味か、わかりませんでした。

 でも、一つ思い当たったこと、あります。

 くーちゃんは、お母さんと二人暮らしなんです。

 くーちゃんには、昔もう一人、家族がいました。

 その人が、どうしてもういないのか。お母さんは言ってくれません。それに今この場で話すことでもありません。きっと、楽しい話ではないので。

 くーちゃんも、現実の世界に見切りをつけ、旅に出ようとしてます。お母さんを、本当の本当に一人にすることになりえる片道切符だと思います。

 そして、お母さんも、そのことをきっと察してたんです。

 これ以上のやりとりをしてしまうと、くーちゃんの決心が鈍るかもしれません。

 だからくーちゃんは決めました。

 力いっぱいお母さんの腕を振りほどきます。お母さんの爪の痕が、ギギッと、腕に残りました。でも、そんな痛みを気にしてはいられません。

そして、くーちゃんは叫びました。

「くーちゃん、やらなきゃいけないこと、あります!」

 お母さんを悲しませないことより、くーちゃんにとって、必要なことを優先したんです。くーちゃんはお母さんに背を向けて、札束と地図帳の入った学校のカバンを持って、ハナちゃんとの約束の場所まで向かいました。札束を制服のポケットに乱雑に突っ込み、息を切らして、どんどんくーちゃんは走ります。体育は勉強より、得意だったので、走るのはそこまで苦じゃありません。一心不乱に走ってると、待ち合わせ場所の公園には、あっという間にたどり着きました。ハナちゃんは大きなカバンを背負ってます。きっと寝袋やらいろいろな準備してきたのでしょう。もしいなかったら、どうしようかとかも考えてましたが、さすがハナちゃん。筋は通す人です。

「どどど、ど、どうし、たの」

くーちゃんが血相変えて走ってきたのを見て、ハナちゃんは戸惑った様子で言いました。

「ハナちゃん! 説明、後です! 急ぎます!」

「ど、どこ、に」

「安全で信頼できる、偉い人のとこです!」

 そして、くーちゃんは大荷物を抱えたハナちゃんを引っ張って、信頼できる、とある人のところへ向かいました。

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