小僧と敦盛

大伴やはり

無題

私がそれに出会ったのは、小学生の頃だったと記憶している。私の家は両親が共働きであり、なおかつ、一人っ子だったためよく父方の祖父母に預けられたものだった。祖父母は、特に祖父は時代劇や能、歌舞伎、小説などをよく好んでおり、まだ漢字や平仮名を習いたての私によくテレビで放送されている能や歌舞伎、狂言を自ら解説しながら見せられたものだった。今思えば、話し相手が欲しかったのではと思っている。祖父母の関係は、いわゆる熟年仕切った老夫婦であり、何も言わなくてもわかり、相手の価値観や感性も熟知し、知り尽くしたことなのだろうと思う。

祖父の趣味に付き合わされていたが、人の話を聞くのは存外好きなので、苦ではなかった。

私がそれにであったのは、祖父が「敦盛」について話してくれたことである。なんの経緯があり、なぜ話す事になったのかは一切覚えていないが、おおかた、私が何かしらの質問をしたのだろう。

「きっと敦盛は、武士である前に文化の人で、直実は父であったのだろうね」


正確ではないかもしれないが、私の記憶違いもあるかもしれない。敦盛を語る祖父の顔は今でも忘れられない。


小学生になり、一日の大半を学校で過ごす生活なり、自然と祖父母の家にも行かなくなった。けれど、読書家の祖父に影響され私も小学生にしては本を読むようになった。

5年生か6年生かどちらかのとき「平家物語」を丁寧に一言一句見落とさないように読んだ。

1週間かけて、読んだ。

生まれて初めて読んで疲れた、という感想がでた。感嘆とはこういうものなのだなと心の底から理解できた。

多く話があったが、やはり「敦盛」が一番心に残った。祖父から聞いていたということもあるが、あまりにも報われない、いや、なんと言えばよいのか、言語化できないほどの切なさと無常すぎるある種の怒りのようなものが込み上げてきたのを今でも覚えている。

中学、高校と平均よりかは読んではいたが、あれほど丁寧に読んだことはいまのところまだそんなにない。

一度だけ母と一緒に某県にある海水浴場に行ったことがある。私が平家物語の中で一番好きな「敦盛」最後の地である須磨の海ではなかったが、夕暮れの景色を今でも覚えている。須磨の海もこんなふうで、敦盛や直実もこんな風景を見たのかなと感じた。場所や時代、価値観、それらすべてあまりにも遠すぎるが、残り続けたのは今も昔も変わらぬ続く感受性と共感性の高さなのだと、私は思う。


今はまだ、須磨には行ったことはないが人生の中で必ず行ってみたいと思っている。



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小僧と敦盛 大伴やはり @makushineko

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