第36話 別れはある日突然に

人生出会いがあれば別れもある。

忍にその通告が訪れたのは、突然だった。

「えっ、派遣の契約終了…」

登録している派遣会社から通達が来た。

後日次の派遣先を決めるためにも、面談が行われた。

「産休後育休を取得されてた経理の方が復帰されるそうです。なので今の会社は来月までとなります」

「そうですか…」

いつかはその日が来ることはわかっていた。

けれど派遣されて一年近くが経ち、すっかり職場にも馴染み、周りとも良好な関係を築き上げ居心地良く働いていたこの場所をあと1か月で去らなくてはならないと思うと…

胸が張り裂けそうだった。

そして何より、密かに想いをよせる松木ともう会えなくなる。

一緒に仕事できなくなる。

それが悲しかった。


連絡を受けた後の出勤時、

「おはようございます!」

あえて元気にあいさつをした。

相変わらずほとんどの社員は打ち合わせや営業で出払っている。

事務所にいたのは松木だけだった。

「忍ちゃん、話が…」

「あ、もしかして契約終了のことですか?派遣会社から聞きました!お休みされてた方、復帰されるそうでよかったですね!」

「そうだけど…」

さみしそうな表情をみるとせつなくなるが、そんな顔をみせてくれるだけで忍は満足だった。

「残り1か月、一生懸命働きますねっ」

涙目をみられないように、パソコン画面に向き合う。


カタカタカタカタ…


話しかける隙もないくらいに早打ちをする。

事務仕事が一段落すると、給湯室へ行ってひたすら掃除した。


退社日までに事務所中をきれいにしよう。

立つ鳥跡を濁さず、みんなが気持ち良く仕事できるように。


キュッキュ、キュッキュ


モップで床をピカピカに磨き上げる。

「忍ちゃん、ちょっといいかな」

「はいー?」

お笑い芸人やす子の口調で声が裏がえる。

松木を意識している証拠だ。

「送別会したいんだけど、勤務最終日の夜空いてるかな?」

「まぁ夜に予定あることなんてほぼほぼないから大丈夫です」

「そんなこというとまた個人的に食事に誘っちゃうよ」

「えっ?」


どさくさにまぎれてなんかいってる…


カーっと、一気に赤面してしまう。

「あ、いや深い意味はなくて…そう、あの!お友達のお店おいしかったから、また行きたいなーって」

「あっ、そうですか!友人も喜びます」

「…今週末とかどうかな?」

「えっ、そんな」

急に…と尻込みしたのを、嫌だと勘違いさせてしまう。

「あっ、ごめん。無理強いは良くないよね」

「そんなことないです!いきましょう!」

「週末だけどお店空いてるかな??」

「今聞きます!」


プルルルル…


ポケットに入れてたスマホを取り出して即電。

即OK。


クックックッ…


松木はそんな忍の姿をみて笑いをこらえている。

「忍ちゃんって、時々すごい行動力発揮するよね。何するか予測不可能でみてるとおもしろいなぁ」


おもしろい…

そうか、やっぱり私は松木さんにとって

そういうキャラにうつってるのか。


ほっとするような

さみしいような


名残惜しさとともに、次の職場に対しての不安がよぎる。

ここが良過ぎて最上級なため、おそらくこれ以上のところはない。


やっていけるのかな…


一度いいものを体験してしまうと、それよりランクが低いと耐えられなくなるのが人の心というものだ。

まぁ生きていくため働かなくてはならないから、どんなところであっても辛抱しなくてはならない。

忍は、改めて腹をくくった。


他の社員達も帰ってくると、口々に忍にねぎらいの言葉をかけた。

「欠員や増員の時は声かけるから、その時はここのの社員になってね」

副社長のその言葉は、うれしかった。

仕事の場で自分を必要としてくれる人がいる。

それって社会に自分の居場所ができるようで。


正直なところ、育休中の人がこのまま退職してくれれば自分がここに残れるのに。

そんな気持ちがチラッと顔をのぞかせることもあった。

そのたびに首を振り、

いやいや、人を貶めてまで自分の利を守ろうとするなんて絶対ダメだ。

その呪いはいずれ自分に帰ってくることになるはず。

と己を律するのだった。

こういう実直さも、忍が周囲から信頼され、慕われる要因なのだろう。


気分は、卒業までの1ヶ月。

もう少しで、あこがれの先生と会えなくなる。

それまでになんとか距離を縮めて、思い出を残したい。

そんなピュアな心境。


早い時は3ヶ月で異動する派遣の仕事ばかりしてきた中で、半年が過ぎもうすぐ一年という一定期間を同じ職場で過ごし、飲み会ありーの懇親会ありーの、楽しい時を過ごしてきた。

その体験は何物にも代え難いくらい、忍の人生の中で輝く時となった。

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