第34話 やましいことがあるとパートナーに優しくなる

ピコン♪


女子会を終えて帰宅すると、咲希のスマホに柴田から連絡があった。

『最近店以外で会ってないから、たまには夜ご飯でもどうかな?』


ゲッ

というのが本音。

けれど南井とキスしてしまった後ろめたさもあり、とりあえず承諾した。


午後6時

柴田の住むマンションの近くの、行きつけの居酒屋。

常連客の柴田は先に来て、カウンターでビールを飲んでいた。

「やぁ、こっちこっち」

同じものを頼み、グラスビールで乾杯。

「いつもありがとう、おつかれさま。出足好調のようだね」

最近店の売上が良かったこともあってか、機嫌がいい。珍しく仕事以外の話をしながら、おいしい食事とお酒をいただく。

「こうして外で食事すると、盛り付けとかも勉強になるよね」

一品一品写真を撮る咲希に、柴田は声をかけた。

「咲希はやっぱりいい女だな」

酔っ払ってるのか、横から彼女を見つめ惚れ惚れしている。

「どうしたんですか、今日は。普段そんなこと言わないのに」

「いや、近頃仕事モードだったからさ、プライベートで会うこともなかったし。しばらく距離があると、なんか無性に咲希のことが気になって…一緒に旅行に行った時の写真とか何度も見返してた。オレが違う仕事で店に行ってない時なんか、他の男に口説かれてやしないかってずっと心配だった」


ドキッ


まさにその通りです、なんて口が避けても言えず…

「そんなことないですよ」

と口を濁す。

「この後、少し家においで。ケーキ買ってあるんだ、一緒に食べよう」

断る理由もなく、咲希は謂われるがまま道路向かいのマンションについていった。


「コーヒー入れますね」

「あぁ、頼む」

広々とした1LDK。

一切家事をしないため、キッチンは無機質で何もない。

棚からマグカップを取り出し、ドリップコーヒーを入れる。

お湯はウォーターサーバーから出す。


「どうぞ」

湯気が立ち昇り、静かな時間が流れる。

「うん、おいしい。咲希の淹れてくれるコーヒーが一番うまいな」

「そんな大げさな」

「ほんとだよ。誰かに何かしてもらえることが、こんなにうれしいってわかった。ひとりだとコーヒー淹れる気もしない。コンビニで買えばすぐ飲める時代なんだから」


プライベートで会う時間がなくなったことで、

彼女への愛情を再認識する男と

気持ちの冷めた女。

男女のすれ違いは世の常。


「咲希…」

ソファに座り、肩を抱き寄せる柴田。

目をつぶり、キスを迫ってくる。

いやいやながら、それに応じる咲希。


ここで拒んだら変に思われる。

こんなの、唇と唇がくっつくだけだから。

それ以上に、何の意味もない義務的な挨拶よ。

そう自分に言い聞かせる。


脳裏に、南井とキスした時が浮かび上がった。

あの時は心底ドキドキした。

もっとふれたいと思った。


……


罪悪感、というのだろうか。

他の男性に気持ちが傾いている、

そんな自分を恋人と想い愛を伝えてくる。

柴田に対してのやましい気持ちをごまかすために、

咲希はあえて濃厚なキスを返した。

自分の気持ちとは裏腹に。


しかし、それ以上は無理だった。

ソファに押し倒され、彼氏の手がスカートの中に入ってきた途端。

「だ、ダメ!」

「えっ?」

これには柴田もビックリ。

「あ、あの…実は今日生理中で!しかも多い日なの!血が溢れちゃうからこれ以上は今日はダメなのっ」

とっさに言い訳が出た。

「そうだったんだ…咲希生理痛ひどいから、それなら今日しんどかったんじゃないのか?」

「うん、だけど浩輝さんから連絡もらって、うれしかったから無理しちゃった…」


うそばっかり


女優になりきっている。


女って怖いね。


絶対に南井とのことを知られてはいけない。

その一心で咲希はかわいい彼女を演じた。


「そうだったんだ…咲希…なんてかわいいんだっ。明日も店あるし、今日は早く帰って休みな。これタクシー代」

そう言って、柴田は財布から五千円札を差し出した。

「えっ、いいよそんな、こんなにもらえない」

「余ったお金で鉄分の栄養ドリンクとか買いな。下まで送るよ」


ぽかーん


ドケチ彼氏の変貌ぶりに、少々面食らう。


これは、滅多に会わないほうがいいみたいね。


「またね、浩輝さん。今度はゆっくり過ごそうね♡」

「あぁ、店が落ち着いたら温泉旅行にでも行こう」

満面の笑顔で手を振り、咲希はタクシーに乗りこんだ。


人間心にやましさがあると、相手に優しくなるものね…。


そう思いつつ、キスだけで済んだことに、ほっと胸を撫で下ろした。


生理中なら妊娠しないから逆にエッチしたいっていう変態じゃなくてよかった…。


妙な考えで安堵する。

恋愛経験豊富な咲希さん、どうやら過去には生理中でもOKな男とつきあったんですかね。


ぬるぬるで気持ち悪いし怖いよ、血まみれのチ◯ポ…

すぐお風呂に入ればいいって問題でもありませんしね。



もうひとり、やましさをごまかすために家族サービスをしている人が。


日曜日の夜、松木家。


「えっ、今日はお父さんが夜ごはん作ってるの?珍しいね」

「うん、たまにはね。お母さん仕事遅いから、お手伝いだよ」

松木の妻は看護師だ。

土日祝関係なく、不規則なシフトで働いている。

それが、夫婦のすれ違いの要因のひとつなのだが。


グツグツグツ…


鍋の中で野菜が煮える。

今夜はカレーだ。簡単な料理ならある程度作れる。


僕は…忍ちゃんにあまえている。

いい歳こいて、弱音吐いて、食事にもつきあってもらって。

既婚者の僕が慣れ親しくしても、きっと彼女には迷惑だろうに。

誘うと素直にいつも喜んでくれて、それがうれしくて、もっと喜ばせたいと思ってしまう。

何かと理由をつけて連れ出してしまう。


なんていうのは建前で、本当は僕が一緒にいたいんだ。

楽しいんだ、話していて。

彼女は明るく振る舞ってはいるけど、どこか自信なさげで、孤独を抱えているようで。

雨の中道端で濡れている子犬のよう、

手を差し伸べたくなる。


もうすぐ派遣の契約期間が切れる。

同じ職場にいられるのもあとわずかだ。

今は共に働く仲間として、仲良くしてくれているのかもしれない。

会社を去ってしまったら、もう会ってくれないかもしれない。

そう思うと…なんとか距離を縮めたいと思うんだ。

でもそんな気持ちを持つことは、家族を裏切るようで申し訳なく感じてしまう。


今夜のカレーは、罪滅ぼしのカレー。


グツグツ、グツグツ…


家族がいるのに、どうして別の誰かを好きになってしまうんだろう…


松木は、忍に惹かれる気持ちが沸き上がってくるのを、止めることができなくなってきていた。

鍋の中の気泡のように。


グツグツ…グツグツ…


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