第32話 禁断の恋

お酒は、人の心を緩めてしまう。

いつもは鍵をかけ閉ざしていた胸の内を、いとも簡単に開放する。

おいしい料理とともにすすむお酒。普段口数はさほど多くない松木も、今夜は饒舌だった。

忍は聞き上手だ。自分のことをあまりしゃべらないので自然と聞き役にまわるのだが、そこが重宝される。

ほろ酔いになった松木が、つい口を滑らした。

「忍ちゃんと話してると楽しいよ。僕…家では居場所がなくてね。子供達も大きくなったし、妻とはとっくに冷えきっていて…。だから今夜も除け者にされたわけ。上の子の恋人とみんなで食事行くんだって。だからさみしくひとり飯しようと思ってたんだけど、こんなすてきなお店紹介してもらってよかった。また寄らせてもらうよ」

それを小耳に挟んだ咲希が笑顔で反応した。

「ありがとうございます、ぜひお待ちしております。忍がお世話になってる方なら大サービスしなきゃ。また一緒に来てください」

そう言うと忍にウインクをして合図した。


咲希〜、何たくらんでるのよ~。


心の声を送るも、にやにや。

「そうだね。忍ちゃん、またつきあってくれるかな」

「は、はいっ。私でよければ喜んで…」

そう答えながらも、心中は複雑だった。


既婚者なんだから、松木さんは。深入りしちゃダメだってば。

妻とはうまくいってない。

そんなこと、言わないでください。

結婚生活幸せだって、言ってほしいです。

そんなさみしそうなせつなそうな顔を見たら、放おっておけなくなります。

弱音吐かれたら、優しくされたら期待してしまいます。

もしかしたら…こんな私にもチャンスはあるのかなって。

私のこと、女としてみてもらえたりするのかなって。

あつかましいけど…。

今まで出会った男の人は、ほとんどが私のことをブスだと邪険にしてきた。

だけど、松木さんは違った。

悪く言うこともなく、笑顔で優しく接してくれる。

一緒にいて楽しいとまで言ってくれる。

そんなことされたら私、好きになってしまいそうです…。


いや、既に気持ちは傾いている。

だけど、大っぴらにはできない気持ち。

忍は自分の気持ちを悟られないように、そして松木を励ますために、あえて元気にふざけて自虐ネタもふまえて、笑いをとっていた。


そんなふたりを見送り、閉店時間前になると、南井の友人も先に帰宅し、ふたりだけになった。

「よかったら一緒に飲みませんか」

そう誘われるがまま、エプロンを外し隣の席に座り、乾杯。

「あっ、もちろんこの分の酒代は払いますね」

「いいですよ、気にしないでください」

「それはダメです。今夜も楽しい夜でした。おつかれさまの気持ちで、ごちそうさせてください」

「それじゃあ遠慮なく」

乾杯、とグラスを鳴らす。

イタリアの赤ワイン。ちょっとリッチな味わい。

「うーん、おいしい。仕事の後の一杯は格別ですね」

ふふふ、と上機嫌。

「お酒飲むと、ほおが少し赤くなって、色っぽいですね」

「なにそれ、口説かれてるみたいです」

ほろ酔いでごきげんに笑う咲希に、南井は言った。

「そうですよ、口説いてるんです」

「えっ」

「…って言ったら驚きますか?」

「もう、ふざけないでください」

「ふざけてなんかいないですよ」

そう言うと、南井は咲希の肩を寄せいきなり抱きしめた。


うそ…


ぽかーんと、状況がわからずされるがままになってしまう。

「ひとめぼれなんです。初めてここでお会いした時から」

「……」

どういうことかまだ頭がまわらず呆然とするも、決して嫌な感じはせず、咲希は南井にもたれかかった。

「でも私…」

つきあっている人が…

そう言いたくても、なぜだか言いづらかった。

「わかっています。咲希さんは柴田さんとおつきあいされていると。だけど、僕はあの人があなたを幸せにできるとは到底思えない」

「どうして…」

「いろいろお世話になった方ですが、柴田さんは機械のようなロボット人間です。愛や情というものがない。信じているのはお金だけ。違いますか?」

「…そう…です」

「対象的に咲希さんは愛情深く、人を思いやり相手の喜ぶ顔がみたくてがんばってしまうような人。価値観があまりに違うおふたりです、柴田さんは特に仕事には厳しい人だし、咲希さんが辛い思いをしてるんじゃないかと心配で…」

その言葉を聞いて、咲希は思わず、南井のスーツの袖をギュッとつまんだ。


わかってくれる人がいた。

そのことが何よりうれしかった。


「南井さん、ご結婚は…?」

この歳になると気になるのは出会った相手が既婚か独身かということ。40歳にもなれば、独身男性と出会う確率は低い。

「もう何年も前に離婚したバツイチです。子供はいません。そして現在おつきあいしている人もいません。クリーンな身ですよ。政治家なだけに身の潔白は大事ですから」

ちょっとおどけてそう言うと、咲希は吹き出してしまった。

「そうそう、咲希さんはやっぱり笑顔が似合いますますね」

見上げた南井の笑顔も眩しかった。


やばい


これは…


ブレーキが外れてきた。


一応恋人のいる身で…

彼氏の知人と恋に落ちるなんて…


タイプにもよるが、大人の恋愛は展開が早い。

スピード勝負です。

そりゃあ恋する時間も残り限られてくるので。

チャンスが来たらすぐ乗っからないと。

迷ってるヒマなんかありません。


「しば…浩輝さんが知ったら激怒すると思うんですけど…」

「だからこれは、僕と咲希さんの秘密です」


ここまで来たら、ふたりの間に言葉はいらなかった。

見つめあった後、南井と咲希は強く互いを抱きしめあい、瞳を閉じ、唇を重ねた。




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