思わずウットリしてしまうほどだ。

 日中の街並みというのは、その象徴的光景と言える。都会の街並みを想像してみると、視界の景色が示し合わせたように整合性を生み出すのだ。特別ではないありふれた活気、というのは田舎者からするとチグハグだった。


 何故なら活気に満ちているだけで、私たちにとっては特別だからである。件の活気は柔らかな熱を孕ませながら、私の頬を撫でてくる。そうして足取りを浮き上がらせてしまう。私は自他ともに認める屋内主義者だけど、それは外の世界を否定しているわけではない。あらゆる事柄は陰と陽に通じ、内と外に分かれているからこそ、お互いの明暗が縁どられていくのだ。


 今日はそれなりに懐を軽くする腹積もりだったから、私は様々なものを購入した。美味しかったキャンディの補充、携帯食料、下着類の交換、ついでに可愛い服を見つけて購入。


 その場で着替えた。思えば簡素な装いはお出かけに適さないからだ。村では必要なかったし、旅には邪魔だった。


 私は幾つかの洋服店を回った。娯楽品だからなのか、結構良い値段がするようだった。買った服は、首元がハイネックのレースになっているもので、隅まで綺麗な濃い紫色に染め上げた長袖のブラウスと、その上から重ね着をする黒のサロペットスカートのセット商品だった。要所にあしらわれた控え目なフリルとダークな色合いが気に入った。


 黒のハイソックスに厚底の革靴も含め、最近の稼ぎは吹き飛んだ。鏡の前に立ち姿を見ると、確かによく似合っていた。


 思わずウットリしてしまうほどだ。


 艶やかな黒い髪は綺麗に肩口で切り揃えられている(自分で切っていた)。赤子のように白い肌と光を吸い込むような切れ長の黒目、つるりとした鼻先、意外と厚ぼったい唇。どこを取っても完璧だ。


 店員さんも大変褒めてくれた。当然である。私が似合わなければ、この服は一生売れることがないはずだ。私たちはお互いに感謝すべきだった。恐らくだけど、私のその必然的な状態に心を打たれ、その支払いを幾分かまけてくれたに違いない。そうでなければ説明がつかないからだ。


 私は軽快な足取りで、行きつけにするの雑貨屋に向かった。雑貨屋とは言っても私が好むのは古書が置いてあるからだ。この前一通り探し回ったけど、本が置いてある店は三軒しかなかった。


 ここはそのうちの一つである。本は高価なものだけど、ここは安く仕入れることが出来たボロボロの古書しか置いていない。本当はそういう遺産がより高い価値のものだったりするわけだけど、読書の文化の浸透具合から察するに、ただ古い物は古いとしか判別されないのである。


 分かりやすく言うと、この分野に著名人がいないのだ。付加価値が存在しない媒体というのは、それこそまさに冒険である。


 むしろ私にとっては宝の地図のようなものだ、古い本というのは。


 何かを見たのか、あるいは生まれつきの衝動なのか、過去の人は、兎に角本を書きたいと思ったのである。そのいしずえに触れることが出来るのは、とても光栄なことだ。店主にはすべて言い値で買うから、もっと仕入れてくれと頼んでおいた。余生の娯楽のような感じで営んでいる雑貨屋に、ここまで熱狂的な顧客が現れるとは思ってもみなかっただろう。


 ただ快く了承してくれた。

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