誓刃

絵之色

第1話 プロローグ

 美味足り得る芳醇さを持った甘美と評しても相違ない、美味たる、美味たる香。

 腹は空き、この匂いの肉を喰らわねば、この胸の渇きは癒えぬ。


「――て、」


 ああ、欲しい。欲しい。欲しいのだ。

 この飢えを癒せる肉を。この渇きを潤せる涙を。

 私は、欲しいのだ。


「――け、――――、け、て」


 獲物を捕らえた。捕まえた、捕まえた。

 私の腹を満たせ。私の欲を満たせ。

 それが、貴様たち贄の義務である。


 「――――誰か!!」


 劣等種は大粒の涙を頬に伝った。小綺麗な顔から聞こえる悲鳴に口角が上がる。

 その悲鳴をもっと寄越せ、もっと、もっとだ。

 我が飢えを満たすための余興だ。満たせ、満たせ、満たせ、満たせ、満たせ!! お前たち、劣等種の義務なのだから!!


「こんな所にいたんだな、屑野郎」


 足音が聞こえる。皮の音とは似て異なる音だ。

 ……? 黒いローブの男が、獲物を庇い立てるためか、現れる。

 あのローブ、見覚えがある。


「余裕があるとは、相当食い散らかしてきた奴だと見える……いいや? 単純に馬鹿なだけか」


 バカにして罵る男を、私は一瞥する。

 見た瞬間に理解した。あれは同胞を殺す者だ。

 

『貴様も喰い殺してやる!!』

「――やれるものなら、やってみろよ」


 黒ローブの男は、己の手に持つ短刀に祈りを込めている。

 ふん、油断しているな。首を掻き切ってくれる!!

 噛んだ、しっかりと噛んだ。男の首を捕らえた、はずだった。

 口内に痛みが走る。鋭い牙よりも固い、鉄……? 短剣を投げる隙も与えなかった。一瞬たりとも、この男が動けられる時間などなかったはずだ。


「――――死に行く物に、断罪を」


 告げた男の言葉と同時に、私の首から血が噴出する。

 な、ぜ……? 私は、この男を、殺せないというのか?

 

『同胞たちよ、すまない……っ』


 怪異は力なく地面に倒れ、己の姿がぼんやりと靄となって消えていく。

 黒ローブの男は、短刀を軽く横に払った。


「あ、ありがとうございます!」

「……はやく家に帰れ、またあんな奴に襲われたくなければな」

「は、はいっ!!」


 女はそそくさと、その場から立ち去った。


「……対象の確認を要求」

『殲滅対象、犬神の消滅を確認。本日の任務は終了です』

「……いやはや、便利な世の中になったもんだ」


 プルル、とスマホの電子音が響き懐から取り出す。


『ヤクト、姫は見つかったか?』

「いいや……だが、認識阻害の外衣とは便利な物だな。一般人に顔がわからないのはありがたい話だ」

『そんなことはどうだっていい、早急に姫を確保しなければならないのだぞ、悠長なことを言っているようなら!!』

「わかっているさ、安心してくれよ。必ず見つけるさ」


 ローブを外した、優男は月明りを眺める。

 銀色のメッシュが入った黒い短髪が少しだけ揺れる。蒼空の瞳は、満天の星空の中で簡単に消え失せてしまうような、淡い色だった。


「探し出して見せるとも……我らが愛しき姫君を、ね」

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