破戒神父の日録

イシザワ ヨミ

破戒神父の日録


善意が刺さり、悪意が舞う。


そんな感情が錯綜とする世の中で、生きる者たちは噂する。


『あるところに、神父からはみ出た人間が、時には人を操り人をおちょくり、人を傷つけ、そして人を救うのだ』



働く者が行き交う都会の街並みがそこに在る。在るということは、空気の如くいつしか生まれていたということ。家族も、恋人も、パートナーも友人もその一部として歯車にかちりとはまっている。それが当たり前で、義務である。



そんな喧騒から一歩離れて生い茂った森がある。日当たりはあまり良くない。紅葉樹林だが、葉は心なしか地べたの方へ萎んでいる気がする。

その奥の奥、忘れられた雑林の中にちょっとだけ大きな建物が立っている。




忘れられた場所、世を捨てた人間のおはなし。





一、息苦しいのは嫌じゃない



自分には理解したくない友人がいる。名前をカイ=オルヴェガという。男性の筈だが、本人に指摘すると微妙な顔をされてしまう。かといって、紳士のようにエスコートすればいいのかというと、それでもカイは気分を害した。

初めは、そんな振る舞いにひどく戸惑いを覚えたものだ。カイは嫌でも、男と認識するし、あくまで「彼」のことを説明していく。



「なるほどね。とりあえずゆっくり寝たらいいんじゃないかな」

「寂しい? ぬいぐるみをそばに置いてみたら?」

「隣人が嫌いで仕方ない? そうだねぇ、『隣人を愛せ』で済むならその方がいいよね~!」


「なぁ、カイ」


「うん。……うん? 今、僕に声かけたのかい、ウィル」


「そうだ。全く、君はここにやってくる人たちに、もう少し真摯に接することはできないのか? 私には全く理解できない」



忘れていたが、私の名前はウィリアム=バートランドという。不本意なことに、この男の傍にいることが多い。子供の頃からウィルと呼ばれているから、そのままである。



「うーん。僕は適当なやつだけど、けっこ~真剣だよ? 別の人と間違えてない?」


「お前だと言っている。」



そんなことは、程々に。

カイは人里離れた山奥で、神父をやっている。当然カイは神父ではないと主張しているが、住んでいるここの内装は比較的豪華だし、歩いていればマリア様の像がいくつか転がっている。よくよく考えてみても、仮にも聖なる像の扱いが雑なのはいかがなものか。



「そうかー、ウィルは僕とお話しできなくて拗ねているんだな! ザンネン! 今日は安息日でもなければ、まだお客人が全員帰っていっていないんだよね」


「お前は別に神を信じている訳でもあるまいに。都合のいい時だけ神を利用するな。自分の時間が取れなくなるくらいなら、受け入れる人数を制限すべきだろう」


「神さま抜きにしても、時には座って休んでもいいと思うけど~? でもね、いくらかわいいかわいいウィルのお願いでも今の方針は変えられないかな~。やっぱり、助けを求めてる人を見捨てるのは良くないし」


「可愛くはない」


「ご謙遜なさらず! チャーミングでハンサムでスタイルのいい美男子なんて、ウィル以外に中々いないよー」


「もったいない言葉ではあるが、可愛いだけは否定する。そもそも、話をずらすな」


「え? ウィルが今日も元気そうでよかったよって話していた訳じゃなかったっけ?」



中性的な顔立ちを持ち、声は女性と言われても違和感はない。しかし身長はウィリアムよりは低く(差はおそらく頭半分くらいだろう)、並の女性よりかは僅かに高い。


黙っていれば悪くないのに。そう思った回数はもう数えるのも辞めてしまった。


「それより、お客人をもてなすんじゃなかったのか?」


「そうだそうだ。ウィル、君は僕を思って思い出させてくれたんだね? 愛してるよ!」



ぶつぶつと独り言を呟いてから、カイはホールへ向かって走っていった。相変わらず話を聞きそうにない。



「神父が軽々しく愛の言葉を吐くものじゃない……」



こんなやり取りに嫌悪を抱かないことが、1番謎で、罪深いことだろう。








二、ちょっと横暴なシスター



カイが拓いている教会は、基本的にどんな人間も拒まない。


貧困に苦しむ者は当たり前のように受け入れる。

異性関係にだらしない人がいてもよし、神を信じぬ賊徒がいても構わない。なんならカイの命を狙う暗殺者がいたとしても問題ない。


カイが是の意を唱えれば、なんでもいいのである。

カイは今日も元気にやって来た人々と話すのだろう。


「カイ様」

「困ったな。この方と分かり合うにはどうしたらいいのかな? 僕もうわかんないや」

「あの、カイ様。恐れ入りますが」

「こういう時自分の無力感ってやつを思い知るよね~だって僕が頭悩ます間にもあの方は苦しんでる。今考えているこの瞬間も無駄だもんなぁ」

「カイ様!! お食事のお時間ですよ!! ウィリアム様も待っておられます」

「あ、ジェシカじゃん! もうそんな時間だったかな、ごめんね。しばらくまだかかりそうなんだ」

「そうはおっしゃりますが、朝食も少ししか食べていないでしょう」

「最低限は食べたつもりだよ。せっかく考えがもう少しで浮かびそうなのに。どうして邪魔するのさジェシカ」

「いくらカイ様でもそのお言葉は聞けません!!」

「え、何どうしちゃったの。落ち着いてよ」



そんな自由奔放すぎる教会だが、シスターが一人いる。

名をジェシカと言った。ジェシカには生まれてまもなく両親との記憶が途切れていて、場を転々としながら必死にくらいついてきた。


齢も年頃の少女にさしかかって、ジェシカはとんでもない裏切りにあい、路頭に迷った。食うか食われるか、それしかなかった。下衆のような笑い声を持った男に振り回された日々は数知れず、抵抗の術も持たなかった。



しかし、ある日ジェシカに転機が訪れた。


月日がたち、変わらぬ日常に反して、自分の身体の変化についていけないと感じていたジェシカはどうやって逃げ出そうか考えていた。

ある時歯が欠けたいかつい男に連れられてやってきたのは、広い教会だった。


「こんなに無駄な大きさ、さぞかし儲けていること。主の顔が見てみたい」

「やぁ君! こんなところで迷子かい?」



すごく甲高い声、荒んだジェシカには雑音のように思えて顔をしかめた。高い声は小さい頃、何もかもが輝いて見えた少女時代を思い起こしてしまうから嫌いだった。変声期が来てからは多少低くなったものの、声を出してしまえば一発で性別を悟られてしまう。諦めて振り返ると、女のように見えた。カイは中性的な見た目をしていたので無理はなかったが、そんなものは彼女には関係ない。


「迷子ではありません。連れがおりますので」

「連れ? 貴方に相応しいお客人なんて今日はいたかな」

「背が高く、体格のよい男性がいたでしょう」

「ああ、あの! じゃあ君はやっぱり迷子なんだね?」

「なんですって?」


話していて、目の前の人間は男性かもしれないと思い始めて焦る。だが、自分を辱しめてきた男と変わらないなら、どうせこれも下心で近づいたに違いないとジェシカは思った。



「おあいにく、貴方様には仕事がありますでしょう。私ではお相手が荷が重いと思われます」

「仕事かぁ、一応今仕事中なんだけどなぁ」

「あの方ももうすぐやってこられます、どうか、これ以上は」




「じゃあ、逃げてみない?」





目の前の神父は、ジェシカにそう言ってのけた。

なんだって会って早々こんなに馴れ馴れしいのか。やはり男は嫌いだとか、自分が嫌で仕方ないとか、頭に廻ることは沢山あった筈なのに。



どうして、貴方は。




「愚かなことを。貴方はここが居場所でしょう。私はずっと一ヶ所に留まることはできない。人に逆らうことはできない。私を、必要とする人はどこにも……」


「まぁ、別にここを出ていってもいいんだけど────」


「君は、どうやら迷子になってるみたいだからさ」



「どういう、ことですか?」



男の顔は真剣そのもののように、みえた。取り繕うだけなら誰でもできる。


わたしなんかに、わかるものか。この男は、わたしを陥れようとしているだけなのだ。



「ここはね、悩んでいる人を助けることを一応やっているんだよ」

「教会ですから、それはそうでしょうね」

「いや、ここは教会じゃないよ? お偉いさんに認められている訳でもない。名前のない野花だと思ってくれていい」

「教会では、ない?」

「みんなはそう言っちゃうし、君のお連れさんとやらもそう認識して来てくれたみたいだけどね。ここは世間には認められない。僕もここを社会に晒すつもりもないし、これからも人の話を聞き続けるだけ」

「では、貴方は何のために生きているのですか?」



分からない。地位を持っている訳ではないが、顔が広い。知る人は知っているが、公的に認められている訳ではない。しがない女にも、何故か声をかける奇妙なお方。



「うーん。特にないかなぁ」

「何ですって?」


ジェシカは驚愕した。同時に憎しみも倍増した。それで、ジェシカの日常はまた流動的にかつ淡々と進んでいくはずだったのに、凡てがひっくり返されてしまった。



「ごめんね。君の悩み事は、おそらく僕の思想を知りたいことに繋がるのかもしれないけれど、僕自身、僕のことをまだまだ分からないんだ。だから、ごめん」


何を言うかと思えば自分本位にしか聞こえない謝罪の言葉だ。

嗚呼、やはりこの男も今まで出会った者と違わず保身に走るのだ。いや、本当にそうなのか?────

思考の癖に従いたい自分と、もしかしたらと期待を捨てきれない自分。人格が割れたクッキーのように真っ二つになってしまいそうだ。


「何か勘違いしていらっしゃるようですが。貴方が私を知りたいように、私も貴方へ気持ちが向いていると解釈している、そう聞こえてしまうのです。それは、貴方様の妄想が過ぎるのではありませんか?」

「はは、手厳しい。しかし、僕はどうも踏み込んではならない線を踏んでしまったようだ」

「い、いえ。私も差し出がましいことを聞いてしまいました。謝らないでください」

「ありがとうね。君は物事を現実的に見ることができる方のようだ。代わりにといってはなんだけど、これから君のお連れさんに交渉しようと思うんだ」

「交渉、といいますと……」

「君をここでシスターとして雇わせてもらう。無論、このままではあちらにとっては突然のお話になってしまうからね」

「はい。……はい?」



何か、唐突に大きな変化を伴う言葉が聞こえてしまったような気がする。あまりの驚きに、ジェシカの意識はどこかへ飛んでいったしまったかのような、ぼんやりとしたものへと変わる。



「留学という体にしよう。ここは色んな方がいらっしゃるから、勉強として悪くない環境だと自負しているよ。あの人は渋るかもしれないけれど、そこは僕の腕の見せ所かな」

「神父様、私は今まで学という学を身につけた訳ではないありません。それに、シスターというのは神に誓い、神に捧げ、どのような人にも等しく祈るものだと思うのです。そんな存在になるだなんて身の丈に合っておりませんわ」

「そこなんだよ」

「え?」



神父はまるで少年のように、歯を覗かせながらジェシカへ微笑む。



「君の境遇は確かに不幸なものだったのかもしれない。それこそ、僕では到底想像できない程にね。けれど、君は痛みを知っている。命の尊さを解っている。今日だって、悩ましげな顔をしていたけれど、あの人への不満なんて溢さなかった。それは、誰にでもできることではない」

「……それは、怖かったから。自分の感情を表現してしまったら、恨まれるかもしれないから。今までも、そうしてきたから。優しさによるものではないと思いますわ」

「いいや違う」

「どうしてそう思いますの」

「その心が、君の言葉が、沢山の人を救えるんだ。君の考えが、経験が、ここにいる誰にもないもので、尊いんだ。強制はできないけれど、君さえよければ来てほしい」



どうして、そう言いきれるのだろう。もう、頭が混乱しつつも。


自分なんかが役に立てるならどんなに良いのだろうと思う。



「よろしいのでしょうか。私だけが一歩踏み出してしまって」

「僕が全て責任を持とう。ちょうどこれから僕の友達でここで働く仲間がやってくるから、顔合わせもしちゃおうか。彼、きっと驚くだろうな~」



トントン拍子で話が進んでいく。何もかもが保証されている訳でもなく、この先どうなるのかも検討がつかないのに、ジェシカはきっと大丈夫ではないかという確信があった。



「じゃ、決まりだね!」

「よろしく、お願いしますね」

「こちらこそ! そうだね、ちょうどあの人も向こうから来たみたい」

「……そうですね」

「大丈夫、僕に任せておいてよね。ああ、そういえば……」



うんうんと、大きく首を振りかぶって感情を表現しようとする。想像していた神父像とはあまりにもかけ離れていたが、きっと自ずと慣れてしまうことだろう。自分で、自分がおかしくてジェシカはくすりと声を出してみせる。



「名前はなんて言うのかな?」

「ジェシカですわ」

「オーケー、ジェシカ。次に、年齢を教えてくれるかな?」



衝動的にずっと手に持っていた分厚い本を、神父の顔に当てようとした。いや、気がついたら本当に手足が動いていたのだ。


「わっ、ちょって待って! 聖書ごと顔に当てるのは大分困るよ!? どうどう、親愛なるジェシカ! いったんその書物を地面において話をしようじゃあないか!!」


「年齢をお聞きになるのは! シスターとして! 必要! ないんじゃありませんの!!?」




頭が冷えた新しいシスターが、ふらふらと座り込んで悩み込んでしまうのは、後のお話し。










三、劣化してしまった十字架



カイたちの教会には、十字架のようなものがある。「ような」と形容しているように、確かに十字の形をしているのだが、壁や屋根の上にある訳ではない。奥庭に、人が邪魔にならないように地面に転がされてある。


奥庭では、食べるものや観賞用の植物を三人で手分けして育てている。ナス・トマト・キュウリといった葉から生える食べ物も栽培しているし、柚子や柿といった木から収穫するものもある。天候に左右されなければ、イモや葡萄など、特有のビニールで大きく覆った場所で育てることもある。

台風なんてきてしまえば、食べるものはなくなってしまう。そんな時は何日もひもじい思いをしてしまうし、冷凍庫に入れておいたピザをどうにかして解凍して凌いだりもする。


正直いって、三人でやるには苦しい生活である。「食糧足りてないんじゃないか」と、手を差し伸べてくれた人たちもいたけれど、以前は全てお断りしていた。だが、ある日格好をきちんとした複数人の男たちが、「ここではまともに食事を与えず、屍が沢山転がっているのではないか」とやって来てしまってからは、どんな形であれ、受けとるようになった。それでも、差し入れに手をつけることはほとんどなかったように思う。



「シスタージェシカ、菜園たちの様子はどうだっただろうか」

「問題なく咲き誇っておりますわ、ウィリアム様。この調子でいけば、半月もすれば実が成り始めて、食べることも可能になるでしょう」

「そうか。ジェシカ、君のおかげで本当にいつも助かっている。この膨大な量を捌くのは中々慣れなかったろう」

「とんでもございませんわ。そもそも、植物を育てることも大切な仕事です。ウィリアム様、ご冗談かと存じますが、食を軽んじるものではないと思いますの」

「すまない、そんな風に言ったつもりはなかったんだが。それでも、一人きりではないとはいえ、一介のシスターに任せるには、あまりにも報酬が釣り合ってないように思う。全く、カイはもう少し私たちを労ってくれても構わないと思うのだ」

「仕方ないと思いますわ。そもそも、この事業は来てくださる皆様あってのお仕事ですが、法に認められているとは言い難いですから」



そう言ってジェシカは目を閉じる。確かに今まで色んなところを転々としてきたけれど、別に今の暮らしもすごく安定しているとは言えないのである。食事は自給自足が基本だし、主であるカイは気まぐれ気ままだし、人数の割には建物は広すぎる。


寂しくはないし不満が溢れている訳ではないが、本当にこれでよかったのか、今でも自問自答は止まらない。


「そういえばウィリアム様、錆取りにいいものは何かあるのでしょうか?」

「錆? どこか不具合を起こした建物はあったか? それならばカイのやつに文句を言いに行くが」

「いえ、建物自体がどうこう、ということではなく、これですわ」

「うむ? ああ、この十字架だったのか。そのまま放っておいても構わないというのに。錆で手が赤くなって、細菌が入ってしまうぞ?」

「それは、確かにそうかもしれませんが……」

「おいおい、君ではこれを持てないだろう」


言い淀みながらも、ジェシカは十字架を背負おうとする。だが、元々の重さに、ジェシカの華奢な身体では両手で支えるにも一苦労である。見かねたウィルは、下がるようにジェシカに伝え、軽々と地面に垂直に十字架を立ててやる。ぎょっとしたジェシカは慌ててお礼の言葉を述べ、ウィルは涼しげに言葉を受け取った。



「そういえば、この十字架はいつからあるのでしょう。私がここに来てからは既にありました。カイ様にそれとなく聞いてみても、さらに言葉を濁されて終わってしまうのです。余程大事なことがあったのでしょうか?」



教養という教養がほとんど身につかずに育ったジェシカには、初めは十字架が2人の趣味による工芸品だと思い込んでいた。だが、ジェシカがシスターや教会のことを勉強していくにつれて、教会と十字架は切っても切れない関係だと気づいた。神なんて内心どこか引いた所で見つめるジェシカでも、こんな風にぞんざいに扱うものではないと理解するくらいは、カイたちの世界に蒙くなくなってきた。



「いいや、そんなにいいものではない。あれはカイがここを拓いて、私も共にきてそう時が経っていなかったと思う。あいつがやり取りをしていた一人の男が勝手に持ってきたのだ。カイや私がどんなに拒んでもだ。どうもその男は昔、本部教会と所縁があった者だったようだが、色々あって追われてここにやって来たのだ。とても、よく覚えている。呑気なあいつの顔が強張っているのか……様子がいつもと異なっていた」

「初めてお聞きしましたわ。お二人の物ではないとははっきりおっしゃるのに、それ以上お話を続けてくださらないから、ずっとモヤモヤしておりました。もしよろしければ、続きを聞かせていただいても?」

「いいだろう。カイに『家のやつなのか?』って聞いてみたんだが、いいや、いいやと首に振るだけで、私も詳しく知っている訳ではないのだ。君も知る通り、カイは神父をしてはいるがままごとくらいにしか捉えていない。どうも、あやつの生家は教えと信仰で囲まれていたようだがな」

「そうだったのですね。ウィリアム様に対しても秘密を共有してお話なさらないのは、昔からだったのですね。しかし、こう言ってはお二人に失礼ではありますが……本当のカイ様を知っているのは一体どなたなのでしょう? ご両親のことは分かりませんし、ご友人である貴方様もはっきりしたいならば、あの方はいつも壮絶な孤独に苛まれているのではないのでしょうか……」



ウィルにとって、今の生活は成り行きで始まったようなものだった。上手く進んでいく日常に退屈していた。多くいる友人たちの中で、とびきり変わり者だったのがカイだった。カイは変人だったが、優しいやつだった。あまりにもおっとりとしていて、八つ当たりがてら厳しい言葉を振りかけたこともある。カイは決まってにこりと微笑んでウィルを諭した。


(「無闇矢鱈と人を貶めるものじゃないよ」

「寂しいなら、僕が一緒に側にいてあげる」)



その度にウィルは憤って、更にカイに詰め寄った。同じ数だけカイはウィルと向き合った。ウィルは疲れて、疲れきった。憎む行為が馬鹿らしいと思えてしまった。

ウィルは、変なカイとつるんでいるうちに価値観が変わっていってしまった。カイのことをどうしようもないお人好しですごく変な奴だと思うようになった。

カイに教会の手伝いを頼まれた時、二つ返事で承諾してしまった自分を呪ってしまいたいと思った。でも、絆された時点でウィルに勝ち目はなかった。そもそも、カイはウィルに対して勝負の勝ち負けも持ち出していなかった。



カイは、確かに、誰にでも優しいようで、誰に対しても信用を持ち得ない。




「カイと知り合ってそれなりに長くなるが、あいつは昔から何を考えているか分からないんだ。シスター、君一人が抱え込むんじゃない。それをしたところで、あいつが変わる訳じゃないんだ」

「ウィリアム様が私を思って忠告してくださっているのは分かっておりますわ。けれど、この気持ちは私自身のものです。やっぱり、カイ様の姿を見ていると放っておくことはできないのです」

「……君のその心はシスターに不向きだ。気持ちはカイにとって害になるかもしれない。そうなれば私も黙っていることはできない。それを、分かって言っているのだろうな?」

「はい。全てを承知しています。それでも、この気持ちが大きく変わることもないでしょう。貴方様と話していて、それを確信することができました」



ウィルにとって、ジェシカはカイ以上に理解できない人間かもしれない。ウィルの周りにいた女性に、ジェシカほどバカで話が通じないと思った人はいなかった。その上、ジェシカほどに女性がこれほど自我をもって意見をしてくるという感覚が中々馴染まなかった。今でもジェシカのことを、仲間として信頼はしていても、苦手な気持ちを拭い去ることはできない。



今回だってそうだ。十字架なんてカイだけに任せておけばいいと思うし、教会とはいい難いところで、ましてや望まず貰った十字架を大切にする義理はないんじゃないかと考えている。そもそも、教会じゃないと撥ね付けずに、素直に世に認めさせといていいんじゃないかとすら感じる。ウィルは、その考えをカイにもジェシカにも共有したことはないが。



「だが、一つ言えることがある。君が来てからのカイは、大きく変わったように思う」

「それは、良い意味でですか? 悪い意味でですか?」

「分かっているだろうに。勿論前者だ。前より考えていることが分かりやすくなった。それに、君が女性だからだろうか。変に気取る回数が少なくなった」

「男性が女性に対して格好をつける、ならばよくあるお話ですが、逆なのですか」

「そうだな。あいつは見目良いからか、女性からは共感者のように溶け込んでいることが多かった。男性だけだと女性一人が紛れ込んでいるような雰囲気になって、よそよそしくなることも珍しくなかった。トラブルはごく稀にしかなかったがね。それはあいつの器量かな。ともかく、君はあいつにもっと威張ってもいいんじゃないだろあか」

「お二人の助けになっているならこれ以上の喜びはありませんわ。むしろ、私こそお礼を言わなければなりませんね。本当に、ありがとうございます」



「あー!! ウィルとジェシカがイチャイチャしてるー!!」



特徴的な声が、大きな庭園で響いた。どうやらここの主が二人を探していたらしい。


「うるさい。それに、イチャイチャはしておらん。お前が仕事を丸投げしすぎだと話していたところだったのだ」

「え、まさかの愚痴!? 秘めた逢瀬ではなかったのか。僕は君たちが大好きだから一通りからかったら去るつもりだったんだけどな!」

「違うと言ってるだろう! ほら、ジェシカもこんなに困っているぞ。全く、身の丈に合わんものを管理しようとするのは感心しないな」

「ウッソー。キュートでクールなジェシカがそんなわけ……あれ、本当に苦笑いしてる感じ? マジで僕やらかした感じなの?」

「うふふ、別にそんなことありませんわよ。ただ、お二人はいつも仲がよろしいなと思っていただけで」



「「仲良くない!」」



二人のやり取りは、あーだこーだと言いつつも、気心の知れた遠慮のないものだった。



「そういえばカイ様、この十字架なのですが。ウィリアム様にも手伝っていただいて、錆取りをさせていただきましたわ」

「ああ~それ? 別になくてもいいかなって思っていたけどジェシカはそう思っていないんだね?」

「はい。望まぬことかもしれませんが、この十字架自体に罪はありませんから。それに、カイ様がいつもおっしゃっておりますわ。『来たものには、何者であろうと受け入れる』と」


「確かに、ジェシカの言うとおりだ。気が進まないけど、僕もこの十字架と向き合う時が来たのかもしれないね。他に何か、できることはあるかな?」



カイの柔軟な思考を、ジェシカは尊敬している。



「では、この十字架の話が聞きたいですわ」

「手厳しいな! 僕この話イヤって言ったじゃん! ねぇウィル? 君は僕の味方だよね? 今の話はなかったことにしよう!」

「いや、私も気になっていたからジェシカの考えに賛成する」



そんなぁ~という間抜けな声が、風に乗ってこだまする。

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