第21話 おとぎ話

 何度試しても開かない扉を前に、恐らく彼が権能を使って、扉を固く閉ざしたのであろうことは、その場にいる誰もが理解していた。



 そこに届いた突然の皇国軍の再侵攻の知らせ。


 一夜が嘘をついていた?


 でも皇国軍が先の戦いで全軍撤退していったのは事実だ。


 それに、皇国と繋がっていたのは左大臣のレイフルールで、彼は死んだはず……。


 皆、頭が真っ白になってしまっていた。



 けれど、それでもランは扉を開けようとするのを諦めなかった。


 その手の皮が破れ、血が滲んでしまうまで、何度も何度もドアノブを回し、扉を押し続けた。


 その痛さに一度手を離してしまったものの、扉の向こうから微かに彼の叫び声が聞こえてからは、痛みを感じる余裕すら無くなって、必死に扉に縋り付いた。


 一夜の叫び声を聞いてからは、ランに続いてスノウたちもがむしゃらになって扉を開けようとした。


 スノウが放つ魔法、クロカの鋭い爪による切り裂き、衛兵たちの突進、そのどれも扉に傷一つつけることが出来なかった。


 そこまで苦しむ声を上げてもなお、自分たちを中に入れたくないなんて、一夜は一体何をしようとしているのか。


 ただただ、焦りと不安だけが大きくなっていった。



 そうして次第に弱くなっていく一夜の声に、こちらは彼に扉を開けてくれるよう懇願することしかできなかった。



「一夜!!一夜!!!!大丈夫っすか!?早く開けて欲しいっす!!!ねぇ開けて!!!お願い!!!」


「一夜様、扉を開けてください!!!!」



 そうやって時間が経つにつれて、先程までビクともしなかった扉が、少しずつではあるけれど押し込むことができ始めた。


 そこにわずかな希望を見出して、ランたちは一生懸命に扉を押し込んだ。



 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼



 しばらくして、中から彼の声が聞こえなくなった。


 彼の力が尽きてしまったのか、ついに扉を開くことが出来た。


 全身の力を乗せていたぶん、扉が勢いよく開いたことで、ランたちはその勢いのまま全員が寝所へとなだれ込んだ。



「一夜……?なんで……」


「なに……これ……身体が真っ黒に……これってお父様の……」



 やっと寝所の中に入ることが出来たことに、達成感を覚える暇もなく、そこに広がっていた光景に全員が言葉を失った。



「陛下の身体から、影が無くなっております……」


「ということは……」



 寝台のすぐ傍で、頭をつんのめさせるように崩れ落ちている一夜。


 衣服から伸びる手足には、それまでの雪のような白さを塗りつぶすように真っ黒に染まっており、不規則で小さな呼吸をしていた。


 そんな一夜とは対照的に、寝台の上にいる国王の身体からはそれが消え、これまでの苦しそうな表情が嘘かのように安らかな顔を浮かべて、整った寝息をたてていた。



 ランはハッとして、慌てて一夜へと駆け寄り、その身体を抱いた。


 そして自分も床へと腰を下ろし、膝の上に彼の頭を乗せるようにして寝かせてやった。



「っ!!衛兵は早急にリリアとクルスを呼んできて!!」



 スノウも慌てて衛兵を王立病院へと走らせる。



 ランは、ぼうっとした表情をして光の無い瞳を自分に向ける彼の顔を覗き込み、その事実を受け入れたくなくて、瞳から大粒の涙を零した。


 それが彼の頬を濡らし、滑り落ちていくと、彼の口元が微かに動いた。



「あ……れ……?ラン……だ」


「……!!そうっす!!ランっすよ!!スノウもクロっちも居るっす!!みんな居るっすよ!!」



 彼の意識がまだあることに歓喜して、必死に声をかけた。



「一夜様、スノウもここにおります!」


「クロカも!」



 けれど、その声に彼の瞳は反応することなく、ただぼんやりと自分の顔を見つめるだけだった。


 たぶん、もう視界はほとんど見えていないのかもしれない。


 もう、のだということをその場にいる全員が嫌でも悟ってしまった。



「ふふ……みんな、居て……くれてるんだ……ぼく……呪いを……うつして……それで……あいつらにも……かえして……やっ……た」



 その小さな声を聞き逃さないように、皆黙って耳を澄ませた。



「皇……国の、こうていも……し、しんじゅう……も……倒した……よ」



 みんながその言葉を飲み込むのに一呼吸置いたところに、タイミングよく一人の兵士が寝所へ飛び込んできた。



「伝令が!……も、申し訳ございません……」



 兵士はその場のただならぬ雰囲気を察して、その口を一度閉じようとした。



「……簡潔にお願いします」



 それを受けて、ライトニッヒが静かな声で、その兵士に報告を続けるよう促した。



「はっ……北方から進軍してきていた皇国軍ですが、皇国を出て間もなくし、全滅したとの情報が!その死の原因に関しては不明なようです」



 その報告を受けて、皆が一夜へと視線を向けた。


 そして、兵士は続けて報告した。



「加えて、皇国内に忍ばせている斥候からの情報です。あくまでも噂ではあるらしいのですが、宮殿が突如として崩壊したようでして、皇国の内部では神獣が暴走しただの、皇帝がそれに巻き込まれて死去しただのという話が、民たちにまで広まってしまっているようで、もう戦争どころではない状況だと……」



「……よかっ……た……やくそく……守れた……よ」



 その報告に笑顔を見せたのは、彼だけだった。



「良くない……よくないっすよ……!!あたしはまた……皆と笑っていたかったっす!!そこに、一夜が居なきゃ……何にもよくないっすよぉ……!!」


「そうです……!私たちはまだ、あなた様に何も返せていません!!」


「リリアは……リリアはまだなの!?」



 城下にある王立病院から王城まで、一夜のように自在に宙を舞うことが出来ればあっという間だが、普段は早くても十分程はかかる。


 こうしている間にも、一夜の身体を蝕む黒の侵食は止まらない。



「申し訳ありません!遅くなりました!!」


「今すぐに治療を!!」



 そこに汗まみれの状態で駆けつけたリリアとクルス。


 何とか侵食が進む速度を落とすことだけでもできないかと願う一同。



「失礼しますね……!」



 そう言って一夜の上衣をハサミで切り裂いたリリアだけでなく、全員が一夜の身体に起きているその状態を見て、「うっ」と声を漏らした。


 四肢を黒に染め上げた魔の手は、一夜の上半身をのたうちまわりながら、左胸を目指しているようだった。


 ただ、リリアとクルスはすぐに切りかえて、一夜の状態を探ろうと、魔力を練って両手へ集めると、その手を彼に向け、身体の中へ通そうとした。



「きゃっ……!!」


「っ!!やっぱり……」



 けれど、その次の瞬間にはその魔力が弾け、リリアとクルスは吹き飛ばされてしまった。


 リリアが何か心当たりがあるようだった。


 そんな彼女をランは真っ直ぐに見つめるも、リリアはその視線を受け止められず、俯きながら説明を始めた。



「私たちと神とでは、身体の中に流れている力は、性質がとても似ているけど、完全に同じものでは無いの……」


「……一夜のことは治せないってことっすか……?」



 リリアはそれ以上は答えられず、歯を食いしばった。


 ただ、その沈黙は肯定しているのと何ら変わりはなかった。



「そんな……それじゃあ一夜は……?傷ついた皆を治してくれたのは一夜なんすよ……?おかしいじゃないっすか……一夜だけが死んじゃうなんて……!!!!」



 それはリリア自身が一番痛感していることだった。自分の手にも負えなくなり、ただ最期を迎えるばかりの患者たちを奇跡的な力で回復させてくれた一夜。


 そんな彼のことさえ助けることが出来ないと、自分の無力さを一番に感じているはずだった。


 ランの言葉はもっともだし、皆同じことを思っていた。


 誰もが口を閉ざしてしまった。


 けれど、その沈黙を打ち破ったのは、他でもない一夜だった。



「あり……がとう……ラン。でも……いいんだよ……」


「っ……!なにがいいんすか……!」


「ぼく……みんなが……無事に帰って……家族と……泣いて、喜んでるの見て……ほんとに……うれしかったんだ」



 その時、一夜が最期に自分自身に掛けた奇跡なのか、一瞬だけ一夜の瞳に光が宿り、スノウやクロカをはじめとするその場にいた全員に目を配り、そしてランと視線を合わせた。


 それを見て、ランも目を見開いた。



「それ……に、こんなに……あたたかい……言葉や、気持ちを……もらったのも……はじめてで……そんなみんな……を……助けることができて……げほっ!!ごほっ……!!」


「一夜!!」



 一夜の口や鼻から大量の血が溢れ出した。


 それでも……それでも彼は必死に言葉を紡いでいく。



「ぼく……ここに……来ることが、できて……よかっ……たよ……みんな、幸せに……なって……ね」



 一夜の最期の言葉がその口から放たれた。


 言い切って笑顔を作ると同時に、彼の左胸に黒い影が到達し、その上半身の全てを染め上げ、やがて首元へと迫っていく。



「あぁ……いや……嫌!!嫌だよ!!止まってぇ!!お願い!!!!」



 そんなランの願いも虚しく、一夜の笑顔もその漆黒の中に沈められた。


 そして、全身が夜空よりも深い黒に染められた後、その身体は灰のようにサラサラと崩壊していき、ランの手の隙間をすり抜けて、床へと落ちていった。


 その衣服をも自らの力で作り上げていたこともあり、一夜の形跡は跡形もなく消え去ってしまった。


 ランの手には、その残滓だけが残っている。



「うう……なんで……なんでこんな……」



 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼



 その後、この戦いの発端である皇帝の死去も、それを守る神獣の討滅も確かな情報であったことが確認され、皇国は混乱状態に陥り、その権威は地に落ちることとなった。


 スノウたちは、一夜が皇国の皇帝と神獣を道連れにして亡くなってしまったことを、国民たちに隠すことにした。


 代わりに、国王陛下をその命をもって病から救ったという話にすげ替えて発表した。


 ヨーテ王も無事快復したことで、王国の復興は順調に進んでいった。


 それから数年が経ち、戦火の傷跡がようやく街から消え始めた頃には、一夜と王女たちの物語は絵本としてまとめられたことで、王都から離れた辺境の村にまで広く知れ渡ることになった。




 ――王国の窮地に突如として現れた神。


 その神の声は美しく、人々の心の奥にまで届き、善き者の願いを叶え、悪しき者の心を打ち砕いた。


 神は傷ついた人々をその不思議な声の力によって死の淵から救い出し、深手を負った王をも救ってみせた。


 王を救った後、神は平和になった王国を見て微笑み、そのままどこかへ姿を消した。


 その神の名を「一夜」という――






 戦いの中心となった街では、所々に一夜を模した彫像が建てられ、民たちが一夜を祀り上げ、一夜が姿を消した日には盛大なお祭りが執り行われるようになった。


 ただ、実際に一夜と行動を共にしたことがある兵士たちや、より親密な関係を築きつつあったランたちなどの場内の数人は、その盛り上がりを素直に喜べないでいた。


 もちろん王国が元の姿を取り戻し、国民が再び笑えるようになったことは、とても喜ばしいことだ。


 けれど、至る所で一夜の彫像を目にする度に、あの優しい笑顔と柔らかな声色を思い出しては、心の中に喪失感を覚えてしまうのである。


 それでも、彼の残した「皆、幸せになって」という、権能を通さない純粋な彼の願いを胸に、何とか前を向き続けたのである。

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