無かったことになどできない。たとえそれが憎悪であっても

 全部、無かったことであればいい。作中にはそういう人間の姿が溢れている。けれど、これは全てあったこと、あったかもしれないことだ。昭和という現実でも、良太郎と邦正という作中人物にとっても。

 屋外にある塗装済みの鉄製品を思い浮かべてほしい。ペンキを塗りたての時はピカピカで誇らしい。しかし風雨に晒されることによって、やがて色褪せ、どこかの塗装が剥がれてしまう。そうして露出した鉄の部分は錆び、雨の流れを残すように、錆の痕跡が伸びていく。主人公である良太郎に抱いた印象は、そういうものだった。
 戦時中という人間の異常が異常ではなくなっていく時間の中、良太郎は男性の肉体寄りの強さ、自分の目付きが相手に畏怖を与える事実から、残虐にもいち早く適応していったように見える。ところが、彼は常に妻の馨を求めている。彼女とそっくりな邦正が重なってしまい、忌々しく憎悪を募らせることもある。男性の絶対的な強さを信じていた良太郎にとって、耐え難い屈辱を与えられてからは、なおさら。
 戦後、時代に取り残された彼は、時代と自分自身の軋轢に苦しみながら生きていく。その傍らにはやはり笑わない馨がいて、馨によく似た邦正の面影がチラついては憎悪を煽る。邦正を殺したいとまで憎んだ彼は、同じく邦正に恨みがあるという親戚筋の男と出会い、彼と復讐計画を立てていく。

 ここまで読んだ方はお分かりかと思うが、良太郎という人物は、お世辞にも褒められた人物ではない。だからといって、「嫌な人だ」と一言で済ませて踵を返し、忘れていいような人物だろうか。風雨に晒された塗装の見窄らしさ、痛々しさを知らなければ、改めて上塗りされた姿に思うことなどなくなってしまうのに。
 正否や善悪を判じきれ、というのではない。こういう人間がいたことを、いたかもしれないことを憶えておいてほしい。みんな忘れて無かったことにはしないでほしい。この作品にはそういうメッセージが込められているのではないだろうか。だからこそ、邦正が最後に取った行動は良太郎を殺すことであり、世界からも無かったことにする復讐ではないだろうか。
 それでも、我々読者には、あったこととして残っている。どんなに真っ白く覆い隠されても、決して消えない傷痕として。梨に触れるたび蘇る、とめどなく溢れる水気のような、治っても痕は残り続けるような記憶として。

 昭和という長い時代、ころころ変わり、置いていかれる人も数多いただろう時代の中で、二人の男に残り続けた澱は何だったのだろう。一言では決して言い表せないそれを、どうか考えてみてほしい。あなたの中に息づく、あったことの確かな記憶として。

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