第8話 緑のコート

 母が死んだ。さびしい。一七回歳を重ねてもこの思いが消えることはない。母が死んだとき涙は出なかった。自分でも意外だったがただ空虚な寂しさだけが残った。椿という名前はお父さんが私にくれた唯一のもの。お母さんが私にくれたのはいらなくなった口紅と服。お父さんは私が小さいころから朝早くに出かけ夜遅くに帰る。私が寝ている間に家を出て寝ている間に帰ってくるから私の中のお父さんの記憶はぼんやりとしている。お母さんは酔っぱらった姿ばかりが記憶に残っている。朝に帰ってきて一眠りしてお昼に出ていく。私は一人で生きる力だけが付いていった。それでも二人のことは嫌いに離れなかった。むしろ好きだった。だってたった三人だけの家族なんだから。椿って名前。お父さんのセンス好きよ。お母さんの服は古っぽくてタバコ臭いけど好きよ。緑のコートは私のお気に入り。ひとつだけ我儘を言っていいのだったらもう少しだけそばにいてほしかった。

 出会いって人を成長させるものなのね。驚いちゃったあの子がうちの高校にいたときは。あのさむーい雪が降る日に一緒に雪だるま作った子が。私自分でいうのもなんだけど結構人の印象には残りやすいほうだと思ってるんだけどね。あの日同じ服着ていったら気づくかと思ったけど気づかれなかった。お母さん特製ブレンドは喜んでもらえたみたい。雪だるまつくって。一緒にお話しして。一緒に珈琲飲んで。紅茶飲んで。勉強を教えて。同じ時間を共有する。友達でも彼氏でも仲間でもない関係。親からはもらえなかった感情が君に対して湧き上がってくる。それがあふれて頭なでちゃった。咄嗟に誤魔化したけどバレてたかな。結局本返してもらってないや。かわいげのないところが可愛い。鈍感。世渡り下手。真面目。この前は些細なことで怒っちゃってごめんね。大人げなかったね。寂しさを埋めるために仲良くしてごめんね。隣にいてくれてありがと。ごめんね。

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