第5話

「三奈」


 呼ばれて振り返るとすでに美桜が帰り支度を終えていた。三奈は苦笑する。


「帰りの準備早すぎない?」

「だって別に片付ける物もないでしょ」


 たしかに始業式とロングホームルームだけだったので教科書なども今日は持ってきていない。


「今日はみんなで帰るの? どっか遊んで帰る?」


 コートを着てマフラーを巻きながら三奈は聞いた。

 美桜は基本的に登下校は一人だ。寄り道に誘ってみても付き合ってくれることは稀である。以前からそうではあったが、最近は以前よりも一緒に帰ることはなくなった。だからこうして下校時間にわざわざ三奈に話しかけてくることは珍しい。

 少しだけ期待して美桜を見ていると彼女は「いや、みんなはもう帰っちゃったみたいだけど」と視線を廊下の方へ向けた。見ると、確かに教室に友人たちの姿はなかった。


「みんな帰るの早すぎでしょ……」


 思わず呟きながらため息を吐く。そんな三奈を見ながら美桜は「三奈、最近みんなと距離置いてるよね」と呟くように言った。


「前はいつもみんなと一緒に帰ってたのに」

「最近って、新学期始まったばっかじゃん。何言ってんの。今日はたまたまでしょ」


 三奈は笑いながら「で、何かわたしに用事があった?」と首を傾げる。


「それとも珍しく二人で一緒に帰る?」

「うん。帰る」


 美桜の即答に三奈は驚いて目を丸くしたが「そう」と頷くと廊下に向かった。


「三奈さ」


 廊下を歩きながら美桜が言う。


「うん」

「さっきずっと金瀬さんのこと見てたよね」

「気のせいじゃない?」

「気のせいじゃない。三奈の見てる方、金瀬さんの席がある方だった」


 三奈は隣を歩く美桜をちらりと見て「だったとして、なに?」と眉を寄せる。


「気になるのかなって」


 美桜はまっすぐに三奈を見ながら言った。三奈は笑う。


「なんで気になるの。関わったこともない子なのに」


 昇降口は混んでいた。三奈は前の生徒が靴を履き替えるの待ってから自分も靴に履き替えて校舎から出る。新学期初日でも運動部はすでに活動しているようで、かけ声が聞こえてくる。


「――金瀬さんさ、今日の始業式もサボってたの、三奈も気づいてたよね?」


 校舎を出て並んで歩きながら美桜はまだ金瀬の話を続けてくる。三奈は少し苛つきながら「だから?」と返事をした。


「先生が気にしてるんだよね。金瀬さん、まだクラスに馴染めてないみたいだって」


 三奈は深くため息を吐いた。


 ――結局、あの人の話か。


 珍しく美桜と二人で帰れることに少しでも喜んだ自分がバカみたいだ。あの人とは関係ない、楽しい話をしながら帰りたかったのに。


「修学旅行の部屋割ってさ、四人ずつ出席番号で振られるでしょ? 三奈、金瀬さんと同じ部屋になるじゃん」

「そうかもね」

「だから、ちょっとだけ話してみてくれないかな」

「なにそれ」


 三奈は足を止めて美桜を見た。校門へ向かう生徒たちが三奈たちの横を通り過ぎていく。


「わたし関係ないじゃん」


 美桜を睨みながら言う。美桜は困ったような表情で三奈を見つめていた。

 わかっている。美桜はきっと金瀬と自分を重ねているのだ。一年の頃の美桜と彼女は少しだけ似ているから。


 ――だったら。


「わたしじゃなくて美桜が話せばいいでしょ」


 美桜が三奈に何を求めているのかもわかっている。しかし金瀬と美桜は別人だ。三奈が手を差し伸べたのは相手が美桜だったからで、金瀬に手を差し伸べる理由も道理も義理もない。


「うん。じつは話してみたんだけどさ……」


 美桜は言いづらそうに「無視されちゃって」と笑った。


「は? いつ? 今日?」

「いや、冬休みに入るちょっと前。ちょっと話しかけてみたんだけど無視されてさ。それからずっと避けられてる気がして……。たぶん、わたしまた気づかないうちに何か気に障ること言ったんだと思う」


 美桜は悲しそうに笑うと「だからさ」と続ける。


「三奈だったらもっと上手に話せるんじゃないかなと思って。わたしにしてくれたみたいに」


 ――ほら、やっぱり。


 美桜は三奈に金瀬にも同じようなことをしろと言っている。三奈がどうして美桜に手を差し伸べたのか。きっと彼女はそんなこと気にしていない。それも当然だろう。いつから三奈が美桜のことを好きになったのか。それを彼女は知らないのだから。


「わたしがあの子に話しかけて、それでわたしに何の得があるわけ?」

「え……?」

「何の得もないのに、あんな子と仲良くなろうとは思わない」

「三奈、何言ってるの。仲良くなるのに得だとか、そんなこと――」

「それに」


 戸惑った様子の美桜の言葉を遮って三奈は続ける。


「美桜がせっかく話しかけたのに無視したんでしょ? だったら誰とも仲良くなる気ないんじゃない? あの人にも言っときなよ。本人が望んでないんだから余計なこと気にするなって」

「望んでないって、なにを」

「あの子は友達なんていらないんでしょ」


 そのときザッと靴音が近くで聞こえた。美桜の後ろに視線を向けると金瀬がそこに立っていた。振り返った美桜は驚いたような表情で彼女を見つめる。金瀬はそんな美桜を見たが、とくに何か反応することもなく視線を三奈へ移した。


「なに」


 反射的に彼女を睨む。金瀬は「別に」と呟くと澄ました表情のまま横を通り過ぎていった。


「……聞こえてたかな」

「だから立ち止まったんでしょ」

「だよね」


 金瀬の背を見送りながら美桜が申し訳なさそうな表情で呟いた。


 ――別に美桜が何か言ったわけじゃないのに。


 美桜が気にするようなことは何もない。今の会話を聞かれて嫌われるとしたら三奈だけだ。それなのに美桜は気にしてしまうのだろう。美桜は優しいから。

 三奈はため息を吐くと「帰ろ、美桜」と歩き出す。


「うん……」


 元気を無くしてしまった美桜がトボトボとついてくる。


 ――せっかく一緒に帰れるのに。


 最悪な気分だ。何をしていてもつまらない。美桜と一緒にいてもそう思ってしまう自分が嫌だ。きっと今の自分はあの子と同じような表情をしているのだろう。

 何も興味がないような、そんな顔を。


 ――なんで何も言わなかったのかな。


 あの場で自分の話題が出ていたのだ。少なくとも何か反応があっても良かったはず。それなのに金瀬は無反応だった。周りからどう思われていようと、どうでもいいのだろうか。


 ――あの子、なんで学校来てんだろ。


 会話もなくなってしまった美桜と並んで歩きながら三奈は沈んだ気持ちでそんなことを思った。

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