第10話 家出しても食いっぱぐれない

 試験会場となっているサオネ島は、特別狭いわけではないけれど、広いというわけでもなかった。

 島の南東端から出発し、探査を進めていったイシュカたちは、北上するにつけ、顔見知りと遭遇するようになる。

 島の西寄りに位置する潟湖、ラグーンとそこから南西に伸びる半島にある火山は、ベースキャンプにも比較的近く、誰もが感じられるぐらい大きな界境があるからだろう。周辺には特に生徒の姿が目立った。


「ガードルードさま、お会いできて本当に嬉しいです。探査の進捗はいかがですか?」

「私たちは火山の調査を終えて、これからラグーンと内湾の調査に向かうところです。そういえば、ここからの西の海岸の浅瀬に……」

 誰もがラグナルには丁寧なあいさつをし、何とか会話を広げようと頑張る。皆ラグナルさまとお近づきになりたくて仕方がないらしい。

(まあそうか。いいとこの子だし、見た目いいし、卒業前なのに既に本職以上の幻獣使いだし、性格もいいし――まさに推せる人)

 イシュカ自身、その気持ちはよーくわかるが、その横にいるというのに、まるっと無視されるとさすがにちょっと悲しい。

 それでも無視ならまだましで、『なんでお前がラグナルさまと』『足引っ張んなよ』という目を向けて去っていく人も少なくなった。

(『ゴブリン』や『ピクシー』を見た時の顔ってあんな感じ……)

 大した害はないが、居るとちょっと厄介で、いたずらなんかも最初は笑っていられるけど、重なると癇に障り始める幻獣もしくは妖精――私は彼らと違っていたずらはしないのに、と抗議したい。

(って、いたずらをする気もないのに、色々やらかす私のほうがヤバいかも)

 そう気づいてしまって、情けなく眉尻と肩を落とした。


「待たせて悪かった。さ、行こう」

 貴公子然とした感じで笑って対応していたラグナルの顔が、そんなイシュカを見るなり崩れた。

 そこに嫌気があるのを見てとって、目を瞬かせれば、ラグナルが「ほんと、めんどうだ、あのまま南にいればよかった……」と表情ままの愚痴をこぼした。

「めんどうなの?」

「当たり前だろう」

 じろりと睨まれ、これ、とばっちりってやつ、とイシュカは肩をすくめる。

「だって、いつもニコニコ穏やかに笑って、相手してるじゃん。成長したんだ、完全にガードルード公爵家のお世継ぎさまになっちゃったんだと思ってた」

「なわけない。あいつらが俺のことをガードルード公爵家のお世継ぎさまとしてしか見ていないんだ。相応にふるまってやっているだけ」

「うわ、性格、むしろ悪くなってた」

「大丈夫、イシュカ以外にはばれてない」

「私にも隠そ? 推せなくなるよ?」

「それこそめんどくさい」

「ひど」

「てか、推しってなんだよ、それ」

 文句を言ってみたけれど、ラグナルがくくっと笑ったせいで、イシュカも一緒に笑ってしまった。


 空気の中の潮の香りが減った。

 辺りを見渡せば、木々の幹の合間に青い煌めきが見える。

「うわあ、綺麗……」

 林を抜けた先に広がっていたのは、噂どおりの大きな湖だった。

 澄んだ清水を満々と湛え、風のない今、まるで鏡のように、青空と西奥にそびえる火山の山影を映している。

 内湾がせき止められた湖ラグーンとはいえ、水深がそれなりにあるのだろう。中心付近はユニコーンの目のような青色だ。

 湖岸の一角、湖にそそぐ川の岸で鹿の親子が水を飲んでいる。彼らの鼻先に、魚の鰭のような翼を持つ水の妖精が水をかけ、驚いた子鹿がぴょんと飛び上がって、前脚で水をパシャリと叩く。妖精たちの笑い声がさざめいた。


「なあ、ここの界境、すさまじく大きくないか? 今まで見た中でも一番かも」

「だね。水馬はもちろん、きっかけがあれば、人魚や水竜も出てこられるサイズだと思う」

「奥の火山にある界境も大きそうだ」

「うん……でも、あっちは完全に閉じてない?」

「そう、なのか? すさまじい霊力が出てるのに……」

「……なんか妙な感じ」

 ラグナルの言う通りだ。界境はイシュカの見立て違いでなければ、閉じている。それでなお霊力を感じられる。

「あの界境向こうにも精霊がいるはずだよなあ……まったく感じないのはイシュカの言う通り完全に閉じてるからなのかな」

 ラグナルの呟きを耳にしつつ、イシュカは火山から湖の中に神経を移す。

 こっちはこっちですさまじい。妖精だけじゃない、あちこちにかなり高位の幻獣がいる。中央付近の水底に、海水が吹き出ている場所がある。川から湖に注ぐ淡水と交わり、渦を為している。あそこが界境の中心だろう。


(なんで兄ちゃん、このことを言わなかったんだろう) 

 小さく首をひねった。これほど大きな界境がしかも二つあるなら、精霊馬鹿の兄だ、喜色満面にイシュカに語っていたはずなのに。

(半年前、兄ちゃんが来た時にはなかったもしくはこれほど大きくなかった、それとも……遺跡が気になって言い忘れていた……?)


「なんだ、あれ……」

「ん?」

 ラグナルには珍しい唖然とした声に、その目線を追えば、北東の湖岸に屋敷があった。

「ほんとだ、なにあれ。ここ、無人島のはずだよね」

「しかもなんかめちゃくちゃ凝ってないか」

 大きくはない。だが、サイズの違う円筒を重ねた、二階建ての石造だ。屋根はドーム状、二階部分の周囲はバルコニーとなっていて、凝った装飾を施された石造りの柵がめぐらされている。バルコニーには円柱が等間隔に並び、そのすべてに妖精や女神やら姿が彫られていた。

 ラグナルと二人、呆気にとられつつ、その建物を見つめていると、バルコニーに人影が出てきた。こちらに向かって手を振っている。

「アエラ?」

 ――何日か前、森の中で別れた、親友の彼女だった。



「ようこそおいでくださいました、イシュカさん、ラグナルさま」

 アエラは無人島でも変わらずに美しかった。

 招かれて夢でも見ているような気分で中に入れば、ベッドや机、椅子、窓にはカーテン、テーブルには花瓶に入った花まである。

 目を丸くするイシュカとラグナルに、アエラは「素敵でしょう?」と優雅に微笑んだ。

「なんでこんな快適に暮らしてるの……てか、野営はどうした?」

「これまで皆さまそうするしかなかったというだけで、試験において、野営は必須ではないそうですよ。わたくし、外で眠れる気がまったくしませんでしたから、シャルマーさんご契約のドワーフさんに頼んで、おうちを作っていただきましたの。さすがドワーフの妙技だと思いません?」

「う、うん、すごい。け、ど……」

 お茶を運んできてくれた男性、アエラの婚約者のシャルマーに、

(……なんか違ってない?)

と思いながら、目を向ければ、彼はお盆を持ったまま得意そうに胸を張った。足元に五体ほどのドワーフがいて、彼らも顎を突き上げ、ふふんと鼻を鳴らす。

(……違ってないんだ、彼ら的に)

 価値観の違いを目の当たりにした気がする。


「屋敷で暮らすのはいいとして、課題はどうしているんだ? 進路に関わるだろう」

「この試験は最初からあきらめております。わたくしは精霊の霊力に耐性がございますから、探査などうまく行くわけがございません。精霊たちもわたくしを避けていきます。進路もそれに応じたものに決めております」

「つまり……祓霊科に行く?」

「ええ。我がエクシム家は祓霊の家系ですから」


 王立召喚学校の生徒は、卒業試験に合格した暁には「召喚士」の資格を得るが、在学中の履修内容によっては、さらに上位の資格を取ることもできる。

 生徒たちは初等課程を終えたら、中等課程の召喚科、祓霊科、研究科のいずれに進むか選択することになる。

 花形は当然召喚科だ。幻獣を召喚して契約、使役する、「幻獣使い」の育成を担っており、卒業の暁には国のあらゆる部分に関わることになる。

 祓霊科は生徒数が最も少ない。精霊や悪意ある召喚士の扱う召喚獣がもたらす霊障を祓うことを専門に学ぶ場所だ。卒業後は「霊障払い」という肩書を持ち、王宮や軍の祓霊部に所属するか、フリーで民間の霊障を祓うことが多い。稀少さ故、どこに行っても珍重されると聞いた。

 研究科は、精霊について研究して理解を深め、新たな召喚陣や呪を開発する、一番地味で人気のない学科だ。他の二学科と違って、ここを出ても特段の資格は得られない。ちなみに、ヴィーダ家のほとんどはここに進む。父も兄もそうだ。


(……あれ、私、なんで召喚科、目指してるんだっけ)

 アエラとラグナルの会話を聞きながらお茶を飲んでいたイシュカは、カップに口をつけたまま目を瞬かせた。

「イシュカさん? どうかなさいました?」

「え、あ、いや、その、アエラと進路が別れるの、寂しいなって」

「まあ、嬉しい。この試験で私を振って、ラグナルさまに求められるまま身を差し出したイシュカさんが、そんなふうに仰ってくれるなんて」

「はい?」

 会話相手がイシュカに移ったと見て、お茶に口を付けていたラグナルがむせた。

「イシュカさんとなら私であっても探査ができる、生まれて初めて野生の精霊とお近づきになれる、と楽しみにしておりましたのに、イシュカさんったら私のことなど眼中にない感じで」

「え、え、あ、いや、だって、アエラ、一緒に試験受けようとか、言ってなかったから……」

 思わずラグナルを見れば、真っ赤な顔をしている。

「その、先に声かけてくれたのが、ラグナルだっただけで、」

「じゃあ、私が先に声をかけていたら、ラグナルさまを袖にしてくださいました……?」

「え、あ、いや、それ、は……」

 もごもご言いながら、イシュカもラグナルにつられるように赤くなった。

 その瞬間、沈んだ表情で顔を俯けているアエラの唇の端が、にやりと弧を描いたのが見えた。

(っ、やっぱ性悪!)

「アエラっ、からかってるでしょうっ」

 怒るイシュカに、アエラはころころと笑い声を立てた。

「というわけで、ラグナルさま」

「な、んでしょう、エクシム嬢」

 目の端に滲んだ涙を白い指で拭いつつ、アエラは顔を引きつらせるラグナルに、女神そのものの微笑みを見せた。

「イシュカさんのこと、引き続きよろしくお願いいたしますね――繰り返しになりますが、優秀かつ“紳士”なラグナルさまですもの、“色んな意味”で私の親友を大事にしてくださっていると信じております。ええ、夜中にこっそり寝顔に見つめたり、触れたりなどといったことは、もちろんなさっていらっしゃらな――」

「その辺でやめてあげて」

 焼き菓子を運んできたシャルマーが手を伸ばし、そっとアエラの口をふさいだ。

 このアエラの口を文字通り封じることのできる彼――この世の存在とは思えないほど綺麗なアエラが、感じはいいけれど、どこにでもいそうな感じの彼と婚約している理由がちょっとわかった気がした。



「……」

 アエラたちの屋敷を出たイシュカは、そのすぐそばにある木小屋の傍らで、じっと対岸を見つめた。

 ちなみにこの簡素、率直に言えば適当極まりない、隙間風だらけの木小屋は、シャルマーがドワーフたちと一緒に寝泊まりしている場所だそうだ。

 紳士だとは思うし、尊敬もする。アエラが大事にされていることがわかるのも嬉しい。が、「あの人、やっぱりなんか微妙に違ってない?」と思わずにはいられない。

 アエラの信者たちもきっとその辺を嗅ぎ取って、消えたのだろう。ドワーフたちに生き埋めにされたのではないと信じたい。


「あれ、が遺跡かな……?」

『遺跡、一般人は立ち入り禁止……ということなら、この南、湖に突き出た岬が怪しいかもしれません。目くらましがかけられていましてよ?』

『あると思って見てみるといいと思います』

 アエラから教えてもらった場所に、言われたように神経を凝らしてみれば、なるほどそこだけ微妙に霊力の流れが歪んでいる気がする。

「確信はできないけど……言われればちょっと不自然だな。行くか」

「……」

 思わぬ言葉にイシュカはビキリと固まった。

 横目でラグナルをうかがえば、彼は、

「どうせ一人でこっそり行こうとか、考えてるんだろ?」

とにやっと笑った。

 またばれてる、と顔を引きつらせたイシュカに、彼はくくっと笑うと、「なら今行くぞ」とイシュカの頭をポンと叩いて歩き始めた。


「待って、ラグナル。トルノー教授が立ち入り禁止だって……」

「ダメと言われれば、行きたくなる。コィノさんもだけど、教授の反応も気になるし。なんか妙に警戒してただろ」

「そ、それはそうだけど、もしばれたら怒られるよ。私は慣れてるけど、ほら、ラグナルは優等生だし、成績が落ちたり、親の呼び出しなんてことになったりしたら、公爵が」

「どうでもいい。俺、自分で優等生を名乗ったことないし、最近反抗期だし」

 肩をすくめるラグナルに戸惑う。

「退学になったら、洒落にならないよ」

「……その時は一緒に家出してくれるんだろう」

 立ち止まったラグナルがイシュカを振り返った。軽い口調とは裏腹に、その顔はまったく笑っていなかった。

『家出するなら付き合うよ。二人一緒ならどこでも生きていける』

 昔、父親のガードルード公爵に怒られて泣くラグナルを慰める時に、イシュカが使っていた言葉を思い出す。


 湖を渡ってきた風が、彼の髪を浮かせた。露わになった赤い瞳は、まっすぐイシュカへと向けられている。

「……」

 ラグナルの才能はすさまじい。召喚士にはもちろん、その中でも最高の幻獣使いになるだろう。

 イシュカはずっとずっと彼に憧れてきた。羨んできた。

 そんな彼が召喚士にならないなんて――。

「…………うん、私と一緒なら食いっぱぐれることだけはないって保証する」

 なぜかはわからない。でも、彼の目を見ていたら、そう口にしていた。

 それで彼が破顔してくれて、正解だったと知った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る