第2話 親友は侯爵令嬢と黒い怪鳥

「……で、噛まれたというわけですか、水馬と天馬の両方に、左右から」

「水馬は、融合するなら融合するであらかじめ願っておけって……天馬は水馬より後に呼ばれたのが気に入らなかったんだって……」

 左右の頬両方に幻獣の歯型を付けたまま、イシュカは両手で顔を覆って、

「あとちょっとだったのにぃいいいい」

とテーブルに突っ伏した。

「あなたの、というかヴィーダ家の召喚術は本当に変わっていますね。普通は召喚できるかできないか、契約できるかできないか、それだけの話だというのに、召喚できても契約はできない、使役できるかどうかはその時次第――不安定すぎます」

「しみじみ言わないでよぅ……」

 親友のアエラに涙声で抗議してみれば、ピンクブロンドの髪と同じ色の唇が、にっこり可愛らしく弧を描いた。


 イシュカが彼女と知り合ったのは四年近く前、十歳でこの王立召喚学園に入学した日のことだった。

 新入生が一堂に会し、最初の実力試験と自己紹介を兼ねて、各自召喚術を披露した際、イシュカは馴染みの精霊姉妹のうち、姉の『微風の乙女』を呼んで大失敗した。

 憧れの学園に入学を許され、ようやく召喚士、幻獣使いとしての一歩を踏み出せて、うきうきしていたのが乙女に伝わったのだろう。無事召喚できたとほっとしたのも束の間、彼女はイシュカを見て嬉しそうに歌い出し……その場にいた人のほとんど――教授たちも含めて――を眠らせてしまった。

 眠らなかったのはただ二人――幼馴染でイシュカのやりそうなこと、イシュカに起きそうなことを予知するに長けたラグナルと、精霊たちの霊力に耐性のある、このアエラだけだった。

 皆の入学初日を台無しにしたイシュカは、そうして早々に「召喚はできても契約も使役もまともにできない落ち零れ」「まごうかたなきヴィーダの血筋」とレッテルを張られた。


 そうして、教授たちに目を付けられるわ、クラスメイトから遠巻きにされるわ、で始まった学園生活の中、ただ一人、「中々できることではありませんわ」と笑って友達になってくれた、大事な大事な親友――、

「不安定なのは事実でしょう。まともに使役できるの、二割以下では?」

「事実の方が突き刺さるから……!」

は今日も安定で容赦がない。


「大体、幻獣の融合なんて、史上三人しか成功していないものでしょう。それをよりによってなぜ特別考査でなさったのですか?」

「今日こそできそうな気がしたから」

「――そういうところです」

 追撃を食らって、イシュカは眉尻と口の両端を限界まで引き下げた。



 そのイシュカに面白い目を見る目を向けると、アエラは瑞々しいイチゴの載ったタルトをフォークに載せ、美しい唇に運んだ。続いてティーカップを手にする。

 洗練された美しい仕草に、彼女の実家が侯爵の位にあることを思い出す。

「その上、イシュカさんの召喚呪はとんでもなく長いですものね。確か人魚の場合は、『天明百歴五の緑葉月十日においては大変なご無礼をいたしました。重ねてお詫び申し上げますと共に、同日美しき水柱の最中にてご教示いただきました通り、此度は水清み、魚躍る水場をご用意いたしましたので、うんぬん』から始めないとお話すら聞いていただけないのでしたっけ?」

「うぅ、彼女、気位高いの……あんな失敗をしたのに、その後も召喚に応じてくれるだけ奇跡だって父さんが」

「『土蜥蜴』の召喚呪には、ケチアの木を引っこ抜けない理由がくどくどと並べられていましたよね?」

「だって、土蜥蜴の要求通り引っこ抜こうとしたら『樹魔』が怒るんだもん……」

「『翼竜』の時は、鬼ごっこで『雷燕』に負けたから、代わりにその再試合を申し込んでくれば召喚に応じてやるとか……しかも、翼竜がやりたがっているとわからないようにとか、妙な注文つけられていましたね」

「翼竜だよ!? 風属性の高位幻獣の一つ! それがなんであんな子供っぽいの!?」

「私が聞きたいです」

 カップを持ったままのアエラに、「なんにせよ、お茶が冷めてしまいますよ」と優しく上品に微笑まれて、イシュカは半泣きのまま顔をあげると、のろのろとお茶を口にした。


 ここボカーレ王国は召喚士の国だ。この世界とは異なる世界から様々な幻獣を召喚し、契約を交わして使役し、国防から国土の改良・保全、農業、医療など様々な場面に役立てている。

 今、イシュカたちがいるのは召喚術の研究および優秀な召喚士の育成のために、ボカーレ王国が設けている王立召喚学園だ。

 召喚士たちの描く召喚陣以外に、幻獣たちのいる世界とこの世界は自然を介して繋がることがあるせいだろう、学園は湖や池、川、低いながら山や丘、森、平原など様々な地形を含む広大な敷地を有していた。


「あ、美味しい」

 その一角、森の中にあるカフェのテラスでふてくされたまま、イチゴのミルフィーユを口にしたイシュカは、一転口元を綻ばせる。その様子に、アエラは口元に運んだカップに隠れて忍び笑いを漏らした。


「こんなことを言っては怒られるのでしょうけれど、わたくし、イシュカさんがラグナルさまに負けて、少し喜んでいます。だって、イシュカさんがセルーニャ国に留学してしまったら寂しいもの」

「……私もアエラと一緒に勉強できるのは嬉しいよ」

 綺麗で大人っぽいアエラにまっすぐ見つめられて、ちょっと照れた。

「ラグナルさまがそれだけ頑張ったのも、同じ理由なのではないかしら。すごく仲良しだったでしょう」

「……昔はね。今は全然。そもそも幻獣使いの名門公爵家ガードルードの嫡子と、曰くつきの子爵家ヴィーダの私が幼馴染だっていうのが異常だったんだと思う」

 が、すぐに口をへの字に曲げる羽目になった。


 ラグナルとイシュカの母親が遠縁で仲が良かったせいで、二人は幼い頃三日と上げずにお互いの家を行き来して、一緒に遊んでいた。

 お気に入りの遊びは召喚……子供だけでやってはいけないと禁じられていたのに、こっそりやっては見つかって怒られ、でもまたやって怒られて、を繰り返していた。

 彼はその頃から大人顔負けの陣を描き、呪を唱えることができた。大人でも難しい高位の幻獣を呼び出し、契約を結ぶ様は神々しいまでに美しくて、イシュカはずっと憧れていた。

 色々な失敗をしでかすイシュカをその度にフォローしてくれるのもラグナルで……。

(だからダメになったんだよね……)

 入学して以来、徐々に疎遠になっていった幼馴染を思い出したら、また悲しくなった。


「あら、シグルだわ」

「おかえり、シグル。ねえ、ダメだったぁ、留学できないぃ」

 上空から真っ黒な鳥が、情けない声を出したイシュカの肩に舞い降りる。着地の瞬間、その羽が陽光を受けて、虹色に光った。

 シグルがイシュカの右頬に頭突きする。その温かくふわふわした感触にイシュカは思わず小さく笑い声を漏らした。なぐさめてくれているのだろう。

 シグルに続いて、風の妖精『シルフィ』たちがやってきた。先ほどまで無風だった空気が優しく動き出す。


 意志と思考を持つ、人ならざる存在を精霊と呼び、霊力の低いものを妖精、高いものを幻獣と呼ぶ。召喚獣は幻獣のうち、人に召喚され、契約を結んだものだ。

(いいなあ、妖精は自由で)

 妖精は強い霊力を持たず、ほとんどの場合は実体もない。だからだろう、幻獣とは違って、この世界と精霊たちの世界が接する『界境』を好きに行き来できるようで、自分の好きなところで好きなように生きている。

 楽しそうなシルフィの動きにつられたのか、シグルが飛び立ち、見えない妖精たちと戯れ始めた。

 行儀悪くフォークを加えたまま、イシュカはその様子をしげしげと見つめる。

(鳥じゃないことだけは確かなんだけどな)

 シグルは物心ついた頃には、イシュカと一緒にいた。そしてその周囲にはいつもこんなふうに妖精たちがいる。

 なんらかの幻獣だとは思うのだが、精霊の研究をしている父ですら、まったく見当がつかないそうだ。


「春らしい、いい風ね」

「……そうだね」

 召喚士であっても、霊力が低い妖精を見える人はほとんどいない。シルフィの一人がアエラに向かって飛んでいき、綺麗なピンクの前髪をふわりと持ち上げ、彼女をくすりと笑わせた。彼らは結構いたずら好き、加えて美人が大好きだ。

「? 食べる?」

 シグルがイシュカの逆の肩に舞い戻り、また頬に頭突きする。それから、手元を覗き込んできた。なんとなく意図を察して、イシュカはお菓子の上の赤いイチゴを摘まむと、肩口に持っていく。

「美味しいよね」

 彼がつつくにつれて、イチゴの甘い匂いが鼻腔に届いた。シグルの嬉しそうな気配につられてイシュカも笑う。


「――いやだわ、またあの汚らしい鳥。真っ黒で品がないったら」

「飼い主とお似合いなのではないかしら。ご覧になって、灰に青やら緑やらが混ざったあの御髪。まだらで本当にみっともない」

「あの見た目の上にたかが子爵、しかも悪名高きヴィーダ家……ラグナルさまに敵うわけもありませんのに、この方、無謀にも今日の特別考査でラグナルさまと競ったのだそうよ」

「特別考査というと、確か成績優秀者に特別な機会が付与されるというものでしたかしら。没落著しいヴィーダのイシュカさまが必死になる気持ちも分からないでもないですが、ねえ……?」

「……」

 せっかく気分が浮上したところに響いた意地悪な声に、イシュカは顔をしかめ、声の主たちを振り返った。

 カフェの入り口でこっちを見ているのは、案の定、この国の貴族の中での最上位、公爵位にあるテネブリス家の長女フレイヤとその取り巻きだ。

 入り口からテラスにいるイシュカたちまでの間には、たくさんの席があって、人もいっぱいいるというのに、彼らをよけようともせず、傍若無人にこっちへとまっすぐ歩いてくる。


「イシュカ・ヴィーダ、いい加減身の程を弁えなさいな。あなたごときがラグナルさまに逆らうなんて」

 同じ公爵位なのに、ラグナルがさま付けで呼ばれているのは、彼の実家の方が格上、何代か前に王族のお姫さまが降嫁したからだそうだ。


(貴族社会って複雑……そりゃあ、父さんも兄ちゃんもやっていけないよね)

 父は新種の精霊を求めて国内を飛び回り、ほとんど家にいない。

 兄は新しい召喚術の開発のために、王立召喚研究所に泊まり込むか、そうでない時は召喚に失敗して霊障で意識を失い、家でひたすら寝ている。

(うちが爵位を返上する日は、近いに違いない。そしたら次は男爵、大失敗なら一足飛びで平民……)

 召喚士は国家資格で、必要な技能を持つ者であれば、誰でもなることができ、同じ資格を持つものならば、皆平等に扱われるとされている。

 だが、実際は凄まじい身分社会だ。詳しい理屈はわかっていないらしいが、召喚士の資質は血脈と深い関係があるようで、先祖が呼び出せた幻獣は子孫も呼び出せることが多いし、家ごとに地水火風、いずれの属性を持つ幻獣を呼び出しやすいかという得手不得手がある。

 必然的にボガーレ国の貴族は、力ある召喚士を代々輩出してきた家系ばかりで、自分より下位の家や平民出の術士を見下す傾向にあった。

 イシュカたちヴィーダ家は建国に大きく関わった有能な祖先を持つらしいが、皆イシュカ同様、使役が不得意で、折々にすごい失敗をしでかし、を繰り返して、建国の公爵位から徐々に位を下げられて今に至っている。

(――待って。父さんも兄ちゃんも既に色々やらかしているらしいし、私たち、爵位がない方がむしろ幸せなんじゃ……? となると、失敗、大歓迎?)


「聞いてますの!?」

「っ、は、はいっ、もちろん聞いてますともっ」

 返事の必要を感じなかっただけ――とはもちろん言えない。

「ええと、なんでしたか、まずシグル……は美しいです。よく見てください、ただの黒じゃなくて、光の具合次第で虹色に輝きますから……!」

 せっかく紹介、しかも褒めたというのに、翼ある友は、気のせいでなければ、めんどくさそうな顔をして、肩から飛び立っていってしまった。見捨てられた。友達がいがない。


「で、次は……私の髪。は確かにまだらですが、灰ではなく銀のまだらです。アエラのピンク色の髪のほうが綺麗だとは思いますが、これはこれで気に入ってます。夜でも昼でも自然の中に入ると、案外目立たない、つまりは気づかれずに妖精に近づくのに最適……! 最高のカモフラージュです……!」

 言葉のまま、素直に胸を張れば、ちょっと気分が浮上した。


「ええと、その次。は、ヴィーダは確かにたかが子爵で、悪名も大あり、仰る通りです。けど、ガードルードさまに逆らう意図はありません。てか、公爵さまのお世継ぎだからって手を抜いたら試験の意味ないし、それ以上に人として最低じゃ?」

 そうだ、ラグナルの性格が昔と変わっていなければ、手抜きなんかすれば怒るだろう、と一人頷く。


「――というあたりで、フレイヤさまたちのお話をちゃんと聞いていた証拠になるか、と……」

 そこで異様な空気にようやく気付いて、イシュカは口を噤んだ。目の前のフレイヤが右側の頬だけをぴくぴくと痙攣させ、ご友人の皆さまはその後ろでなぜか呆れかえっている。

(…………父さん、兄ちゃん、ごめん、私も言えた立場じゃないっぽい)

 顔を俯けて肩を震わせている親友のアエラの様子を見て、一家揃って貴族失格と確信すると、イシュカは「で、では、私はそろそろ。アエラ、またね」と言い残し、そそくさと席を立った。


「そうお怒りにならないでくださいませ――常日頃から教授が仰っていますでしょう、ここは召喚術を学ぶ場です、学園外の身分などを持ち込まず、真摯に互いを高め合いなさいと」

 ひとしきり笑い終えたのだろう、フレイヤ相手にイシュカのフォローしてくれる優しい親友に背中越しに感謝を投げつつ、イシュカはカフェから逃げ出した。

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