「10円」
@aika02
第1話
新しい通学路は、あちこちを都心の高層ビルに囲まれていた。
「さやかー。十円持ってない?」
理沙は財布の中をあさりながらわたしに聞いた。家から水筒を持ってくるのを忘れたらしく、中学校に行く前にジュースを買おうと自動販売機に立ち寄ったのだ。
「え、さやか財布持ってきてないよ」
「まじかー。あと十円あったらちょうど小銭だけで買えるのに……」
スニーカーに視線を落として唇をとがらせている。
「千円札使いたくないよ〜」
理沙は、田舎から転校してきたわたしと真っ先に仲良くしてくれた大切なクラスメイトだ。そんな友達の嘆いている様子に、頭の中で豆電球がピカリときらめいた。小学校の頃よくやっていた裏技を思い出したのだ。野生児のようにたくましく生きてきたわたしは体に染みついている。こんなとき、どうするべきなのか。
「任せて!」
もはや本能だった。
片手を地面に下ろして、寝そべるようにしゃがみこんだ。手のひらを重心に頭を水平に傾けていく。砂利が触れるか触れないかの微妙な距離までほっぺたを近づけた。目の前には自動販売機とアスファルト。そして、二つの間にある数センチ程の暗闇だけ。
なぜなのか、ここには反射的に大人を遠ざけてしまう得体の知れない力が宿っているらしい。
どうやら雰囲気はある。チャンスとみた。
わたしは、片手バランスでも始めるかのような体勢で、薄っすらと広がる隙間の中にのぞきこむ。なんの。友情のためだ。少しくらい不格好でもこんなのへっちゃらだ。道路を歩く人たちには、地平線を読み取る探険家のように映っているかもしれない。わたしの両目はまるでサーマル暗視スコープ。
レーザーのごとく走る視線があっという間に暗闇を制圧した
――そこはミクロな無法地帯――
「あったよ」
大きな声が地を駆け抜ける。
見つけたのだ。散らかったゴミや雑草、数匹の蟻やだんご虫にまぎれて眠っている茶色のコインを。ガサガサと自動販売機の股ぐらに手をしのばせそれを救出した。
「やったあ!」
頬が弾むのと一緒に体も跳ね上がった。
小さく彫られた数字に目が留まる。薄く汚れてホコリまみれだった。でも、それが一体どうしたっていうんだ。大昔に隠された埋蔵金だって似たようなものじゃないか。それに田舎のばあちゃんも言ってたぞ。捨てられた物には魂が宿るんだって。きっと無責任な大人に見捨てられたこの子は、何年も孤独な時間をこんな薄暗い蛮地で過ごしてきたのだろう。
遅くなってごめんね。ねぎらうように優しく息をはきかけた。
すると、たちまち止まってしまったはずの時間が動きはじめる。朝方の陽射しを浴びた銅の化身は、一瞬、手のひらの上で朱色に輝きを放ったのだ。
異世界の硬貨でも眺めているような不思議な感覚がわたしの中に溶けていく。
これから、この子は果てしない時間をかけて、日本中を旅することになるのだろう。きっと、どこにだって行けるはずだ。血液のように、街から街へと、日本各地を結ぶいくつもの道路を渡って、人から人へとお金は繋がっていくのだから。
北は択捉、南は沖ノ鳥島まで、色や形、情緒や匂いといった自然風土が全く違う環境を過ごし、そして、いつの日かわたしの元へと帰って来るのだろう。そう思うと、なんだか笑顔が止まらなくなった。
「はいっ十円。これ使っていいよ!」
「え……」
理沙は、見てはいけないものを見てしまったというように、口を大きく開けてたじろいでいた。
「10円」 @aika02
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