第51話:平和な『夕食』

『スパイさんの晩ごはん。』

第四章:戦争と晩餐。

第九話:平和な『夕食』


あらすじ:マートンは絵が下手。

------------------------------



キラキラと光る噴水の広場で、私は右手のクレープに舌鼓を打った。初めて王都に来たあの日、スリに遭って食べられなかったあのクレープだ。その後、金が貯まってすぐ探したのだが、屋台が見つからずに諦めたのだ。


ずっと食べ損ねていた味は想像以上に美味かったのだが、私の心はここに無い。とめどなく溢れる水は豊かさの象徴で、枯れる姿など想像できない。


「安いよ、安いよ!」

「あら、良いチーズね。おいくら?」

「串肉はいらんか〜!」


活気のに包まれた広場には人出が多くて、どことなく皆が嬉しそうに見える。いや、尾行が付き、いつ命を狙われるか判らない自分の身を案じて過敏になっているだけだろうか。疑心暗鬼になっているからと言って視線を動かしすぎては怪しまれる。


水も食べ物もも豊かな国。逸らした視線の先には平和な空。雲ひとつなく、ただ雲雀だけがピーチクと飛んでいた。


「レモンティーで良かったかしら?」


駆け寄るターニップの手には二つのカップが握られていた。湯気の昇るカップは片方にレモンの輪切りが添えられていて、片方はミルクで白く濁っている。私がレモンティーを選ばなければ、彼女はミルクティーを私に譲ってくれるのだろうか。いや、きっと譲ってくれるのだろう。そういう娘だ。


ちなみにクレープの屋台もターニップが探してくれた。彼女は『婦人相互自衛会』で活躍しているらしく、最近できた友人に話を聞いたそうだ。


「ああ。ありがとう。」


私はターニップからレモンティーを受け取り、代わりに預かっていたクレープを返した。もちろん、私が食べかけた奴じゃない。クレープは私がニ人分を買ったのだ。


「先に食べるなんてズルいわ。」


「すまない。待ち切れなかった。」


怒りながら笑うという器用な表情のターニップは、私の隣に寄り添って座ると自分のクレープにかぶりつく。触れた二の腕から彼女の体温が伝わるので、私は体を硬直させるしかない。この距離では大家の娘とその住人だと言っても誰も信じてもらえないだろう。



なぜ、ターニップとクレープを食べているかというと、事の発端は老メイドに饗されたあの夜、チキン先輩と別れてアパートに帰った時になる。


チキン先輩に指定された店に寄り、私の身代わりとなって尾行されてくれた仲間と交代した。尾行が戻ってくるのを確認して、ふらふらと酔ったふりをしながら帰路に就いた。


そこまでは順調だった。


私がアパートに戻ったことを尾行が確認しただろう気配がした後に、階段を登ったのだが、ニ階の踊り場に仁王立ちになったターニップが待っていた。


「お昼には帰ってくるって聞いてたのに、どこに行ってたのよ?!」


ターニップは私が王宮から解放される時間を黄な粉豆の少女たちから聞いて知っていたらしい。その黄な粉豆の少女たちは『旅のウサギ屋』のシャロットを通して『ツーク・ツワンク』の老人たちから聞いたのは想像に難くない。


「今回の件で世話になった知り合いに会いに行っていた。」


実際は老将軍の屋敷に忍び込んでいたのだが、本当のことを言うわけにもいかない。それに、『ツーク・ツワンク』に寄って老人たちの相手をしたのは本当で、老メイドの話では彼らが世話をしたことになる。


「せっかく、ご馳走を作って待ってたのに。」


「すまない。」


知らなかったことなので謝る必要もないのだが、私を待っていてくれたことが嬉しい。


「もう、本当に心配したんだからね!」


「すまない。」


目の端に涙を浮かべるターニップを見ていると居た堪れなくなる。私が王宮に軟禁されていることは彼女にも伝わっていると思っていたが、解放される時間まで細かく聞かされているとは思っていなかった。過ぎたお節介をした老人を恨みたくなる。


「罰として、今度の休みは付き合ってよ。」


「しかし…。」


今の私には尾行がついている。本来ならすぐにでも王都から逃げる算段を整えるべきだが、チキン先輩にオックスの指示を待つように釘を刺された。


現状は尾行をされていること以外の実害はないし、曲がりなりにも私には同じく王都に潜んでいる仲間たちがいる。ターキィと取引ができるのも私だけだし、命の危険がない以上は仲間たちとの連携を優先させるべきだと。


どのみち、逃げる時には私に付いている尾行を撒かなければならない。のんびりと害のない人間を演じて、警戒を緩めるのを待つのも一つの手だ。


「お詫びに夕食を奢ってくれてもいいのよ?」


「ああ…。」


私はターニップの誘いに乗った。


毎日のように顔を会わせているから自然な流れを作れるし、事情を知らない彼女なら私の素性が漏れることも無い。


彼女を巻き込んでしまうことになるが、万が一には『ツーク・ツワング』の老人たちがいる。他力本願になるのも、借りを作るのも嫌だが、経緯を知っている彼らなら、きっとターニップを悪いようにはしないだろう。


本当にすまない。


幸せそうにクレープを頬張るターニップの横顔に心の中で詫び続けていると、意外な言葉が耳に入ってきた。


「おい、聞いたか?」


「ああ、フォージ王国との戦争に勝ったんだろ!」


「さすがスプラウト将軍様だぜ!」


「ほんと、どうやったらたった数日でフォージを落とす事ができるんだよ。まったく。」


それ以降の言葉は聞き取れなかった。いや、彼らの言葉の途中からだんだんと目の前が白くなり、何も感じられなくなっていた。戦争に勝った。誰が?老将軍が?つまり、私達は負けたのか?その言葉が信じられなくて、同じ疑問がぐるぐると堂々巡りをしていた。


「どうしたの?」


「いや、戦争に勝ったと聞こえたんだが。」


「ああ、今朝早くにお触れが出たみたいよ。今度、スプラウト将軍が帰ってきた時に大々的にパレードを催すから、みんなで参加して欲しいって。」


今朝の私は遅く起きた。久しぶりに安心して眠れる部屋に使い慣れたベッドだというのに、仕事の無い今日からの暮らしをどうするか迷ったり、ターニップを利用する事をの自問を繰り返して眠れなかったのだ。


「だから、今朝からもう街はお祭り騒ぎなのよね。」


街中が活気づいていてのは気のせいではなかったようだ。戦争が終われば、多くの人間が王都に戻ってくる。それは家族か友人か、それとも恋人か。


戦争のための特別な税は廃止され、兵士に優先された物資の徴発も消える。過度の徴兵も無くなるし、人が多くなれば活気が増して、経済がまわり物価も安くなる。


浮かれない人間はいないだろう。


勝った国の人間は。


「でね、でね、前から気になっていたお店がバーゲンをするって看板が出てたのよ。」


ターニップも例に漏れず勝った国の人間である。私の気持ちを知りもしないで笑う。いや、私が彼女に悟られないようにしているのだから、彼女の責任では無いのだ。


だが、戦争に負けたのなら事態は一変する。


さっきまで私が考えていた事の前提が崩れたのだ。


ターニップに引き摺られるまま賑わう街で買い物をし、夜には割引となったレストランで豪華なディナーを摂った。だが、まったく街の景色を覚えていないし、どんな料理をでどんな味だったのかすら覚えていない。


「また、次の休みも一緒に出掛けられるかしら?」


「ああ、しばらくは暇を持て余しているはずだ。」


「そう言っても、貴方ならすぐ新しい仕事をしてそうだけど。」


私が疑われて王宮の仕事を干されたという話をしても、ターニップは全く動じることも無く、それどころか会える時間が増えるのねと嬉しそうに笑った。


私にその笑顔は眩しすぎた。


オックスの指示はもう待たない。


戦争に負けたのだから、すでにフォージ王国の後ろ盾はなく組織として崩壊しているし、その時には各自の判断で動くようにと指示が出ている。


私がこの街に残る理由はひとつも無い。いや、獅子身中の虫としてバスケット王国からも、もう役目が終わったとして口封じのためにフォージ王国からも暗殺の命令が下されている可能性さえある。


一般人のターニップを巻き込む可能性は低く、彼女が横にいるうちに襲ってくる可能性は低いが、さっさと尻尾を巻いて逃げた方が良いだろう。


平静を装って名残惜しそうにするターニップを送り届けると、私は逃げる準備のために部屋に戻った。


部屋にある少ない荷物をかき集める。


仕事を斡旋してくれるような知り合いのいない街で金を稼ぐのは容易では無いので、数着の服にターニップから買った猫のマグカップなども大したものでは無いが道中で売って路銀の足しにするのだ。


有り金を集めて傷だらけのトランクに詰め込むために隠しポケットを開くと、そこには一通の手紙が入っていた。


『私が戻るまで待っていろ。

その間の命は保証する。

追伸:ツークツワングの老人たちをよろしく。

              スプラウト・ブラッソーニ』


部屋は荒らされた形跡もなく鍵も壊れていない。どこから入ってきたのか知らないが、老将軍の家紋が押された手紙は誰にも知られていない隠しポケットに入っていた。


わざわざ命を保証すると書いてあるのは、言い換えれば老将軍が指定する日の前に逃げたのなら、命を狙うぞとの脅しでもあるだろう。


どうやら、私は質の悪い老人から逃げられ無いようだ。



------------------------------

次回:最後の『晩餐(前菜)』



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る