第50話:老人たちの『涙』

『スパイさんの晩ごはん。』

第四章:戦争と晩餐。

第八話:老人たちの『涙』


あらすじ:老メイドは肉食系。

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私は老将軍のメイドたちを置いて秘密の抜け穴から屋敷を後にした。老将軍の屋敷を門から出ては同じ轍を踏むことになる。


屋敷を門から出たあの日、門番のラデッキオは私に『アンタは門から入ったんだ。忘れるなよ。』と忠告をした。彼だけが屋敷を見張っているのなら、嘘の報告をすれば済むはずなのに。


つまり、彼以外にも屋敷を見張っている人間がいる。もう王宮に軟禁されるのも尋問されるのもこりごりだ。


それに、少しだけ『ツーク・ツワンク』に用がある。


老メイドから老人たちに優しくしておくように忠告されたからでは無いが、挨拶くらいはしておいた方がいいだろう。仮にも私を開放してくれたのだ。


どうせ、この後の予定は無い。


しばらくは王宮の仕事に戻れないのだ。


解放されたてすぐに上司であるアーティチョーク閣下へと報告に行ったのだが、私はしばらく暇を出されたのだ。どういった理由であれ、疑惑のある人間を機密の多い王宮の仕事に就かせるわけにはいかないそうだ。


そのうち、連絡をよこすと言っていたのだが、それがいつになるか判らない。


それに、老メイドにはアパートが解約されてないか心配だと嘯いたが、数十日ていど空けたくらいでは解約しないと信じている。


私が軟禁されていたということは、たぶん、大家のラディッシュに伝わっているはずだ。王宮からも私の身辺調査が出ているだろうし、色々と知っていそうな『ツーク・ツワンク』の老人たちがお節介を焼かないわけがない。


私は秘密の抜け穴を出ると、何食わぬ顔で『ツーク・ツワンク』の二階へと登った。


「おお、マートン!」

「最近見なかったじゃないか。」

「さっさとこっちの席に座れ、今日こそ勝つからな!」


出迎えてくれた彼らは、何事も無かったように私を卓に迎え、そして当然のようにゲームを始めた。彼らの誰が私を外に出してくれたのか解らない。もしかすると一人では無いかもしれない。私も何も言わずに彼らのゲームに付き合った。


彼らとのゲームもこれが最後かもしれない。


ターキィが私たちを裏切ったのだ。彼がどれだけの情報を流したのかは知らないが、少なくとも彼は私に面会に来ている。彼を雇ったバスケット王国の人間には私の素性が知られているだろう。


なら、逃げることを考えねばならない。


私は老人たちに勝利するたびに酒を頼んだ。老将軍の屋敷でワインは口にしていたが、老メイドの前では酔えなかった。あの人を相手にしていると、自分のペースが乱れる。そして、いい加減に酔っぱらったところで、私は『ツーク・ツワンク』も後にした。


「鬼!」

「悪魔!」

「人で無し!!!!」


涙を流す老人たちは『ツーク・ツワンク』扉の外まで追ってきて盛大な見送りをしてくれる。私が彼らの言葉を聞き流して、ふらふらと千鳥足で歩いていると、不意に腕を取られ暗闇に引きずり込まれた。


「良いんスか?あんなに怒らせて。」


チキン先輩が私に接触してきたのだ。先輩は酔っぱらってふらつく私に肩を貸すフリをしながら、噴水のある広場へと導くと座らせた。


月明かりに照らされた見通しの良い広場には誰もいないので、誰かが近づけばすぐに解る。だが、チキン先輩はそれでも警戒しているのか、介抱するふりをして顔を寄せている。


「問題ない。いつもの事だ。」


老メイドには負けるように言われたが、老人達だって伊達に一日中ゲームをしているわけではない。私が手を抜いていれば判るだろうし、勝ちを譲られたらきっと怒り出す。直接の感謝の言葉はもっと嫌がるだろう。


「ならいいッスけど。」


「それより、私といっしょにいたら先輩も巻き込んでしまう。」


今の私には確実に尾行が付いている。お節介な老人たちが動いたとはいえ、解放した私を野放しにしないだろうし、実際に何度か気配も感じた。


『ツーク・ツワンク』の老人たちがどれだけの権力を持っていようとも、いや、権力を持っているからこそ、何かあると感じて私を追っているのだろう。少なくとも私ならそうする。


「大丈夫ッス。マートンに張り付いていた人には違う人を追いかけてもらってるッス。」


チキン先輩も私についている尾行に気が付いていたらしく、知り合いに頼んでしばらく私の身代わりになってもらっているそうだ。私が安堵すると、チキン先輩は小さな紙包みを広げて見せた。


「それより、この絵は何スか?」


包みの中には干した杏子の実とクルミが入っていて、その上には私が黄な粉豆の少女に託した先輩へのメッセージの紙切れがちょこんと乗っていた。


たぶん、他にも尾行がいるのを警戒して、酔った私に甘味を渡しているように見せかけるために杏子の実を用意したのだろう。私は先輩の開いた紙包みから杏子の実をひとつ摘まんで口に運んだ。


美味い。


酔った頭に甘味が広がって、思考が冴えていく。


酒を飲んだ後には無性に甘い物が欲しくなる時がある。甘酸っぱい杏子の実を漬けこんだ酒もあるくらいだ。酒に合わないわけが無い。だが、同時に不味くもある。先輩が危険を冒して接触してきたという事は、私の暗号は伝わらなかったという事だ。


「ターキィが裏切った。」


私が端的に報告すると、チキン先輩は目を丸くした。


「ああ、これは七面鳥の絵だったッスか!」


「何に見えたんだ?」


小さな紙には誰がどう見ても解るように、首の二つある七面鳥の絵が描いた。裏切ってニ重スパイになったターキィを模して私が苦悩の末に考えた暗号だ。


「えっと、オックスは蝶じゃないかって言ってたッス。クエイルは双頭の鷲でどこかの家紋じゃないかって推理してたッス。惜しかったッスね。」


「先輩は?」


「え?」


「先輩には何に見えた?」


「…猫の足跡?」


「……。」


私が問い詰めると、観念したチキン先輩は消えるような声で呟いた。いくら、軟禁された部屋で暖炉の炭で描いたとはいえ、誰にも伝わっていなかったとは。


「いや、大丈夫、今はちゃんと七面鳥に見えるッス。大丈夫っス。鳥さんッス。」


「責める気は無い。それで、私を信じるか?」


言い訳をするチキン先輩を責める気は最初から毛ほども無い。もしかするとターキィにも見られるかもしれないと考えて、普段から使っている暗号を使わなかった私が悪いのだ。


それよりも、チキン先輩、ひいてはオックスやクエイル、他の同士たちが私を信じるのかが問題だ。ターキィは情報部では有望視されていた期待の新人。対して私はただの文官で、同じ国の同士ではあっても彼らの身内だったわけでは無い。


信頼に足るのはターキィか、私か。


だが、心配する私をチキン先輩はキョトンと不思議な目で見つめてきた。答えが解り切っている事を尋ねられて、どんな返事をすれば良いのか解らないような。


「え?ターキィが裏切ったんスよね?」


「ああ、だが、私が嘘を吐いている可能性もある。」


私からするとターキィに直接裏切るように勧められたので事実に間違いが無いが、チキン先輩からすれば私の証言のほかに、物的な証拠はない。


「マートンに何の得があるッス?」


「いや、個人的な恨みで嫌がらせだとか、実は私が二重スパイだとか、色々だ。」


「マートンはそんなことしないッスよ。」


チキン先輩は教えてくれたが、私たちをまとめるオックスが私の仕事を高く評価していたらしい。


私の報告書は、王宮からの情報はしっかりと裏付けを取っていて間違いが無く、追記されていた考察も視点が広くて問題点だけではなく、改善点、改善方法まで記されていて報告書としての隙は無く、そのまま本国へと転送するだけで良かったと。


文官勤めだった私としては特に大したことを考えてやっていた訳ではない。当たり前の事を当たり前のようにやっただけなので、面と向かって評価されると気恥ずかしい。


だが、真面目な仕事の繰り返す私をオックスが信頼してくれた。


リーダーの信頼は他の仲間にも伝播し、個人的に仲良くなったチキン先輩やクエイルの評価も仲間たちに伝わった。対してターキィは部署的には身内とはいえ、最近まで遠いフォージ王国に居たので付き合いは短い。


「あの掴み処のないスプラウト将軍と接触できたのもすごいし、クエイルが気を許すのも珍しいッス。自分も黄な粉豆の少女たちと仲良くなれて、大助かりッスよ。」


私としてはチキン先輩に黄な粉豆の少女たちを押し付けた形で申し訳ない気持ちだったのだが、先輩は彼女たちと協力して、運び屋の手を広げる計画をしていたのだそうだ。


「心配しなくても、マートンは自分の有能な後輩ッス。壊滅的な絵心の持ち主だったという新発見を除けばッスけどね。」


からからとチキン先輩はいつもの童顔で邪気に笑う。私は紙包みの上に乗った猫の足跡が描かれた紙切れを噴水の池に沈めると、柔らかく乾燥した杏子の実をクルミの実といっしょに鷲づかみにする。


上を向いて頬張ると、やけに綺麗な月が滲んで見えた。



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次回:平和な『夕食』


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