第48話:『若いもの』と熟したもの

『スパイさんの晩ごはん。』

第四章:戦争と晩餐。

第六話:『若いもの』と熟したもの


あらすじ:老メイドに伽を提案された。

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頬を染めて俯く若いメイドはターニップより若いだろうか。下手をしたら黄な粉豆の少女たちと同じくらいかもしれない。


だが、この若さで貴族の屋敷で働いている少女だ。老将軍が幼女趣味でもなければ、紹介状をもらえる程度に家柄がしっかりしていて、実力のある優秀な者に違いない。


その少女に伽をさせる。


伽とは…、夜伽だよなあ…。


まさか、いい加減に大きくなった大人に添い寝してお伽噺を聞かせるなんて可愛らしい話だとは思えない。いや、目の前にいる若いメイドは私なんかにはもったいないくらいに可愛らしいのだが。


いやしかし、若すぎないか。


それに、こういうのは本人の意志を尊重すべきである。若いメイドが顔を赤らめたとはいえ、それは伽を予想してのことで、私に好意を持っての事ではあるまい。


私が宙に彷徨っていた視線を再び若いメイドに向けると、彼女はうつむいたまま耳まで真っ赤に染めていた。やっぱり、私なんかでは嫌と言う事なのだろう。


「それとも、私の方がよろしいのかしら?」


老メイドが顎に人差し指を立てる可愛い仕草で、とんでもないことを言い出した。全体的に白い髪の彼女はすでに子供を産める歳ではないだろうに。やはり、私はからかわれていたようだ。


「いたいけな少女を巻き込むのはよろしくない。」


私がからかわれる分には耐えればいいだけなので構わないが、若い少女を巻き込むのは年配の者として考えものだと思う。あのクソジジイ達と同列なのだ。まあ、それ以上に、からかわれた仕返しに何か一言文句を言いたかったのだが。


「あの、私は嫌じゃないです!」


耳を真っ赤にして俯いていた若いメイドが踏み出して、私と老メイドとの間に割り込んだ。私はびっくりして目を白黒させるのだが、彼女の面持ちが真剣なので目をそらせない。どうやら本気の様なのだが、私には彼女に返す言葉が見つからない。


「ほほほ、話どおり可愛らしい方ね。」


老メイドが話に割り込むと、若いメイドが少しだけ彼女を睨んだ。どうやら本当に、私の相手をするのが嫌では無いらしい。かといって、私が幼気な花を手折れるかは別だが。


「さあ、料理を用意しますから、少し待っていてくださいな。」


「いやしかし…。」


「こちらに用意ができています。」


言い淀む私の袖を若いメイドが引っ張った。そのまま館の四角い中庭に連れていかれ、白いクロスを敷いたテーブルに有無を言わせずに座らさせた。若いメイドは一度立ち去り、しばらくするとボトルとグラスを乗せたワゴンを押して戻ってきた。


私が今日来るとは予想していなかっただろうから、料理の準備をしていたわけではなかろう。トクトクと注がれた古そうなワインは食前酒で、それに合うように私が好む生ハムでチーズや野菜を巻いた物を綺麗に並べたものは前菜だそうだ。


「簡単な物で申し訳ありませんが、料理が出来上がるまで少々のお時間を頂きたく。」


謙遜されるが絶対に美味しいに決まっている。のだが、隣に変な緑色の豆が山のように添えられていた。鞘に入っている姿は大豆とは似ても似つかないが、これが老メイドの言っていた『枝豆』らしく、隣には水の入ったボウルが置かれた。


私さっそく添えられたフォークで枝豆を突き刺したのだが、その前に止めらる。枝豆は指を使って食べるもので、隣にあった水のボウルは汚れた手を洗うためのフィンガーボウルなのだそうだ。


若いメイドは実演をするためにワゴンに別の皿に用意していた。細やかな教育がなされているのだろう。客人の皿に手を伸ばすのは失礼だと、事前に用意をしていたのだろう。


「こうやって膨らんだ部分を指で押すと簡単に豆が取り出せます。」


枝豆を細く柔らかそうな手で摘まむと、緑色の豆が皿に飛び出してくる。鞘に入った豆はいくつか見たことがあるので私も想像はできていたが、出てきた豆はぷっくりと大豆よりも大きくて、別の豆だと言われても納得してしまいそうだ。


「これが本当に大豆なのか?」


「ええ、これが成熟すると見慣れた大豆になるそうです。」


若いメイドはそう言うと、別の枝豆の鞘にピンク色の唇を付けて膨らみを潰した。なるほど、そうやって食べれば豆をスプーンで掬う手間が省けるのか。私が鞘から豆を外す時は、大抵がその後に調理が必要だったから。口を付けるというアイディアは新鮮だ。


私も彼女に倣って『枝豆』に口を付ける。


鞘から塩味が染みてきて、膨らみを潰すと勢いよく豆が口の中へと飛び込んだ。あやうく喉の奥に痞えそうになったのだが、舌を動かして何とか奥歯へと持っていく。


美味い。


豆自体の塩味は薄いが、芳ばしい大豆とは思えない爽やかな甘味に、鞘から飛び出してくる塩気が調和する。


枝豆はこの食べ方が正解だろう。食べやすいようにと豆を鞘から出してしまっては鞘からの旨味が味わえず勿体ないから、わざと鞘ごと給仕してくれたのだ。プチプチと鞘を潰して豆を放り込む作業が楽しいのだ。


私はワインとの相性を確かめるのも忘れて、枝豆を潰す作業に没頭する。若いメイドはクスリと笑い、先ほどの説明とは打って変わって蚊の鳴くような声で言った。


「あの、旦那様に立ち向かっていく姿がカッコよかったです。」


ポッと再び赤らめる若いメイドは美しくて、私は思わず口にした『枝豆』を吹き出しそうになった。あの日この屋敷にいた彼女は、私と老将軍の一騎打ちをどこかから見ていたのだろう。


だが、あの時の私には他に選択肢が無かっただけの事である。


老将軍は絶対に私を傷つけない。そして、負けても老将軍は特に大した要求はしない。それを確信していたからこそ、私は立ち向かえたのだ。勇気なんてこれっぽっちも無い。ただの打算を駆け合わせだけ。


そう、私は彼女に気に入られるような事は何もしてないのだ。


とはいっても、私にだって多少なりのプライドはあるし、若い少女を幻滅させる勇気は無い。どうしたものかとプチプチと枝豆を押し潰しているうちに、返事をするタイミングを失って私達の間に沈黙が流れる。


何か若いメイドの興味を引きそうな話題があれば飛びつくのだが、生憎と彼女も耳を赤くして口を閉ざしたままだ。普段ならターニップやシャロットが相手で、適当な話で間を潰してくれる。クエイルなら怒り出すかもしれないが、それでも、説教をきっかけに話題を作るだろう。


若い少女はどんな話題が好きなのだろうか。ターニップやシャロットには聞けないので、黄な粉豆の少女たちにでも、なにか話題になるような話を聞いておけば良かった。


私は口いっぱいになった『枝豆』を何とか咀嚼すると、落ち着いた色のワインで流し込んだ。


若いメイドが注ぐボトルに貼ってあるエチケットの文字が掠れている。つまり、文字が掠れるほど熟成させた古いワインなのだ。もう少し味わって飲まないと勿体ないのだが、今の私にはその余裕が無い。


少し苦い気がするのは、状況のせいだ。


私は注がれたままごくごくとワインを煽る。飲んでいる間は喋ることができないから。だが、グラスはすぐに空になる。


グラスを机に置くと、若いメイドは何事も無かったように静かにワインを注いでくれる。いや、整った横顔をよく観察すると耳の先はまだ赤味が差していた。


「失礼しました。戯言だと思ってお忘れください。」


そう言われると何か私が悪いことをした気分になる。何も悪いことをしていないと思うのだが、いや、彼女の想いを無下にしてしまった。何もしてないから悪いのだろう。


しかし、彼女は敵国の人間でそれも老将軍に近しい者である。


クエイルならこれ幸いに情報源にしたりするのだろうか。いや、彼女は真剣な者には真剣に対応する。私のような男でさえウドン屋で叱ってくれたではないか。


思考はぐるぐると詮無いことを思いつくが、ともかく、私は彼女に早く何かしらの言葉を返すべきだろう。彼女の少なくとも彼女に謝罪をさせてしまった詫びくらいは。


私は言葉で詰まった喉のほぐすように視線を巡らせた。だが、とある一点で思わず体が硬くなった。


柱の陰で老メイドがニヤニヤと笑っていたのだ。



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次回:『一流』のメイド




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