第47話:罠と『手管』

『スパイさんの晩ごはん。』

第四章:戦争と晩餐。

第五話:罠と『手管』


あらすじ:門番も二重スパイ。

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私は裏口から入るとプライベートと書かれた扉を何食わぬ顔で開けた。『ツーク・ツワング』から老将軍の屋敷へと繋がる秘密の抜け穴。私は何度も訪れた店の給仕たちの動きを覚えていたので、今の時間に誰も居ないことを知っている。


滑り込んだ秘密の抜け穴私は相変わらず暗い。


だがそれは誰も居ない証拠だ。


私は魔法で爪の先ほどの炎を灯す。老将軍は魔道具を使って秘密の抜け穴を白い光で溢れさせていた。そのスイッチらしき魔法陣が壁に描かれているが、今は明るくするわけにはいかない。


もしかすると、門番の詰所のように、屋敷へと連絡が入るようになっているかもしれない。現に老将軍に案内されて来たときは、若いメイドが屋敷の入り口で待っていた。


私は暗闇の中を行かねばならない。それも慎重に。何かしら屋敷に合図を送る方法があるのなら、他にも仕掛けがあるかもしれない。いくら整った通路でも暗い闇なら、落とし穴や罠にを隠せる。


床の些細な色の違いや、細いワイヤーを見逃してはならない。


忍ぶ自分の足音が、自分の吐く息が、細い通路を木霊して煩かったが、私は難なく通路を突破できた。警戒していたのが馬鹿らしくなるくらい呆気なく突破できてしまったと息を吐くが、これからが本番だと気を引き締めて老将軍の屋敷へと続く扉を開いた。


「お待ちしていました。」


秘密の抜け穴の扉の先に、黒いメイド服の老女と先日の若いメイドが二人、背筋を伸ばして深々と頭を下げていた。何のことは無い。私は待ち伏せされていたのだ。


「気づいていたのか?」


秘密の抜け穴ではできるだけ壁に触れないようにしていたし、ワイヤーなどのトラップにも気を付けていた。考えられるとすれば、ラデッキオから連絡が入っていたのだろうか。いやしかし、彼から連絡が入っていたとしても、秘密の抜け穴から入るとは考えないだろう。


「向こうの隠し扉を開けると、こちらのベルが鳴るようにできております。」


私は壁に描かれた魔法陣や目に見える罠にばかり警戒していたが、そもそも隠し扉自体に細工を施していたらしい。確かに、明かりを点ける侵入者はいないだろうが、開け方さえ知っていれば簡単に開けられる扉を、音を立てて壊して侵入しようとする者はいないだろう。


「私を役人に突き出すか?」


「いえ、旦那様から貴方を持て成すように仰せつかっています。」


「老将軍は何と?」


代表するつもりなのか、老メイドが一歩前に出て答えたがしかし、結局のところ混乱の元が増えただけだった。なぜ、老将軍は私を待たせたのか。老将軍は私が忍び込むと考えたのか。彼女たちが並んでいる理由が解らない。


「その前に場所を移してもよろしいでしょうか?お迎えした人に立ち話をさせてしまったとしては旦那様が笑われてしまいます。中庭にお茶と軽食などを用意いたしましょう。」


誘われた中庭は先日、老将軍と相対した場所だろう。周囲を屋敷に囲まれていて外から中を覗く事はできない。そして、立ち合いができるほど広い中庭は、強襲されても逃げる事ができる。まぁ、二人のメイド以外の人間が屋敷に潜んでいるとは思えないが。


そして何より、そろそろ昼食の時間だ。


私は王宮から直接この屋敷に来た。王宮に軟禁されていた私は好きな物を食べられず、その上、連日のように美味そうな料理を目の前で美味そうに食べられた。しかも味噌まであったのだ。


私は飢えている。


そして、この老メイドは『ツーク・ツワング』のレシピを管理している。あの私の好きな生ハムを作った人物。老将軍が私を持て成すように言いつけたなら、彼女は私の嗜好を知っている。あの日、老将軍の屋敷に泊った日も素晴らしい食事を食べさせてくれた。


だが、一方で待ち伏せされていた事実が頭を掠める。老メイド、いや、老将軍の目的が解らない。ならば出直すのもひとつの方法だ。いや、この落ち着かない雰囲気から逃げ出すためにも、仕切り直して、自分のペースを立て直す方を優先した方が良いかもしれない。


「ちょうど枝豆を貰いましたの。生ハムと和えてパスタなどいかがでしょうか?」


「枝豆?」


いけないと思いつつも、私は知らない食材の名に思わず聞き返してしまった。こういう時は最初からきっぱりと断らないとずるずると相手のペースに引き込まれてしまうのに。


「大豆をまだ緑の若いうちに収穫したもので、塩茹でにしただけでも美味しゅうございますよ。」


大豆なら見たことがあるが、それは茶色く乾燥したもの。石臼で挽いて黄な粉にし、その黄な粉でパンを作った自分としては知らないわけが無い。しかし、大豆の実りが緑の頃は見たことが無い。


農業が発達しているこのバスケット王国とは違って、私の故郷、フォージ王国は貧弱だった。パンを作る麦などの穀物が主流で、ほとんどの大豆はバスケット王国からの輸入に頼っている。


生の豆は馬車で運ぶうちに腐るし、水分があれば重くなりるので流通に向かない。大豆だけでなく、レンズ豆やひよこ豆などの他の豆も乾燥させて運ぶ以外の方法はない。


危機感はあるのに、心が惹かれる。


大豆とは私の愛してやまない味噌の原料である。乾煎りしただけでも美味いのに、黄な粉の原料にもなる。最近はパンにもなった。もしかすると、わが国でも農家の人は当たり前のように食しているかも知れないが、新しい食べ方に惹かれないわけが無い。


この国に来てから色々な食べ物に出会った。


今日のこの新しい出会いも、私を感動させる予感がする。


「生ハムと枝豆ときたら、お茶よりもお酒の方がよろしいかしら?地下には埃の被ったワインがゴロゴロしていますし、酔いつぶれても部屋はいくらでも余っていますわ。」


喉が渇く。


地下にゴロゴロとしているというワイン。ワインは室温が低く湿度も安定している地下に置くと長く保存できるのだが、市井では地下を掘れるほど裕福な店は少ない。たまに常温で保管していて酸っぱくなったものが出てくるくらいだ。


だが、老将軍は地下を掘らせて適切に保管しているらしい。貴族である老将軍が適当に混ぜたハウスワインを買う訳がなく、埃が被っているというのも買ってからも長い時間熟成している証拠だ。


その高級なワインを私の好きな生ハムに合わせて食べる。


王宮に軟禁されていた間の自由は無かった。もちろん酒など論外だ。もしかすると、もうしばらく軟禁されていたならば、カツ丼や味噌などと同じように、酒や甘味などの嗜好品も取引の材料にされていたかもしれない。


「それとも、蒸留酒の方がお好みかしら?」


次から次へと示される魅惑的な提案は、まるで蜘蛛の糸に絡めとられるような感覚さえする。美味しいエサにつられてのこのこと相手の提案に乗れば、そのまま絡めとられて喰われそうな。


しかし、そのエサはとびきり美味そうだ。


老メイドの眼鏡の奥の瞳が煌めく。


ただの生ハムでさえ美味いと感じるのに一流の料理人が私のために特別に腕を振るってくれるという一級の料理に変えてくれる。この機会を逃したら、他では一生味わうことができない。


味噌には及ばない。


がしかし、絶対に満足させられる自信がある。『ツーク・ツワング』の料理で舌鼓を打たなかった事なんて無いのだ。だが、エサが美味そうであればあるほど、危険は大きいものだ。


悩む。悩む。悩む。


美味い食事の後には、老メイドも私の質問に答えてくれるだろう。だが、それが老将軍の真意とは限らない。逆に食事も情報もエサで、その後にとんでもない無理難題を言われる可能性の方が高い。私の苦悩を察したのか、老メイドはニッコリと微笑んで付け加えた。


「独り寝が寂しいのでしたら、伽も付けましょう。」


老メイドの言葉に、若いメイドが顔を赤らめた。



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次回:若いものと『成熟したもの』


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