第9話:クエイルの『おとうと』

『スパイさんの晩ごはん。』

第一章:敵の国でも腹は減る。

第九話:クエイルの『おとうと』


あらすじ:薄味ばかり。

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かび臭い部屋に篭もり私はさらさらとペンを動かした。窓をあけてもなお暗い部屋は、『千鳥足の牡牛亭』の3階にある宿の一室で、先日、私が泊った部屋だ。いくら客が少ないとはいえ、裏の仕事を一般客も来店するかも知れない酒場でするわけにはいかないから。


オックスに頼まれた仕事自体は文官をしていた私にはありふれたものだった。退屈さえも。


どこかに潜入している同胞が盗み見た資料がいくつかに分かれた覚書きとして渡されたので、整理して清書するだけ。ただ、オックスが溜めこんでしまっていたのか、いくつかの潜入先からの資料が混じっていたが。


潜入している同胞がまとめた方が早いのだが、彼あるいは彼女には潜入先の仕事もある。覚書きを手元に置いておくのも危ないので、こうして安全な場所で別の仲間が報告できる形に直ししているそうだ。


資料をまとめて清書するのは文官としては基本の作業。


貴族が思いつくままに話した四方山話を、頭を悩ませて整理するよりも簡単だ。


並べる順を重要そうな順にするか、文字の順にするかでしばらく悩んだが、結局、数字の大きい順にする事で決着をつけた。与えられた仕事は簡単だったが、渡された覚書きは量があり、文字にもクセがあって少し読み取りに苦労した。帳簿をまとめ終わった頃には空が赤く染まるくらいは。


ひと仕事を終えてかび臭い部屋を出ると、オックスの他に人の気配がした。チキン先輩かと少し期待したが、客は一昨日も見た妖艶な美女クエイルだった。仕事の前にこの店に寄るのが彼女の日課らしい。


「終わったぞ。」


「早かったな。」


「そうか?」


「だが、さすがに本業だ、読みやすい。」


「世辞はいいから、早くしてくれ。」


私の作った帳簿をパラパラとめくったオックスが満足して微笑んだ。だが、書類の出来などどうでもいい。文官として食べていた私が書いたのだから、一定の評価を受けるだろう。それよりも約束のモノの受け取りの方が先だ。


「少し待ってろ。すぐに用意してやる。」


「糟は洗うなよ!そのままで、いや増やしてくれてもかまわない。」


糟の舌触りが悪いからと言って、流水で洗い流す馬鹿がいる。糟は糟で味があり、今では糟だけで酒の一杯も呑める。食事をしているクエイルにはクスクスと笑われるが、ここは譲れない所であり、笑われても変える気は無い。


私の熱弁に苦笑いしながらオックスは『ぬか漬け』と緑茶を用意した。指定通りに糟を残してくれた皿からはぷんと独特の匂いが立ちこめたが、それはオーソドックスな胡瓜と、人参と大根が数枚ずつ。


「これっぽっちか?」


「悪いな。これでもこの街では貴重品なんだ。」


これから盛り上がるという物語の後半が白紙であったかのような、ここからさわりが始まるのに歌手が逃げ出してしまった酒場のような。戯曲のクライマックスで緞帳が落ちてしまったような、一抹の寂しさが私を襲う。


「いやなら、これも片づけるが?」


「やめてくれ!これはもう私の物だ!」


私は『ぬか漬け』を守るために肩をオックスとの間に割り込ませて、小さな一切れを口に入れる。独特の香りが鼻につきポリポリと噛みしめれば懐かしい故郷の味がする。深く淹れた緑茶を含むと渋く、塩辛くなった口の中を爽やかに洗い流してくれた。


「『うずらの寝床屋』か…。」


しっとり浸かった糠にパリッとした歯応え。ピリッと刺激する鷹の爪は少なく食べやすくしているが、フォージ王国は王都フォーネスにある老舗の漬物屋の味に近い。少しばかり味が柔らかくなっているのは、遠い道のりで管理が難しかったか、この街の同胞のために食べやすくしているのか。


「ズバリ当てるとは、参ったな。」


気付けば目を丸くした2人に見つめられて、オックスはポリポリと頬を掻いている。漬けた店を当てる程度は、朝飯前というか朝飯中の常識だと思うのだが。


「ねえ、弟は元気でやっているかしら?」


「いいのか?」


クエイルはオックスの疑問を手で制した。彼女の顔をまじまじと見ていると、濃い化粧をしているがどことなく見覚えがある気がしてきた。化粧とは恐ろしいものだな。漬物の違いの方が解りやすい。


『うずらの寝床屋』はフォージ王国の王都で一二を争うほどの老舗の漬物屋で、その名声を知らない者は居ない。私もしばしば店に通ったものだ。


私の記憶が確かなら、クエイルは『うずらの寝床屋』の奥の工房で漬物を付けていた女だと思う。彼女は接客が苦手らしく話す事はなかったのだが、気の良い店の長男と長話をしてしまった際に漬物の上手な自慢の姉だと紹介された覚えがある。その時に買ったぬか漬けも彼女が漬けたと。


だが、そんな老舗の漬物屋にも戦争によって危機が訪れた。


老舗の味を守るためとしてクエイルの弟は兵役を免れたが、それが店を利用しない一般人の反感を買ったのだ。あの店の長男、彼女の弟だけが兵役を免れるのは贔屓だと。


そして、漬物のために数少ない食材を優先して安く回してもらっているとか、軍に賄賂を渡して癒着しているなどと尾ひれ背びれの噂が立ち、経営の危機にまで陥ることになる。実際は、もっと長期保存ができる漬物を開発して、食糧事情の改善に勤めていたのだが。


そこまでの事情を、私はクエイルの弟から直接聞いた。私以外に来る人の無い店先で。


「だが、最近は順調に売り上げを伸ばしているようだった。」


私が語るとクエイルは更に顔を歪ませて化粧を崩しながら自分の過去を語り出した。


弟を戦地に送る代わりに、自分が危険な潜入の仕事に志願する事で店の体面を保ち、同時に軍からの支援を受けられるように交渉したのだと。言葉少なに語っていたが、弟を懐かしむ時にわずかに見せた笑顔には、工房で楽しそうに漬物を漬けていた素朴な女の面影が垣間見えた。


そうして彼女はこの街に来ることになったのだが、どうしても漬物作りは止められなかった。


だが、狭いアパートにぬか床を置いておけば、独特な匂いが漏れてしまう。彼女が毎日この『千鳥足の牡牛亭』に通っているのは、この店の地下に自分のぬか床を隠してあるからであり、今も愛情を込めて手入れをしているからだった。


「仕事の前にぬか床の手入れをするのか?」


夕方に『千鳥足の牡牛亭』に立ち寄ってから出勤すると言うのなら、彼女の仕事は夜になる。あまり、糠の臭いをさせてできるような仕事ではないと思うのだが。


「念入りに浄化の魔法をかけて香水を使えば気付かれないわ。貴方だって判らなかったでしょ?」


崩れた化粧でも妖艶に微笑む姿からは、ぬか床をかき混ぜていた気配などどこにもない。素朴で接客が苦手だったという彼女はどこに行ったのやら。


「ねえ、気分が良いから今夜は私の店まで付き合ってよ。」


「知っての通り、財布を掏られたばかりで収入も無いんだが?」


オックスに仕事は貰ったが女性の付く店で飲み食いするには心許ない。いや、これから先のことを考えれば、節約するに越したことはない。王宮で働いて安定するとは言え、給料がいつになるのか解らないのだ。まさか王宮が日当を支給してくるはずもない。


「奢るわよ?」


「…礼なら、また美味い漬物が食えればそれでいい。」


確かに私が彼女に伝えた情報は遠い地にいる彼女には貴重なものだろう。だが、クエイルには申し訳ないが、せめて自分で何とか出来るだけの手持ちがないと、ああいう店に行った時に不安になるのだ。


「仕方ないわね。この店のお酒でガマンするわ。」


「おいおいおい、ひでぇ言い草だな。仕事前だろ?」


「良いのよ。どうせ飲むんだし。」


我慢すると言われてオックスは苦言を呈すが、すぐに酒を用意した。ちゃっかりと自分の分も注いだオックスが音頭を取って3人で乾杯をした。クエイルの弟の安堵と成功を祈って。


クエイルが選んだのは強い酒。


色々な事を忘れたいのかもしれない。


私はちびりと酒を舐めるとぬか漬けを齧る。礼ならば酒よりもぬか漬けが良かったのだが、この雰囲気を壊すのは野暮だろう。だからあえてなにも言わずに乾杯に付き合った。だが、夜は長い。奢られた酒が半分になった時に『緑茶割り』にして増やすのは許されるだろうか。



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次回:夜のアパートの『仁王』


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