第8話:遠い『故郷の味』

『スパイさんの晩ごはん。』

第一章:敵の国でも腹は減る。

第八話:遠い『故郷の味』


あらすじ:薄味ばかり。

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萎びた食堂たむろする常連客達が珈琲を飲み始めると、私は休憩もそこそこに店を出ることになった。悪い匂いでは無いのだが、どうにも慣れない。


料理も薄味である事を除けば悪くなかったし値段も安い。流行らないのは溜まり場にしている常連客の素行の悪さか。宥める店主に暴言を吐いている姿を見ながらする食事は、例え一流の料理でも不味くなる。


まあ、私には薄すぎたので2度とこないだろうが。


しかし、私は運が良かったとも思う。逆に薄味の国から濃い味の国に潜入していたなら、味を付け加えるなんて荒業はできなかったに違いない。ああ。そう思っていれば、午後も歩く事ができる。味はともかく、腹を膨らませることはできたのだ。食べ物が無くなった時を思えばよほどマシだ。


休め足りない足を引きずって私は裏路地に入り込むと、裏の裏の裏に向かった。ほとんど客の来ない『千鳥足の牡牛亭』なら人目を気にせずにゆっくりできる。ついでに、同じ故郷の同士として味の違いに慣れる方法を伝授してもらおうか。


「そのうち慣れる。」


オックスは私のボヤキを一笑に付した。同じ舌を持つ者同士で慰め合えると信じていたのに、裏切られた気分だ。


「私もここまでの旅程で慣れてきたつもりだが、この街は薄すぎではないか?」


「そんなに薄いか?今のオレに言わせれば、フォージ王国こそ濃すぎたと今は思うけどな。」


この街に来るまでの40日の間に色々な町や村を通った。漁師の住む港町、農民たちの集落に商人の行き交う宿場町。新しい場所で初めて見る食材に目を白黒しながら食べたが、ここまで薄味の場所は無かったと思う。


「早くなんとかしないと、私が塩漬けになってしまう。」


実際の所、塩の魔法で味付けを誤魔化すのも辛いものがある。調味料と言うものはそのバランスが取れた時にこそ美味しいので、塩だけ足しても舌を刺激しすぎる。それに、塩は個体なので混ざり難い。食器を返す時に残っていたら怪しまれるので、最後に塩だけを食べることになる。


そして、魔法を使う時は必ず瞳に魔法陣を映す都合上、見つかる危険性がある。いつまでも怪しまれずに続けることができないのだ。


「慣れれば素材の旨味で満足するようになって、昔の味に戻れなくなるさ。まあ、それまではウチの店に食いに来な。」


『千鳥足の牡牛亭』は裏路地の裏の裏の裏にあるので一般の客が迷い込んでくる事は少ない。それに、事情を知っているオックスが独りで運営しているので、味付けの違う料理を提供しても不審に思われることが無い。


私のように味が合わないと嘆く同胞や、郷愁に駆られる同士は少なからず現れるらしい。誰だって食べ慣れた味が懐かしくなり、恋しくなる。遠い異国で闘う同士のために、オックスは故郷の味を再現する。


そして、濃い味付けから徐々に薄くして、潜入してきた同士がスムーズにこの街に溶け込めるように支援するのも、ここ、『千鳥足の牡牛亭』が食品を扱うひとつの理由だそうだ。


だが、遠い故郷からこの街ではまったく同じ素材を仕入れる事が難しい。戦場を越えて人目を避けて品物を取り寄せなければならない。


つまり、『密輸』だ。


ありふれた梅干しだと思っていたが、値段を聞いて目玉が飛び出る思をした。チキン先輩に改めて礼を言わねばならないようだ。


しかし、私にはまだ求める味がある。


1日と半分をかけて見て回った街には私の味が無いことに気が付いていた。いや、今日の半分は退路の確保が目的だったが、もう半分のほとんどは調味料を探していたと言っても過言ではない。私はオックスに改めて聞いた。探し求めていた調味料の名を。


「『味噌』は無いのか?」


『味噌』は大聖女オヨネ様がもたらした食材の中でも一番の傑作と言ってもいいだろう。『味噌』があればどんな物でも食える自信がある。


鍋に入れてよし、焼いてよし、そのまま野菜に塗るだけでも美味い。今日の目的の半分以上は『味噌』のためで、そのために足を棒にしていたと言っても過言ではない。しかし、この街では奇妙なことに、どの食料品店でも『味噌』を見つけることができなかった。


「残念ながら、この街ではあまり好まれて無いんだ。」


新鮮な野菜が豊富で薄味を好むこの街では、『味噌』の独特な発酵臭を苦手とする者が多いらしい。作っても売れないのでどこの商店でも扱わず、今では市場に出る事さえ稀だそうだ。


「だが、梅干しがあるこの店ならあってもおかしくないだろう?」


「生憎切らしていて、次の入荷の予定は立っていない。」


オックスの非情な断言に私は肩を落とした。故郷の味を取り扱うこの店なら、梅干しのあったこの店なら、密輸を行うこの店なら、あるのではないかという期待があったのだが、戦火の中を運ばれる荷物が安定して供給されないのは理解できる。


「ところで、そろそろ注文はないのか?ここは酒場だぞ。」


私のテーブルには酒どころか、水も出ていない。ありえない事だが、一般の客が来れば酒場で何も頼まない人物がいれば不自然に思うかもしれない。が、ここは『千鳥足の牡牛亭』だ。


「私が財布を掏られたのを知っているだろ?」


酒場と言うのは基本的に値段が高い。それはオックスの店でも、いや、客の少ないオックスの店だからなお高い。狙って安い飯屋で腹を膨らませてきたくらいに。まだ軽食を摘まむ時間でもないし、いくら予定がないとは言っても理由も無く昼間から酒を飲む気は起きない。


もともと、私は自分の用事が済んだらすぐに出て行くつもりだった。


そして、その目的はすでに済ませてある。


チキン先輩に会って出会いの件について口裏を合わせ、ついでに仕事のひとつでも斡旋してもらえれば良かったのだが、彼はいなかった。代わりにオックスに伝言してもらえるように頼んだし、何より、『味噌』が無ければ、この店に長居をする理由は無い。私は肩を落として席を立つ。


「暇なら仕事をしねえか?」


「!?」


思ってもいない誘いに私は緊張した。確かに仕事があればと願っていたが、この街に来たばかりの私にオックスが仕事を頼んでくるとは思っていなかった。彼の回してくる仕事なら、酒場の仕事か、あるいは裏の仕事。


酒場の仕事なら、仕入れの荷物を運ぶ力仕事か客の相手か。だが、客の少ない『千鳥足の牡牛亭』で他の人手を借りてまで多くの仕入れをするとは考えにくいし、かといって同胞ばかりが来る店で媚びを売っても仕方がない。私の媚びが売れるとも思わないし。


となれば裏の仕事だが、これも実は考えにくい。彼らとは同じ国の同士であるもの、私は情報部の人間ではない。中には多少の面識がある者がいるかも知れないが、信頼を築けているとは思えないし、信用を保証してくれる仲間もいない。


自分の所属が知られれば拘束されかねない場所で、信頼できない人物と組むのは自殺行為である。いや、簡単に死ぬ事ができれば幸運で、辛い拷問も考えられる。


あるいは、私はオックスに試されているのか。


入って来たばかりの新人の人となりを試す方法はある。偽の重要そうな仕事か当たり障りのない適当な仕事を与えて、相手がどのように動くか観察する。


「力仕事は得意ではないぞ。」


だが、一番の悪手は断る事だろう。信用されていない今の段階でリーダーの依頼を断るなら、不審に思われるか、協調性の無い者だと思われてしまう。今の私の状態は筒抜けなのだ、時間があることも。


「チキンに金を借りるくらい困っているのに選り好みをするなよ。なに、オマエなら簡単な仕事だ。ついでに、珈琲の一杯くらいは奢ってやろう。」


「いや、珈琲は不要だ。どうも私には合わない。」


昨日飲んだきりではあるが、私には木炭の香りのする泥水としか感じられなかった。昼食に選んだ萎びた食堂でも、せっかくの料理の味を阻害する邪魔者としか思えなかった。


「慣れれば美味いんだぜ。そうだな…。食事で困っている新人にとっておきを用意しようか。」


「なにを?」


私はオックスの言葉にすぐに飛びつき先を急かした。話の流れからすると故郷の味の可能性が高い。この先、この店でしか故郷の味を楽しめないとなると、最初の一口は撒き餌で、後から搾り取られる可能性もある。だが。


「『ぬか漬け』なんてどうだ?」


私は故郷の味に飢えていた。


それが『味噌』でなくとも。


私はゴクリと喉を鳴らし、内容も聞かずに仕事を引き受けた。



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次回:クエイルの『おとうと』


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