第2話



 彩葉は二年半前まで趣味で小説を書いていた。同人誌を作って頒布し、そこそこの読者もいた。

 国語の授業で書いた原稿用紙五枚の小説が処女作だった。片面だけが白い厚めの紙に、小説に合わせた表紙絵を描いて提出する、それが宿題だった。とても楽しかった。書くのが楽しくて楽しくて、気持ちが走った子どもの鉛筆文字が踊っていた。


 それから、憧れの職業に『小説家』という項目が増えた。

 今は休職中の会社員だ。

 元会社員になるのはもうじき。




 ある朝、彩葉は突然起き上がれなくなった。

 睡眠不足で眠いだけだと思ったけど、本当に指一本動かせなかった。イベントあわせの本の原稿がまだ少し残っているのに。そんな呑気なことを考えていたのは少しの間だけだった。

 身体がピクリとも動かない。気づいた時にはパニックになった。

(おかあさん、おかあさん!)

 助けを呼ぼうとしたが、声が自分の耳に届くことはなかった。


 慢性睡眠不足ゆえに、何があっても起きられるように設定された大きめのアラームが鳴り響く中、

「いい加減に起きなさい!近所迷惑よ!」

 怒りながら二階の部屋に上がってきた母が見たのは、娘が涙を流しながら目を見開いて天井を見上げている姿だった。

 彩葉の様子が尋常でないことはすぐに伝わったのだろう。唇をかすかにふるわせながら瞳だけで母の姿を追う姿に、母は

「おとうさん、おとうさん!」

と叫びながら階段を駆け下りた。


 彩葉に意識はあった。

 焦った家族に見下ろされて、救急車が呼ばれて。救急隊の人や近所のいろんな人に見られて、想像していたのより激しい救急車の振動に揺られながら、少し安心したのか彩葉は意識を失った。


 目が覚めた時、知らない天井が目に入った。子どもの頃、床に寝転んで見上げた教室の天井に似ている気がした。規則的に響く機械音がなぜか眠気を誘った。


 その日からゆるやかな地獄は始まった。

 原因は今もわからない。

 おそらく『過労』だろうと最初に彩葉を診た医者は言った。

 彩葉は、動けない、話せない、読めない、そんな存在になっていた。


 勤めている会社には、父が連絡してくれたらしい。会社関係の連絡は、落ち着きを失った母ではなく父が一手に引き受けてくれた、そうだ。社会的な申請手続きもすべて。そこそこ大きな会社の総務部の役付だった父は、そういう仕事に慣れていた。


 父は大変だったと思う。

 専業主婦だった母は、彩葉の生活態度を正せなかったのは私の責任だ、とずっと泣いていて、自分を責めて倒れた。検査をやり尽くして原因が見当たらず、ひとまず慢性疲労症候群と病名が付いた頃にお見舞いにきた母は、彩葉の薄い掛け布団にぽたぽたと染みになるほどの涙をこぼした。


 社会人となり離れて暮らす妹と、年が離れたまだ学生の弟の生活にも影響した、らしい。お見舞いにきてくれた弟は、生活を母さんに頼り切りだったことを反省してる、と殊勝なことを言っていた。母にえらそうな言葉ばかり投げかけて、世話をしてもらうことが当たり前だと態度で示していた弟。彩葉は頷くことも謝ることもできずに、弟をただ見上げるだけだった。妹は弱って倒れた母の付き添いをしてくれていたそうだ。すべて伝聞。なにもできない、なにも伝えられない。


 つらかった。


 MRIを始め、沢山の検査をした。お守りにと、ずっとつけていた推しのイメージカラーのピアスは、早々に看護師の手で外された。なんだか頼りのものを失った気がして寂しさを覚えた。神経にはなにも異常がみあたらない、と困ったように医師は言う。ホルモンの値も多少の崩れはあるが、今回の症状の原因には思われない。精神的なものか、過労か……。


 原因が見つからないと、すぐに心の原因、過労と言われる。

 過労。たしかに彩葉は身体に鞭を打つような生活を長くしていた。そこそこ残業の多い仕事をしながら、コンスタントに小説を書き続けるには、睡眠時間を減らすしかない。趣味の友達と遊ぶ時間は作れても、職場での関わりは最小限に。こんなことが許される時代でよかったと、彩葉はしみじみ思っていた。そして学生時代から長く創作に打ち込む生活をしていた彩葉に対して、家族も少し感覚が鈍っていたらしい。早く寝なさい。お休みの挨拶かわりに言われる注意。

 周囲も彩葉はそういう存在だと諦めていた。


 だんだん疲れが取れなくなってきていた。でも、どうしても書きたかった。自分の世界を。自分が書かなければ存在しなくなってしまう、その世界を。

 無理をしなければよかった?


 彩葉はすべてを失った。

 脳内にだけその世界はたしかにあるのに、身体を横たえている間に、どんどん色あせていく。干ばつに遭った世界のように干からびていく。

 彩葉の世界がぽろぽろと崩壊していく。

 泉から水が湧くように、出てくることが当たり前だった言葉は、枯れ果てた。


 つらい、つらい。

 辛い気持ちが洪水となり、彩葉は溺れる。

 家族が彩葉のことを心配し、倒れるほどに嘆いていることより、言葉の泉を失ったことの方がつらい。

 そのことに気づき、彩葉はとても悲しかった。




 つらさの小川に為す術もなく浮かんでいる水死体のような存在。そんな状態が一年程続いた。食事は長らく口からは取れなかった。


 一時入院していた母が久方ぶりに病室に来たとき、母はこんなに痩せて……と呟いて、私の手を何度もさすった。点滴と経管栄養に支えられた状態が続き、長期入院が見込まれ費用を抑えるために、その頃には6人部屋に移っていた。同じように自力では動けない患者が集められた部屋。彩葉は最年少だった。数時間おきに看護師が訪れて、体勢を変えてくれる。足下では常に靴下状の空気ポンプが稼働している。


 複数のポンプの稼働音だけが響く静かな病室で、十歳は老け込んだ母ははらはらと涙をこぼした。母をこんなに悲しませて申し訳ない、という気持ちの前に、窓から射す夕方の光にきらめいた涙を、光に包まれて涙を流す母を本当に綺麗だと思った。この美しさを言葉にしたいと。

 思ってしまった。

 私はひとでなしだと、ぼんやり思った。


 窓際からふたつめのベッドに横になったまま目をつぶると、まぶた越しに日の光がもやもやと模様を描く。思考ももやもやと渦を巻く。ああ、この光景を言葉に起こしたら、どんな表現になるだろう。そんな思いも言葉が詰まったように脳裏にすら出てこない。悔しいな、と思いながら、思考は闇に落ちる。


 毎日はそんな繰り返しだった。


 SNSでしかつながりのない、本名を知らない友人達は、もう私のことを忘れてしまっているかもしれない、そうぼんやり思った。彩葉のスマホに直接連絡があったリア友には、簡単に事情が伝えられたらしい。学生時代から付き合いのある、唯一親友と呼べるかもしれない未那の顔がふと浮かんだ。いくつも申し込んでいたイベントも、もったいなかったな、未那に譲れたら良かったのに。訳もなくそう思った。


 仕事のことは倒れてしばらくすると考えなくなった。会社関係の方をはじめ、お見舞いは申し訳ないけど断らせてもらったのよ、といつか母が言っていた、気がする。そんな家族の問いかけに対しても、彩葉は言葉を発することができない。かすかに頷いただけだ。


 意思の疎通を図るために、まばたきで文字入力ができるパソコンの導入も検討されたそうだが、彩葉には文字が認識できないことがわかり、却下された。


 原因不明の脳の機能障害が疑われ、急性ディスレクシアという病名がひとつつけられたが、それだけで彩葉の病状が説明できるわけではなかった。




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