事 件
ちえの父、世之介は武士ではない。
もとは藩営養生所で、薬草管理をしていて、仕事の合間の趣味が
隣接する二つの藩でも、特産品の創出に力を注いでいて、世之介に負けじと育種を推奨したが、なかなかかたちにはならなかった。そこで自藩の富商を仲介人に立て、世之介に後妻を世話するとか、金品を与えるとか、『こちらの藩に身を寄せれば、正真正銘の武士に取り立てて、育種奉行にしてやるぞ』
……などと、ひっきりなしに引き抜きの誘いがあとを絶たなかった。
ちえの母親は、産褥熱で逝ってしまい、少女は母の顔は知らない。むしろ、父が育ててきた花々が、ちえにとっては母の代わりのようなものであった。
世之介にしても、他藩から狙われるほどの技術保全のため、余人には一切手伝わせず、ちえを助手として黙々と挑戦を続けていた。
そんな矢先に事件が起こったのである。
三人の不審者が、世之介の育種小屋に忍び込んだ。たまたま《《ちえ》》が
一瞬の出来事で、物音を聴きつけた世之介が駆けつけ、その一人を
(註)
※石竹(せきちく)の原産は中国。
撫子(ナデシコ)。日本では
平安時代に栽培されている。
「枕草子」「源氏物語」にも登場。
「万葉集」には26首、詠まれてい
る。江戸時代には、このナデシコ
園芸が大流行した。小林一茶も
この花を特に
……当夜の襲来者三人のうち、一人は逃走し、一人は近隣の者らが取り押さえた。
いや、近隣の者の正体は、藩公の
他藩から狙われていることを聞き知った
けれど事件が起こったとき、やはり、それ見たことかと言わんばかりに
『……かくあることを期して、厳重なる警護を申し渡したというに、なんたるざまであろうや。
そんなことをぶつぶつと、
元服前の十三歳。少年たちのなかでは、
『なんじゃ、清之進、なにか物言いたげじゃの』
『はっ……いえ……』
『
『す、すでに、自害し果てましてございまする』
『なんと……!』
『
『
『……と、仰せられますのは……』
なおもなにごとかを言いたげな清之進をみて、藩公は不審げに眉をひそめた。
『そちは……その場には居合わせなかったと聴いておる……そのように
そう告げられた清之進は、藩内に内通者がいるやも……と、かねてよりの不審を述べ立てた。自分たちが交代で見張っていたその配置を、襲来者たちは事前に熟知していた可能性があると告げたのである。
『な、内通する輩がおるとな……! ふうむ、いや、あるいは……』
なにやら藩公には思い当たるふしがあったらしく、うーんと
じつは、江戸城に登城したおり、
『真冬に咲く黒いなでしこ……を、近いうちに
などと、
ちなみに、江戸期、すでに二代将軍
それから百年近くを
〈真冬に咲く黒いなでしこ〉
に賭けていたのである……。
『ならば……』
と、藩公はつぶやいた。
『……世之介を、殺人の罪で島流しにするとしよう。いや、あくまでも表向きのことじゃ。やつの育種技術漏洩を防ぐためだ。湖の孤島に世之介を
『ははっ』
このときから、清之進はちえの
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