事 件

 ちえの父、世之介は武士ではない。

 もとは藩営養生所で、薬草管理をしていて、仕事の合間の趣味がこうじて、石竹けきちく、すなわち、からなでしこの新種づくりに邁進した。ついには自己流の育種で名を成し、その功によって、とくに苗字帯刀みょうじたいとうを許された。

 隣接する二つの藩でも、特産品の創出に力を注いでいて、世之介に負けじと育種を推奨したが、なかなかかたちにはならなかった。そこで自藩の富商を仲介人に立て、世之介に後妻を世話するとか、金品を与えるとか、『こちらの藩に身を寄せれば、正真正銘の武士に取り立てて、育種奉行にしてやるぞ』

……などと、ひっきりなしに引き抜きの誘いがあとを絶たなかった。

 の母親は、産褥熱で逝ってしまい、少女は母の顔は知らない。むしろ、父が育ててきた花々が、にとっては母の代わりのようなものであった。

 世之介にしても、他藩から狙われるほどの技術保全のため、余人には一切手伝わせず、を助手として黙々と挑戦を続けていた。

 そんな矢先に事件が起こったのである。


 三人の不審者が、世之介の育種小屋に忍び込んだ。たまたま《《ちえ》》が堆肥たいひづくりに使う残飯の一部を小屋に持っていったまさにその時、襲われたのだ。

 一瞬の出来事で、物音を聴きつけた世之介が駆けつけ、その一人を植木鋏うえきばさみで刺し殺してしまったのである……。




  (註)

    ※石竹(せきちく)の原産は中国。

    撫子(ナデシコ)。日本では

    平安時代に栽培されている。

    「枕草子」「源氏物語」にも登場。

    「万葉集」には26首、詠まれてい

    る。江戸時代には、このナデシコ

    園芸が大流行した。小林一茶も

    この花を特にでた。


 ……当夜の襲来者三人のうち、一人は逃走し、一人は近隣の者らが取り押さえた。

 いや、近隣の者の正体は、藩公の密命みつめいにて世之介父娘おやこをひそかに警護していた元服げんぷく前の少年たちであった。いずれも身元の知れた重臣たちの子息らである。

 他藩からことを聞き知った藩公とのさまは、当初、世之介の育種小屋と庭の周りに、町奉行の配下に護衛させようとしたのを、世之介が強く辞退したからである。理由は、地の気が乱れれば、育種の妨げになる……といった、はなはだ抽象的なものであったが、深くは問いたださずに、藩公は、りょうとした。

 けれど事件が起こったとき、やはり、それ見たことかと言わんばかりに藩公とのさまは憤慨した。卑怯な襲来者たちのことより、むしろ世之介の無防備さというものに激怒したのだ。

『……かくあることを期して、厳重なる警護を申し渡したというに、なんたるざまであろうや。の悲願というものを、世之介めは軽んじておったのであろうよ』

 そんなことをぶつぶつと、清之進せいのしんを前にひとり語りした藩公とのさまに、清之進はただからだを震わせていた。

 元服前の十三歳。少年たちのなかでは、一際ひときわ、剣術にはひいでており、とりわけ藩公とのさまお気に入りの小姓こしょう見習いであった。

『なんじゃ、清之進、なにか物言いたげじゃの』

『はっ……いえ……』

とらえた曲者くせものは、黒幕の名を白状しおったか?』

『す、すでに、自害し果てましてございまする』

『なんと……!』

深手ふかでを負っており、観念いたしたのでござりましょう……』

つかえる主人を守り抜いたのであろう。敵ながらあっぱれな奴と褒めたいところだが、他藩も、世之介の育種技術を狙っておることが判明した以上、こちらも手をこまねいておってはならぬということだ』

『……と、仰せられますのは……』


 なおもなにごとかを言いたげな清之進をみて、藩公は不審げに眉をひそめた。


『そちは……その場には居合わせなかったと聴いておる……そのようにかしこまらんでもよいではないか。申したきあらば、遠慮は無用ぞ。口に出すがよい……』


 そう告げられた清之進は、藩内に内通者がいるやも……と、かねてよりの不審を述べ立てた。自分たちが交代で見張っていたその配置を、襲来者たちは事前に熟知していた可能性があると告げたのである。


『な、内通する輩がおるとな……! ふうむ、いや、あるいは……』


 なにやら藩公には思い当たるふしがあったらしく、うーんとうなったきり、唇を噛み締めた。

 じつは、江戸城に登城したおり、たまりで、藩主たちが雑談で自藩の特産物について自慢し合っていたとき、

『真冬に咲く黒いなでしこ……を、近いうちに諸侯方しょこうがたにご披露つかまつろうぞ』

などと、大見得おおみえを切ってしまったのである。 

 ちなみに、江戸期、すでに二代将軍秀忠ひでただ公の頃から、人々の園芸への関心は高まっていった。秀忠公自身が、なによりも椿つばき愛好家で、またたくまに江戸市中の庶民の間でも椿の植栽が大流行したのだ。つまりは、それこそがいくさのない平穏な時代到来のあかしでもあった。

 それから百年近くをたいまは、むしろ、藩財政立て直しのための地場産業の育成と、江戸や大坂の大消費地へ供給する藩独自の物産品の生産こそが、各藩に課せられた喫緊きっきんの課題であった。

 藩公とのさまは、それを

〈真冬に咲く黒いなでしこ〉

に賭けていたのである……。


『ならば……』

と、藩公はつぶやいた。

『……世之介を、殺人の罪で島流しにするとしよう。いや、あくまでも表向きのことじゃ。やつの育種技術漏洩を防ぐためだ。湖の孤島に世之介をかくまい、そこで、黒い花づくりに専念させるとしよう。清之進、そちだけが、世之介の娘との関わりを保つようにはからうべし。よいな、相分かったな』

『ははっ』


 このときから、清之進はそば近くで暮らすことになった……。



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る