あらざるモノたち

四十話 龍洞①

 車に揺られて三時間。

 隣県との県境に位置する小さな港町は、ちょうど高速道路の途切れ目でもあった。長閑な町の相様に反して、隣県に続く一般道は主要通路として多くの車が行き交っている。


 広い道路から外れ、町に繋がる下り坂へハンドルを切った車がゆっくりと道を下り、やがて一軒の食堂にたどり着くと停車した。


「……あーぁ……。季節は夏で、海も近くにあるのい、どうしておじさんたちは仕事をしているんだろうねぇ~」


 運転席から降りるなり大げさに嘆くのは祭で、助手席から降りてきた月乃は「お疲れ様です」と運転手を務めてくれた祭を労うと、八月に突入していよいよ強くなった日差しに目を細める。


 涼しい車内から外に出れば、立っているだけで汗をかく暑さに夏の到来を感じる。

 来週から休みをもらえる月乃だが、けれども心躍るような気持ちにはならない。


「とりあえず、お店に入りましょうか、祭さん」

「そうだねぇ~……腹ごしらえは必要だよねぇ」


 塞ぐ気持ちを追い払うように、月乃は明るい声を出す。裏返った声の不自然さに気付いただろうに、祭は指摘せずただ同意する。


「いらっしゃい!」


 ――店内に入ると、威勢のいい女性の声に出迎えられた。この店の女将らしい彼女は月乃たちをテーブル席に案内すると冷たい麦茶を出してくれる。

 メニュー表をながめつつ、祭がオススメを聞けば海鮮丼とのことだったので祭はそれにして月乃はもう少し値段がかわいい煮魚定食にした。


 ほどなくして運ばれてきた海鮮丼はオススメと言うだけありボリューミーで、マグロやウニに鯛、平目といった寿司屋で無双するような海の幸が、惜しげもなくのせられていた。煮魚定食はカレイの煮付けで、甘辛いタレが染みていてご飯が進む味だった。


 おいしいと月乃が呟けば、他にお客がいなくて暇をしていたらしい女将が「ありがとう!」と気さくに声をかけてくる。サービスだよとマグロのブツを出されて月乃は恐縮したが、祭は断るのも感じが悪いと言って遠慮なく受け取っていた。


「いやぁ、おいしそうに食べてくれて嬉しいよ。おふたりさんは、観光かい? やっぱり、龍洞を見に来たの?」


 海鮮丼を食べていた祭が、女将ににこりと笑いかける。


「龍洞というと……たしか海にある洞窟ですよね」

「そう、そう。なんてことない洞窟なんだけど、時々龍の鳴き声みたいな音がするからってんで龍洞って付けられたのさ。まぁ、風のせいなんだけどねぇ」

「なにか、特別な謂われがあるんですか?」

「さぁねぇ……。昔から、あの洞窟は龍の寝床だ、なんて言われてたんけど……そういえば、詳しくは知らないね。この辺ではよく大人が子どもをしかる時に口にする常套句でさ。あたしも子どもの頃はあの音が不気味で怖くて。お母ちゃんに言われたもんさ、悪さばっかりしたら龍洞に閉じ込めちまうよって」


 そこまで話した女将だが、ふと不思議そうに首をかしげた。


「しかし……龍洞は、若い人の間ではやってんのかい?」

「え?」

「この間も、聞かれたんだよねぇ」

「……それって」


 月乃は顔を強ばらせ、祭を見た。

 祭はのんきに麦茶に口を付け、コップを置くと人好きのする笑みを浮かべ女将を見上げる。


「そうなんですか? 僕たちは、ドライブ途中に面白そうなスポットがあるなと思って立ち寄ったんですけど……」


 スマホを手にした祭を見て、女将は納得したように頷いた。


「あぁ、そうか。今は調べればなんでも出てくるもんねぇ~」


 そんな女将に聞きたいことがある月乃だったが、祭に目で制されてしまい口を噤む。結局、祭と女将が当たり障りない会話をして昼の時間は終わった。


 ――そして昼食を終えた月乃たちは、車内に戻る。

 バタンとドアが閉まるなり、月乃は運転席に身を乗り出さんばかりの勢いで祭に話しかけた。


「祭さん! 女将さんが言ってた人たちって、もしかして……!」

「なごちゃんたちの可能性はあるよね。断言はできないけど」


 のんびりした口調に勢いを削がれた月乃は、大人しく助手席におさまりポツリと呟く。

 

「……誰か、顔を覚えている人がいればいいんですけど……」

「たしかに、それが一番楽なんだけどさ。そうすると、不自然に聞き回ってる怪しい奴って記憶されちゃうからねー。調査案件は、あんまり地元の人の印象に残らないほうがいいんだよ。……万が一、本物なら余計な逸話が付いちゃう可能性があるからね」


 形のないもの、名前のないもの、けれども力のあるもの。

 あるいは、怪異という大きなくくりに入れられていながらも、定まらないもの。


 そういうものが、土地にいた場合――人の疑念や想像が、後に大きな影響を与えかねない。取るに足らないものが、無視できない脅威になってしまったりするのだ。


「だから、本部も少人数しか動かさなかったんだろうし……そのための補助要員も現地に近い支部から出すよう指示したんだろうね~」


 祭はエンジンをかけながらぼやくと、すっと目を細めた。


「それで、うちの人員行方不明とか、世話を増やしてどうすんだか」

「……祭さん、やっぱり怒ってます?」

「うん? まさか~。おじさんは、いつだってラブアンドピースだよ?」


 月乃が恐る恐る問いかければ、祭はニコッと笑って「じゃあ、龍洞を見に行こっか!」といつものノリで車を出す。


 運転が荒くなるということもなく、いつも通りの祭だが――ハンドルをトントンと人差し指で叩く、という動作が増えた。

 祭本人は否定するものの、月乃の目から見ればその行動は苛立ちの緩和と映ってしまう。そして、そんな行動を取らなければいけないということは、祭は――。


(……絶対に怒ってると思う……)


 だが、無理もないのだ。

 月乃だって、思い出しても腹立たく……責任を感じてしまう。

 それもこれも、数日前に支部にやって来た、のせいだった。

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