三十七話 通報者、波田 栄二の「真実」

 波田 栄二にとって、家族と呼べるのは叔父一家だった。


 高齢の栄二だが、昔のことはよく覚えている。というか、年を取った今になってよく思い出すようになっていた。まるで、なにかの予感のように――。

 

 自分を引き取ってくれた叔父夫婦が父さんと母さんで、夫婦の実子である姉弟が自分の姉であり兄だった。

 そうなる前は、実の両親の元――いわゆる本家と呼ばれるところにいたが、実の両親も祖父母も、兄姉ですら、彼にとっては幼い頃から近くにいる恐怖でしかなった。

 海脛集落として独自のコミュニティを形成していた村人たちも、なんだか夢遊病者のようで親しみを感じるような者などいない。その極めつけが――ミハギ様と呼ばれる巨大な蛇……に似たナニカだった。


 海脛の者はそれを神様、ミハギ様と呼び崇め、栄二の家を神に選ばれた家系として教祖のように敬っていた。


 栄二には化け物にしか見えないモノ。


 それの体表ににじみ出てくる血のように紅い液で日夜喉を潤す家族や、そんなものを分け与えられては驚喜する村人たちもまた、栄二にとっては化け物でしかなく……彼らが化け物の体液を飲むのに飽いて、やがて肉を食らうようになっていった時は自分の食事にも仕込まれているのではないかと思って箸を付けられなかった。


 そんな家族が次々と死んだ時は自業自得と思ったし、最後に残った姉が錯乱して身投げした時は安堵した。

 自分もなんとか集落を逃げ出してからは、集落の異常性に気付いて出て行った親戚たちと共に、祟られないようにと祠を作った。どうか出てきてくれるなとお坊さんや叔父と一緒に祈った。


 そして、やっと普通の穏やかな暮らしを手に入れたのに、今になってアレが出てきたのだ。


 孫が面白半分でネットにあげた海脛の伝承を目にし、興味を抱いた縁もゆかりもない若者たちがやってきて……そのひとりが、酒が入って気が大きくなったのか、立ち入り禁止区域に入ってしまった。それだけならまだしも、祠を壊し、井戸に嘔吐し小便をかけたらしい。

 真夜中の小さな地震はそのせいだった。

 波田は気付いた。

 アレが目覚めて、若者は――食われたのだと。

 

 孫はもちろん、息子も娘も海脛の真実など知らない。この町の年寄りたちまた、海脛というのは集団で独自の神様を信仰していた厄介な地域としてしか知らない。 


 真実を知っているのは、もう自分だけ。けれど、波田はこんな真実など誰に教える気もなかった。墓の中までもっていく。自分の代で終わらせる。そう思って、彼は大昔に聞いた方法をとった。


 祠を作ったとき、経を上げてくれたお坊さんが教えてくれたそれは、もしもここに眠るモノが目覚めたら、この石を壊しなさい。そうすれば、助けが来てくれるという、おとぎ話めいたやり方だった。

 けれど、まだ子どもであった栄二には救いでありお守りになった。肌身離さず持ち歩いたその黒い石は、今でも大切に持っていた――それを、栄二は粉々に砕いた。


 特案調査対策局というところから電話がかかってきたのは、その直後だった。

すぐに専門家を派遣すると言った電話の向こうにいる相手の言葉通り、三日後にふたりの若者が家を訪ねてきた。


 柔和ながらも一筋縄ではいかなそうなスーツの男と、片手と片足、そして顔に紅い汚れを付着させた若い女――祭と月乃だった。


 栄二は月乃を見て……正確には月乃の手や足に付着している紅い汚れを見て、驚いた。ちょうど自分の孫ほどの年齢だろう彼女についているそれがなにか、栄二の記憶にはしっかり刻まれていたからだ。


 奇跡の水――その原液。ミハギ様の体液だ。

 

 ふたりはすでに現場に行き、目覚めたアレと遭遇していた。

 孫と同年代の姿に、悪い未来を想像した栄二だったが月乃は気丈に振る舞っていた。

 決して平気ではないだろうに栄二が不安にならないようにと明るく笑っている。

 そんな彼女に亡くなった叔父一家を思い出した。

 叔父も叔母も、その子どもたちも、一番年下の栄二が不安にならないようにいつだって明るく笑っていた。


 しかし、栄二はもう小さな子どもではない。先の短い年寄りだ。

 そんな自分ができることはほとんどないが、自分の最後の願いを聞き届けこの地にきてくれた若者たちに、できるかぎりの情報を渡したいと思った。


「どうか、どうかお願いします。この先を生きる子や孫、その子どもたちが、わしのような思いをしないために……どうかアレを殺して下さい」


 ――波田 栄二はそう言って頭を下げ……承知して出て行った祭は、その後無事に戻ってきた。


 赤みを帯びた黒い石を見せて、もう大丈夫だと祭が微笑むと。栄二はその場で泣き崩れ、なんどもなんどもお礼を言った。

 助けてくれてありがとう。本当にありがとうと。


「必死に生きる者をあざ笑い、自らは呪いの力に縋る浅ましい存在。海脛は、まさにこの土地に巣くう膿だった。……アレを姉などと思ったことはない――物心ついた時からずっと、自分の周りにいたのは人の皮を被った化け物ばかりだった。この年までどうにもできずに背負い続けていた荷を、やっと降ろせる。……あぁ、本当にありがとう。やっとやっと……安心できる……!」


 波田 栄二は、あの化け物からようやく解放された喜びと安堵で子どものように泣きじゃくった。

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