三十六話 試されていたのは

 体からハリが失われ、しわしわと干からびてやがて皮だけになったものに、祭はぽとりと小指の爪ほどの大きさの石を落とす。

 すると落下してきた石の衝撃でぱらら……と干からびたソレは粉々に霧散した。

 ころんと地面に落ちた黒い石はまるで意志でもあるかのように土に染みた紅い液を吸い上げる。


「厄介な主が消えたんだ、この土地も清められるでしょ――さて」


 血の臭いが薄くなっていく中で、和と祭は対峙した。


「やっ。お疲れ、なごちゃーん」

「――っ」


 先に口を開いたのは祭だった。

 片手をあげて挨拶し、和に近づいてくる。にこにこといつも通りの上司の胸ぐらを、和は無言で掴んだ。


「ん~? なんのマネかなぁ、なごちゃん」


 祭は笑っている。この状況を楽しむように目を細めて。胸ぐらを掴まれているのに、苦しそうな様子などみせない余裕があった。

 仕掛けた和のほうが、酷い顔色で祭に掴みかかったその手は小刻みに震えている。


「……なんで……」


 絞り出すような和の声に、祭は小首を傾げた。


「なんでって……あー、なんでアレが人間の姿にもどったかってこと? 簡単なことだよ~、彼女の体から異形の力を抜いたからさ」

「そんなこと、聞いてない。なんで殺した!」

「え? あれ? なごちゃん、なに言ってんの――アレは異形。人間やめて、人を殺した。野放しにしたら秩序を乱す、やっかいな存在なんだよ? それにさぁ、石の中に閉じ込められて研究材料にされるより、死にたいって希望を叶えてあげたんだ。罰を与えたい国と死にたい異形、お互いの望みが合致した最高の結末でしょ」


 あぁ、それとも自分たちが姿を消していたから怒っているのかと祭は脳天気な口調で続ける。


「ごめんねー。食べられたふりして麓の町に行ってたんだー。今回の件……通報案件でねぇ、通報者である波田 栄二さんに話を聞いてたんだよ。いやぁ、月乃ちゃんが聞き上手でね~、波田さんの子どもの頃から始まる話を嫌な顔しないで聞いてくれるから、波田さん喋る喋る~。だいたい特対って胡散臭がられるでしょー? なのに、よろしくお願いしますって頭下げられちゃってさぁ~」


 黙ってたことはゴメンねと言いながらも全く悪びれない男は、さらに力がこもった和の手を見下ろすとふぅとため息をついた。


「これ以上ない、ハッピーエンドだよ。波田さんは、自分たち家族を苦しめるだろう井戸の化け物をどうか殺して下さいと頭を下げたんだ」

「え……」

「波田さんの姉はね、自分が信じ崇めていたものを体内に取り入れることで神と交わった、神の花嫁だ。だからアレの中には人と異形が同居していた。だから、体内から神だったものの力を抜けばただの小娘に戻った。……死んだら再会できるどころか、ずーっとぴったり隙間なく重なってそこにいたんだ。死んでも離してもらえないだろうさ」


 はははと、なにがおかしいのか祭が笑う。


「気の毒な波田さんは、異様なモノを崇める家族を子どもの頃から恐れていたそうだよ。家族が不審な死にかたをして、家を出た叔父を罵る姿すら怖かったと。叔父がなにかしたのではなくて、自分たちが神様の一部を食べてそれが体に合わなかっただけだったのにって」


 和の目が見開かれ、微かに開いた唇が震えた。


「まさか、なごちゃんはあの娘の都合のいい話を聞いて同情しちゃったのかなぁ~? うんうん、なごちゃんってそういうところあるよね~。甘ちゃん」

「俺はっ……」

「これなら、月乃ちゃんのほうがよっぽど覚悟が決まってるよ」

「――……! お前は、そうやって、面白半分で人を巻き込んで……! 今回だって、死にたいから死ねなんて……そんなの変だろ、おかしいだろうが!」


 叫ぶ和に、祭は笑みを消した。


「なに甘ったるいこと言ってんだ。化け物を人間の尺度で測るなよ。通じるわけないだろ。いい加減学習しろよ、坊や」


 冷たく言い捨てて、胸ぐらを掴む和の手を振り払った祭は、再びいつもの笑みを浮かべていた。

 

「さぁ、仕事完了の報告もあるし……そろそろ麓の町に戻ろうか、なごちゃん」

「…………」

「そんなに落ち込まなくても大丈夫。失敗も糧にして次の経験に生かせばいいさぁ~」


 ほら、帰るよとうながすと祭は地面に転がった黒い石を拾い上げて歩き出す。

 すっかり綺麗になったその場所で、和は唇を噛んだまま動けなかった。


 ――試されていたのは、自分だった。


 今、その事実に気がついた。

 祭は今回、月乃ではなく和のことを試していたのだ。どういう行動をとるか観察し、そしてそれは祭のお眼鏡にかなうものではなかった。

 だから、最後の最後で祭は出てきた。

 どんな形でも千依里を生かそうとした和を――手にかけられなかった和を、あの男は許さなかった。


「…………ごめんな……」


 和はくしゃりと自分の前髪をかき混ぜると、そのまま俯き――誰にともなく震える声で謝った。

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