三十三話 ミハギ様②

 千依里が向かったのは、施設の奥にある森林の中だった。

 金網で囲まれ、関係者以外立ち入り禁止の看板が下げてあるにも関わらず網の一部が破られている。

 看板を無視して誰かが森林に足を踏み入れた証しである足跡がうっすらと残っていた。


「これは、先日に亡くなった方ものです」


 千依里がポツリと語る。


「叔父は自分の家族を犠牲にしないために、余所から人を招いてはミハギ様に食べさせるのです。……名士などと言われて麓では持て囃されているようですが……実際はいなくなっても困らない人間を言葉巧みに騙して連れ込み生贄にする。……この方も、歓待されて油断して……まさか自分がと思ったでしょうね」


 足跡を見つめたまま、千依里はふと唇を歪めた。同情とも嘲りともつかない物言いと、歪な笑いかただった。だが、顔を上げた千依里はなにごともなかったかのように「参りましょう」と和をうながす。


 そして森の中に分け入りたどり着いた場所には、蓋のされた井戸があった。すぐ横には小さな祠があるが、最近誰かが荒らしたのだろう。

 心ある者が掃除や修復を試みたのだろうが、それでもまだ汚れや足跡がついており、割れた陶器の破片などが周りにちらほらと散らばっている。

 千依里は祠には見向きもせず、真っ直ぐ井戸に近づくと蓋を開けた。


「これが始まりの井戸。そしてミハギ様に通じる道です」

「本気か」

「ええ。ミハギ様は長くこの地にあり、やがてこの地そのものになった。海脛の大地はミハギ様であり、人は全てミハギ様の舌の上。生かすも殺すもミハギ様次第――信仰を忘れた裏切り者の価値など、腹の足しになるかどうかしかない」

「……さっきから言うか言うまいか迷ってたんだが」

「はい?」


 首をかしげる千依里。彼女がここまで歩いてきた場所を和は視線で辿り――続けた。


「なんでこんな回りくどいマネをする?」


 長いスカートを汚しもせずにここまで歩いてきた千依里。彼女の先導でここまで来た和だが、柔らかな土の上に刻まれたのはひとりぶんの足跡だけ。


「なぁ。ミハギ様」

「――っ」


 千依里の目が大きく見開かれた。

 息を呑んで言葉が出ない様子をいちべつし、和は淡々と続ける。

 

「昔の神様とやらは知らないが、今回の件を引き起こしたミハギ様とやらは、お前だろう」

「な、にを……おっしゃるのですか。――やはり、まだ私をお疑いに? 私が、貴方の同僚の方々にミハギ様をけしかけたと?」

「…………」

「違います! ミハギ様は、もはや海脛の手を離れてしまったのです! それもこれも叔父が、あの男が欲を出すから! 病を食ってくれる神様は、健康な人間の味を覚え、人を食らう悪神に堕とされてしまった……! わたしのせいじゃないっ、あの男が、幸次朗叔父様が裏切ったから……――!」

「麓の町で名が知られている名士――お前はそれを、波田 幸次朗と言ってたな。俺が調べたら別人の名前が出てきたぞ」


 気まずい雰囲気の車内にいる間に集めた情報は、この土地に関することだった。

 訳が分からないという顔をしている千依里に、和はひとつひとつ暴くように言葉を重ねる。


「この土地の所有者兼高原パークの経営者は、波田 栄二」

「……え?」

「海脛集落は、過疎化が進んで廃れ二十年以上前の市町村合併で名前ごと消えている」

「……なにを、馬鹿な、ことを……」

「だいたい、できすぎなんだよ。――まるで待ち構えてたみたいに、ひとりになった俺のところに老夫婦が声かけてきて、こっちを怪しみもせず情報をぺらぺら与えてくれるなんて――はなはだ遺憾だが、なぜか俺は成人済みに見られなくてなぁ。普通は名乗りだけじゃ信用してもらえないんだ」


 余所者という強い言葉を使ったくせに、あっさりと和の名乗りを信じた老夫婦。

 コテージに入り探索中に、タイミングよく現れたお嬢様。


 ――最初は、通報者だと思った。だから、有益な情報を自分に伝えてくるのだと。

 けれど、話せば話すほど目の前の存在に対して違和感が強くなっていく。

 確かめるために、千依里に従いここまで来たのだが、先を進む彼女はひとつも足跡を付けなかった。


 では、目の前の女は一体なんなのか。


 考えて、考えて――和はひっかかりを思い出す。

 この女は、和の他にも誰かが来ていると知っていた。それどころか、和よりも情報を把握していた。

 ――食われたと。

 だから疑ったのだ。こいつが使役してけしかけたのかと。千依里は真っ正面から堂々と否定して、和にたくさんの情報を与えた。

 迷って思考に溺れかねないほど、たくさんの情報を。


 目の前で怯えたように頭を振る女は、人だ。人にしか見えない。

 少しばかり独特の雰囲気を持つ人間――いいや、和はこういう存在をよく知っている。身近すぎて、忘れていた。


「波田 千依里。かつては、そうだったもの。――だけども、今のお前は人に非ず」

「なにを言っているの、日根さん? 私は……」

「俺をここに連れて来て、どうするつもりだった」

「どうって、ここがミハギ様と繋がる場所だから……お手伝いを、できればと」


 対面した時のどこか浮き世離れしたおっとりさは消え去り、しどろもどろに言葉を繋ぐ千依里を和は哀れみを含んだ目で見つめる。


「……そうか。それは、誰のための手伝いだ?」

「――え」


 ぽかんと、感情が抜け落ちたような表情と声だった。意味が分からないのか首をかしげると、浮かぶ表情も徐々に引きつった笑みに変わる。


「誰って、誰――誰、誰、誰、誰……だ・れ?」


 傾げられていた首が、いきなりガクンと折れるような勢いで真横に傾く。


「だれ、たれ、わ、たれ、たし、わ、た、み、は、ぎぃ」

「……波田 千依里。この地を穢し、人を食う堕ちたモノ――それは、お前だよ」

「違うっ!」


 千依里は首を横にかしげたまま、足音も立てずに和に近づいてきた。

 かわりに地面を這うズルズルっという音がして、土にナニカを引きずったような跡が残る。

 和がそれに目を向けている間に至近距離まで詰め寄ってきた千依里は、和の肩を掴んだ。


「私はっ、私がっ、私のっ……――私のせいじゃないっ!」

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