九話 よかったね?
うなり声――敵意を向けられているということを、当人たちも感じたようで、和は元々不機嫌そうだった顔を心底嫌そうにしかめて、祭は「あらら~」と間延びした口調でぼやきつつ苦笑いを浮かべていた。
「う~ん……僕たち、月乃ちゃんを困らせてる悪者認定されちゃった?」
「全っ部お前のせいだ、クソじじい」
「ぶーっ! おじさんは、おじさんですぅ! フォーエバーおじさんなんですぅ!」
チッと和が舌打ちした。
「クソどうでもいい」
「酷いっ! でもまぁ本人、いや本犬かな……わざわざ出てきてくれたんだから、説明の手間が省けるよね~。なごちゃんも、月乃ちゃんを仲間外れにするなんて言えないし~」
この犬の声は、自分に関わることなのかと月乃が身を固くする。
「月乃ちゃんもさ、薄々気づいてるんじゃない? ――病院出発する時話したの、覚えてる? 犬は……」
――犬は人につく
――だから、ちょびっとかじられただけですんだ
(あっ……そういえば……)
月乃の一報が入った時も、犬の鳴き声がしたという。心配そうな、犬の鳴き声だったと。
そんな風に鳴く犬には、覚えがあった。月乃が泣いていると心配そうに鳴いて、ずっとそばにいてくれた存在がいたのだ。
「ミコ……?」
まさかという気持ちと、もしかしてという気持ちが混ぜこぜになった月乃の声は頼りない、けれど思っていたよりもずっとよく通った。
犬のうなり声がピタリと止まる。
「ほんとに、ミコなの……?」
くぅ~ん。
甘えたような鳴き声がして、膝の辺りにぬくもりを感じた。
月乃はハッと足下をみるが、そこにはなにもない。
「見えないよ」
祭の一言に、月乃はどうしてという思い出顔を上げた。
「月乃ちゃんのミコは、もう死んでるからね。ミコって存在は生を終えた。だから、ここでは見えない」
「……っ……それは――」
「たまーに、終わったのにまだここに残っちゃうコもいる。理由は様々だけど、ミコの場合は……月乃ちゃんが心配だったからかなぁ?」
祭は月乃の足下を見つめ、目を細めて笑った。
「心配……?」
「よかったじゃん。だから、月乃ちゃんは生きてるんだよ」
「――え?」
どくりと心臓が音を立てる。
「そうじゃなければ、この川で溺死して、ふたりめになるところだった」
「…………え、じゃあ……前の事故も」
口が渇いていると感じるのは緊張のせいか。それとも、先ほど和が発した一言を思い出したせいか。
――お前が、ふたりめだ
どくどくどく、心臓が早鐘のように脈打つ。
気遣うようによりそう膝の温もりに、もしも姿が見えたら抱きついていたかもしれない。
(そう、いえば……)
ミコが元気だった頃。
散歩としてこの川の近くを通ろうとすると、いつも嫌がっていた。
いつも月乃の服の端をくわえて帰ろうと幾度も引っ張っていたものだ。
普段なら懐かしいですむはずの思い出に、薄ら寒いものを感じる。
「一回目は失敗した。がっつきすぎて魂まるごと食べちゃった。感覚としてはコピーしようとして、間違って削除しちゃったってやつに近い」
「……そんな」
「正確にはファイルは残ってるけど、中身はまるっと消失、かな。……失敗したから、とりあえず子どものガワだけもらったんだ」
月乃が夜にみた子どもは、死んだ女の子の外見だけを利用したソレだろうと祭は断言する。
「なんで……そんなこと……」
「あれらはね、存在が欲しいんだよ。だから、ガワだけ手に入っても意味がない。それじゃ、なりすましは失敗。子どもの死がハッキリと示されたちゃったからね。……死んだ子どもに成り代わってもソレの望むものは手に入らない。だから――新しいのを探したんだろうね」
「その新しいのが、わたし……?」
「月乃ちゃんっていうか……誰でもよかったんだと思うよ? 生きている人間なら」
運が悪かったと祭に言われて、月乃は閉口した。
たしかに、そうなのだろうが……自分……そして最初の被害者になった子どももその家族も、運が悪かったで片付けられたらやるせないだろう。
「そう思わないとやってけないんだよ。この仕事はさ」
月乃の胸中を察したのか、祭が穏やかに笑った。言い聞かせるようなその口ぶりは自分だけではなく……先ほどから口をつぐんで川を見ている和にも向けている――と月乃には思えた。
現に和は川に向けていた視線を祭に向けると、小さく舌打ちする。だが、これまでと違いなにも言い返すことはない。そしてまた、川辺に歩いて行ってしまった。
川――月乃もつられるように陽光を反射してきらきら輝く水面に目を向ける。
運が悪かったと祭は言うが、自分は生きている。助けてくれた存在のおかげで、立場は奪われたけれどこうして生きているから、取り戻しにいける。
(ミコが助けてくれたから……、それと子ども……)
あれ、と月乃は小さな声を上げた。
通話の際聞こえた犬の鳴き声がすでにこの世にいないはずのミコだったとしたら――それならば、子どもは?
自分に成り代わったナニカの気まぐれだなんて一時は考えたが、この流れでいうのなら、もしかして月乃のことを知らせた子どもの声というのは……。
月乃の考えを肯定するように、ワンとすぐ側でミコの鳴き声がした。
「……もしかして、亡くなった女の子は……」
病院で目を覚ました時の、真っ白だった自分のように自分自身のことも分からず、死んだことも分からず、どこへも行けずにここにいるのか。
だとすれば、あんまりだ。どうか違ってほしいと願う月乃が言葉を続けられないでいると、祭は胸中を見透かしたように頷いて――笑った。
「犬と最初の子がいてくれて、よかったね?」
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