第三十六話 芝浦

 あれからマイルスと家族は芝浦に移った。芝浦は意外に緑が多く子育てがしやすい感じだった。港区の方針でビルの間は緑化しなければならず、そこは誰でも通り抜け出来るということだった。スタジオも広くなって、レコーディングする機会も増えた。

 新しくレッスン生になったのが米山だった。全国を忙しく飛び回る米山は、直ぐにオンラインでもレッスンすることになった。映画の撮影で忙しい時は、撮影の合間にレッスンをやった。ある時は飛行機の中でもレッスンをやった。何か怒られそうな感じだが、Neo Maggio レッスンの基本の中に「大きな声で歌わない」というのがあった。他の乗客の誰も機内でのレッスンに気づいてなかった。 

 米山は撮影中もレッスン生になったり、主人公になったり、理事に戻ったり、プロデューサーになったり、脚本家になったりと七変化だった。しかし不思議にどれも米山だった。

 港区の6人に一人が社長らしい。そのせいかマイルスのレッスンをお稽古事と思ってる親がいて子供を送り込んでくる。マイルスのレッスンは、歌が心から歌えることを渇望している人のためなので、お稽古事は続かなかった。どこにでも同じレッスンがあると思われているのは悲しかった。

 一度ひどく落ち着きがない子がレッスンに来た。レッスンの時間中動き回っている。仕方ないのでマイルスはその子を受け入れて、まず歌を楽しく歌うことから始めた。ただその子が怒鳴って歌うときは必ず注意した。

「やさしく歌おうね」それはその子に伝わった。落ち着きがないだけで、良い子だった。

 何時しかその子はマイルスの膝に乗って歌うようになった。マイルスにもたれて歌った。ピアノが弾きにくいレッスンになったが、マイルスもその子が好きになった。

 ある日レッスンが終るとその子のおじいちゃんから電話があった。忘れ物をした様子だった。ぞんざいな対応は少しもしたつもりがなかったマイルスだったが、それでレッスンは突然終わった。もうその子に会えないと思うと泣きそうなくらい悲しかった。

レッスン代はおじいちゃんが出していた。面識はなかった。

 マイルスは考えた。このレッスンは歌が好きだけど、上手くいかなかった事を一度味わった人に必要なレッスンなのだ。

 マイルスはその人その人のためのレッスンをデザインするが、各人の顔色をうかがう訳ではなかった。時間のかかることをやっているのかもしれないと思った。マイルスのやることはみんなの歌を良くするという使命で、Neo Maggio は圧倒的に即効性があるのに、うまく伝わらない。それには何か問題があるのかと思った。レッスンで学ぶのはみんなではなく自分ではないかと思った。

 マイルスはみんなの歌をレコーディングで残した。みんなの活動をビデオで残した。彼らのモチベーションをニューヨークで培ったスキルで上げようとした。自分のできることは何でもやろうとした。自分の自信が記録に残ればみんな頑張れるかもしれないと思った。

 自分の歌が作品になる。メソッドを自分の物にして変わった自分の歌が作品になる。作品というと市場に出て売られるものの事をいうと思ってるかもしれないが、あれは商品だ。その中に作品を見つける。そして良い作品は中々ない。魂の叫びが聞こえる作品はもっと少ない。

この世に生きた証を歌にしたい。

 歌のレッスンはレコーディングで残したい。あなたの「想い」はレコーディングされる。録音した波形のどこを見ても「想い」は見つからないように見える。

でも「想い」は確かに聴こえる。伝わる。

「想い」がなければもうマイルスは音楽とは呼ばない。だから「想い」は込めなければならない。見た目、聴いた目は同じなのにまるで違う音楽になる。人々はこれをレコーディング芸術と言ってきた。アートなのだ。

 最初からアートを造りなさいとは言っていない。やり始めなければ何にも出来てこない。そしてその内作ったものがアートに変化し始める。

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