第十三話 余韻の話

「余韻は聞こえるか聞こえないか分からない部分ですから、声の出てない部分は歌わないというのでは余韻は付きません」


「同じようにその部分は歌い手だけが音楽していないことになります。これはイントロやアウトロ、間奏でも同じです」とマイルス。


 歌ってないところも、歌うってこと…?


「また余韻はうれしい、楽しい、悲しい、さみしいなど、ここに気持ちを込められる大事な箇所です」

「ここにケアが無いということは、気持ちの入ってない歌ということと同義です」


 気持ちは込めたいよね…


「もう一つ気付かれていないのですが、余韻をつけるために投げる発声をすると、喉が自動的に下がり広がり、発声が安定します」

「長い音符の後にだけ余韻を付けるのではなく、短い音にも同じように付けます。これが音程を安定させ、歯切れの良い太く響く声を作ります」


 余韻だけじゃないのか…


「余韻はそれ自体では何の働きもありませんが、余韻の無い歌は、休息や睡眠の無い生活のようなものです。空気感、空間、つや、音色、ため息、こみあげる気持ち、これらは余韻なしには味わうことが出来ません」


 そうだよね…


「食べ物や飲み物を、食べたり飲んだりした時、後味がなければ何とつまらないことでしょう。無味乾燥とはこういうことを言うのでしょう」


 鈴木氏はレッスンからの帰り道、小鴨の泳ぐ芝浦の運河沿いの道を歩いていた。この辺りは、明治時代からの埋立地で、それ以前は江戸城が迫る、芝浦の海岸だった。落語に出てくる「芝浜」もこの辺りだと思う。埋め立てが進み、芝浦海岸通は旧芝浦海岸通になった。


 最近はこの辺りはタワーマンションが立ち並び、子供の数も急速に増えた、と鈴木氏は思った。


 街並みを眺めながら、鈴木氏の頭の中には、今日の先生の言葉が、後味のように余韻のように、何時までも響いていた。



いいですか?決して結果を求めてはいけません。

そう、基本を、手順を守ることです。

そうしている内に結果は自ずと表れてきます。

考えても上手くいきません。歌はスポーツと同じように身に着けるのです。

考えても上手くはなりません。

良い歌が歌えるようにはなりません。基本を、手順を身に着けましょう。

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