第二話 東京

 マイルスは渋谷にいた。宮益坂の入口に近い開発前の宮下公園の手前にハッピーバレーはあった。いわゆるダンスホールだ。武者修行のつもりで入ったバンドはいわゆるラテンバンドで、ビッグバンドには慣れたつもりのマイルスだったが演奏量は半端なかった。


 ラテンのトランペットはソロ楽器というよりパーカッションで、ハイトーンのリズムを刻み、それを20回繰り返すなんて言うのはザラにあった。最初は3番トランペットで入ったのでそれ程つらくはなかったが、一人辞め、二人辞めして2か月後には1番トランペットだ。ポジションは上がったが、給料は上がらなかった。仕事が終わっても口からトランペットが外れない。無理矢理に剥がすと、彼の唇はマウスピースの方にあった。


 それでも若かったのか毎晩何となくそれをこなした。そして仕事が終わると銀座や新宿に吹きに行った。銀座では演奏はボリュームをセーブしたスウィートな曲が多かったが、新宿では逆だった。ギターがバンマスのフュージョンバンドで、煽られて30分近くソロをとった。バンマスも負けじと延々とソロをとったので、1曲でステージは終わった。


 彼はマネージャーに呼び出された。戻ってきた彼に「ごめんなさい、オレのソロ流石に長すぎましたよね?」と謝ると、彼は

「バカヤロー、大丈夫だよ、気にすんな!」と言った。


 ラテンバンドのベースは吃音があって、そのせいで薬を飲んでいた。ある夜薬の量を間違えたのか大きなベースアンプごとホールに落ちた。即クビだった。そのあとのステージは対バン(交代のバンド)のベースが手伝って終わったが、翌日にはもう新しいベースがいつも通りに演奏していた。ここでは人は使い捨てだと思った。


 

 昼間はジャズ喫茶に生演奏を聴きに行った。THのラッパやPさんのピアノも聴いた。いつもの夜の演奏とは違って刺激的だった。THはステージが終わっても楽屋でラッパを吹き続けていた。ステージとどう違うんだろうと思った。Pさんは内面的な音楽で、相変わらず「うー、うー」と言っていた。




 東京には違和感を覚えた。初めての経験はどこか無理をしていた。いきなり飛び込んでも上手くいかないこともある。みんな良い人にも、悪い人にも見える。何もしないで手を差し伸べてくれる人はいない。東京の人はスマートに見えて、冷たい感じで何を語れば話を聞いてくれるのか分からなかった。



 思えばすべてのバンマスから搾取を受けていた。若くて経験が少ないから、言い値になる。どこに行っても給料は上がらない。生活できなくても、バンマスは気にもしていない。

 一応給料の話は出る。新しいバンマスは、「で、前はいくらだった」と聞く。そして「同じでいいよね」と言う。下がるわけではないので、騙される。しかし東京の物価は違う。電車賃もかかる。とにかく金がかかる。そうなると良い音楽ではなく、ギャラの良い音楽を選ぶ。


「これって夢描いていたものなの?」と思った。良い音楽で食えないのは我慢できるのに出会えないのは何故だろうと思った。自分で気持ちの良い音楽は出来ると思うが、それを聴いて貰う場所を見つけるのは難しく、更に個性のあるもの、オリジナリティを前面に出すものは更に困難だ、とマイルスは思った。 そうするためにはさらに自分の音楽を磨く、経験を積む、本物に触れる、いろんな音楽を聴く、自分なりの工夫をする事が大切だろう。

とにかく このままではどうにもならない事は分かる、一体 自分には、 その才能はあるのだろうか? もし、 努力をしても才能がないと分かった未来はどんなものだろう?その時 自分は耐えられるのだろうか?

 楽しいから始めた 音楽だったが、 続けていくとどんどん苦しくなっていくような気がした。「音楽」という漢字は音を楽しむと書く、しかしマイルスには「音我苦」と書くように思えた。


 いけない、 自分は少し都会に疲れているかもしれないと思った。自分の近所で暖かく育った子猫が、踏み込んだ ジャングルに躊躇している そんな感じだった。

一度 地元に戻って、体制を立て直してから戻ってこよう。 今度は、いろんな準備をしっかりやって、そうすれば このジャングルでも生きていけるかもしれない。そう思ったマイルスは東京に別れを告げた。




 地元に帰り、 元のバンドに戻った。その時は夏だったので、 ビアガーデンの バンドが仕事だった。 そのビアガーデンはホテルの屋上にあった。そしてそのホテルのロビーで若い芸者とすれ違った。息をのんだ。

 その芸者は以前、いきなりマイルスの前から姿を消した小菊だった。

彼女との出会いは、マイルスがプロになって まもなくのキャバレー だった。そのキャバレーはマイルスにとって初めての演奏場所ではなかった。オーナーが代わっていたが、ここには 高校生時代からラッパを吹きに来ていた。プロではなかったが、 バンド の一員を任されていた。言わば研修生だった。

 ホステスの一人が手紙を持ってきてその子はどこかのバーで待っているという。

「とっても可愛い子よ」と付け加えた。

待ち合わせの場所に行くと、着替えを済ませた彼女がいた。マイルスと小菊はお互いのことをよく知らないのに、すぐに仲良しになった。二人はとりとめない話を朝まで続けた。ある時、朝まで一緒にいた二人は駅のベンチにいた。小菊はマイルスの膝に頭を乗せ横になっていた。通学する女学生達が「くすくす」と囁いていた。小菊は幸せそうだった。

小菊は自分の母親がやっている居酒屋に連れて行ってくれた。マイルスも自分の母親に小菊を紹介した。出勤時間が同じような二人はほぼ毎日会って 、お互いのいない時間が考えられなくなった。

 ある日マイルスは「オレと一緒に暮らさないか?」と訊ねた。小菊は一瞬考えて、マイルスの手をホテルへと引っ張った。マイルスにとって至福の時だった。その波は何度も訪れた。そして眠りに落ちて目覚めると小菊はもういなかった。


 夜にはまた会えると思っていたが、何の連絡もなかった。小菊の行きそうな場所を訪ねたが会えなかった。小菊の母親の店にも行ったが、知らないといった。

 思い切って自宅に行ってみたが、出てきたのはやくざのお兄さんで、

「お嬢さんは、いらっしゃいません」と言われた。聞いてはいたが小菊はやくざの親分の娘だった。

 何か月も探したし、検番(芸者の事務所)にも行ったが、口裏を合わせて、嘘を言って教えてくれなかった。それで失望して東京に旅立った。


 その小菊が目の前にいる。ドキドキした。お互い仕事中だったこともあり、話を交わすことなくその場を離れた。そしてまた小菊はいなくなった。思えばやくざの親からマイルスを守ったとしか考えられなかった。




 夏が終わった マイルスの職場は ナイトクラブだった。 マイルスはそこのバンドを任されていて、 トランペット、ピアノ、ベース、ドラムの編成だった。ドラムにケンちゃんが叩きに来てくれた。その頃ケンちゃんはトランペットからドラムに転向していた。マイルスは彼のドラムが好きだった。彼のグルーブが好きだった。


 客の入りは上々なクラブだったが、選曲でバンマスMに注文を付けられた。意見を言ったら即クビになった。クビになったのはマイルスだけではなかった。ピアノを除く全員だった。Mはバンド経営が上手く行かなくて、リストラのチャンスを待っていたみたいだった。


 ケンちゃんは自分の仕事があって忙しく、ベースは大学生なので本分がある。しかし夜になるとジャズ喫茶に集まってジャズった。これが正しい形かとマイルスは思った。


 しばらくして ベースが他のバンドに入ることになってバンド は解散した。またマイルスはひとりぼっちになった。

 一人ではクラシックはできても、ジャズはできない。なぜならジャズはインタープレー 、対話だからだ。一人でやれば、 それは 独り言だ。 “Left alone”…



 落ち込んでいる間もなく、マイルスは拾われた。バンマスAだ。しかしそこには条件があった。

「マイルスちゃん、ほとぼりが冷めるまで1か月位遊んで来い、給料出すから」

「あ、はい」

ラッキーとしか言いようのない話だが、バンマスAはバンマスMに気を使ってる。彼らは縄張りをもっている。やくざかよ...彼らはあの喫茶リズで一緒にプレイしていた仲間じゃないか...

ほとぼりって何だよ、オレ悪いことした国会議員じゃないぞ...



 とにかく新しい仕事場は新鮮で新しい空気があった。バンマスAは何かにつけ相談してくれた。会議室は彼の車の中だった。それはいつも真夜中で、Aはマイルスが付き合ってくれるのが嬉しいようだった。

 このAとは不況のとき二人きりで乗り越えることになる。マイルスは彼のギターのプレイが好きだったし柔らかい物腰も好きだった。

 新しい仕事場は新開発のリゾートホテルのバーなので、建物や設備は大きく新しく、広大な敷地の中にあってゆったり感が半端なかった。働く人々も明るくはつらつとして、地元に今までなかった空気が流れていた。


 そこで会ったのが歌手のヨッちんだった。手足の長いモデルのような娘であった。 モデル風と言っても、10代だったので まだ あどけなさがある。しかし髪が腰まであるヨッちんの容姿は東京のそれであった。地方では売っていないような服を着て洗練された成り立ちだ。

人前ではそれなりにしゃべっていて分からないけど、バンドの中での会話は訛りが目いっぱいで、容姿とのギャップがたまらなくおかしかった。黙ってホテルの中を連れ回していれば、みんなが振り返る。しかし、一旦会話となってみると、どこの田舎娘だと思えるほどの変わりようだった。

 マイルスはヨッちんとの会話が楽しかった。そのギャップが可愛かった。 そんなマイルスに彼女は デュエットの曲を一緒に歌ってほしいと訊いてきた。

「いいよ」と言ったが、プロとして人前で歌うのはマイルスにとって初めてだった。歌ってみるとそれは案外大変ではないことが分かった。楽器をこなすせいもあり上手く歌おうとしなければ歌えることに気がついた。ヨッちんがメインなのだ。そしてマイルスが歌うのはヨッちんとだけだった。


 人が振り向くほど可愛いヨッちんは 、歌も自分のスタイルで卒なくこなしたが、東京のスカウトに誘われたことがあると言った。 きっと東京でも上手くいったのではないかと思ったが、ヨッちんは 東京が怖いと言った。会話をしてる時のように、彼女は田舎の子で 歌が好きなだけだろうと思った。人には いろんな風に音楽や歌に接してる姿勢があるのだとマイルスは思った。

有名になりたいとか、 みんなにもてはやされたいと思ってる訳ではなさそうだった。ただ歌が好きで、聞いてもらえたら嬉しいと思っていると感じた。




 このバンドは居心地が良かった。リクエストさえなければ好きな曲を演奏できた。 しかしマイルスは何か物足りないものを感じていた。このままの感じがこの先何十年と続くのだろうか? そうではないと思った。 自分は何を目指してるのかとも思った。


 マイルスはミュージシャン同士の勉強が足らないのではないかと思った。 仲間に声をかけて 、勉強会をやろうと誘った。以前の仲間にも会って音楽の勉強がしたかった。しかしそれは バンマスMに阻まれた。マイルスと会って話をするのはいいが、 プレイをしてはならないというお達しだった。異バンド間での仕事はいいが、勉強はいけないというものだった。何だ、それ?

 音楽屋は良いが、音楽家はいけないと言うのか?エンターテインメントはいいが、アートはいけないということ?


 憧れた音楽の世界には 、音楽だけではないものがあった。これはどこに行っても同じなんだろうか? 仕事でやる 音楽が嫌だというわけではない。 しかしそれだけでは生きていけない、そういう思いがマイルスの中にはあった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る