第11話「異変」

ノマドの授業の後は、サンクトゥアリウムの食堂に向かう。


厨房は基本的にはソシエさんが一人で取り仕切っている。

けれど、最近は私も中に入ってお手伝いをしているのだ。


やっぱり料理すること自体も好きだし、材料を分けてもらっているということへの恩返しの意味合いもある。


ソシエさんも「レヴリーのお陰で一品多く料理が出せるようになったわ」と言ってくれるようになった。

自分の流儀に拘って、厨房には他人を入らせないという料理人も多い。

けれど、ソシエさんは初対面の時にも言っていた通り、もともと助手が欲しかったらしく、私の厨房に入りたいという提案もすんなり受け入れてくれた。


さらには、材料の下ごしらえや、洗い物といったヘルプだけでなく、好きに一品を作って良いと任せてくれている。


今日の私の担当メニューはミートパイだ。

ちょうど新鮮なトマトと挽肉があったのと、何より余った中身をパスタソースとして転用できるのが良い。

自分の夕食用にもできるという一石二鳥な理由なのである。

何事もこうした節約精神は大切なのだ。


さて、ソシエさんと一緒に料理を食堂に並べるのも私の仕事である。

けれど、これが一番気が重い。


エクレールと必ず出くわしてしまうからだ。


実のところ、そもそも厨房の手伝いをしようした動機が、エクレールと食堂で出くわしてしまう時間を極力少なくするためなのである。


彼を見るとどうしても色々なことを考えてしまう。

それを棚上げするためにも、なるべくエクレールと接触しないようにしているのだ。


ただ、こうした配膳だけはどうしようもない。

上げ膳下げ膳の時は、心を無にするのみである。


それでも悪いことだけではなく、ぱくぱくと美味しそうに料理を食べてくれるスクレくんの様子に癒されたりもするので、メンタル的にはなんとかプラマイゼロ位には収まっている。

ちなみに、メリュジーヌ様は王族なので食堂にはお見えにならず、お抱えシェフが料理をケータリングしているらしい。

さすが本物のVIPである。


食堂はソーマタージ専用というわけではなく、他の教会関係者も利用する。

そうした人たちはトレーを手にして、厨房側に用意されている料理を自分でよそって貰うスタイルだ。


お昼時ともなればすぐに席は埋まり、食事時特有の喧騒が食堂全体に響く。

私はこうした賑やかさが好きだ。

どんな人であっても共通する、食事を摂るということの幸せが溢れているような気がして、元気を貰えるのだ。


食堂の仕事がひと段落すると、少し遅めのお昼をいただく。

いわゆる「まかない料理」というやつである。

ソシエさんがパパッと作ってくれるのだけれど、本職のシェフなだけあって簡単なメニューであってもとても美味しい。

今日は自家製マヨネーズたっぷりの卵のサンドと、余った食材を煮込んだスープである。


サンドイッチはマヨネーズの絶妙な味わいがとても美味しい逸品で、マヨネーズだけでも舐めたいくらいだ。

けれど、スープは相変わらずのビジュー風。

素材がいかに良かろうとも味気のないお味である。


それでも最近は私の舌も慣れたのか、確かにこのビジューの薄味も素材そのものの味がするので悪くないかも?と思い始めていたりもする。

異文化理解というやつだ。

だけれどその一方で、やはりシャリテ風の味の濃いダシは諦められない私がいるのも確かだ。


とりあえずは、もう少しソシエさんとの信頼関係を確実なものにしてから、ダシを採用してもらえるようにしようというのが私の計画である。

何事もことを急ぎすぎると碌なことがないのだ。


それに、料理人というのは新しいレシピに貪欲な生き物である。

私が、おばあさんから教わったシャリテ料理のレシピの数々はソシエさんにとっても興味のあるものに違いない。

カードはその価値に応じて、計画的に切っていくことが大切なのだ。





さて、基本的に授業は午前中だけなので、午後はフリーになる。

ちょうど厨房の裏手に東屋のような休憩スペースがあるので、午前中の疲れを癒すために私は大抵そこでまったりしているのだ。


ちなみに最近気づいたのだけれど、厨房の残飯を狙ってやってくるのか、この辺りには野良猫が多い。

中には人懐っこいのもいて、撫でて欲しいと足元に擦り寄って来る子も何匹かいる。

特に白いのが私のお気に入りだ。


「はい。お土産」


猫の腹を撫でていると、ミルクの瓶とお皿を抱えた少年がひょっこりと現れた。

スクレくんだ。


彼はいつの間にかここに来るようになり、こうして一緒に猫にミルクをあげたりしているのだ。


「お姉ちゃん、もう仕事はお終い?」

「うん、いま終わったところ。今日もたくさんジャガイモを剥いたわ〜」

「本当にお疲れ様。ほら、お姉ちゃんにもご褒美」


スクレくんは胸ポケットから、カラフルな包み紙に覆われたキャンディーを取り出すと、ニッコリとした笑顔と共に渡してくれる。

本当、良い子ねこの子!


「あ、そうだ。今日のミートパイ、レヴリーお姉ちゃんが作ったでしょ。美味しかったよ!」

「…良く分かったわね。正解よ」


ソシエさんには毎回一品好きなものを作らせてもらっているけど、当然それは私とソシエさんの間でしか分からない。

けれどスクレくんは不思議なことにこうして私が作った料理を当てに来るのだ。


自分向けに作っているのではなく、あくまでビジュー風に料理しているから味だけで分かる確率は低い…はずだ。

だけれど、それをこの少年はピタリと当てる。これもソーマタージの能力ってやつなのしら?

正直言って不気味である。


「じゃあ今日も僕の勝ちだね」


そう言いながら、スクレくんは私の膝に頭をポンと乗せて来る。

いわゆる膝枕というやつである。

一体何の勝ち負けなのかは分からないが、私の作った料理を当てた景品は私の膝枕らしい。


ちょっと前、こうして東屋で他愛もない話をしている間にうとうとと眠ってしまったスクレくんを、彼の目が覚めるまで膝枕してあげたことがあった。

それがどうやらツボに入ったのか、こうして何かに理由をつけては膝枕してもらおうとしてくるのだ。

まだまだ甘えたい年頃ということかもしれない。


お日様のような少年特有の匂いと、髪の毛から香る爽やかな石鹸の香り。

目を瞑った横顔は正直言って彫刻のような美少年である。

まぁ、そうしたこともあって彼が膝枕を強請ってきても悪い気はしないのだ。


ただ一つ心配事があるとしたら、メリュジーヌ様である。

彼女にだけはこの現場を見つかりたくない。

見つかれば相当マズイことになる。

私としては甘えん坊の弟のようにしか見えていなくても、彼女にとっては問答無用な光景に映ってしまうだろう。

あの胴体よりも太い、竜族特有の尻尾で空の彼方まで吹っ飛ばされるのは御免なのである。


それにしても、と私は嘆息する。

狭い東屋のベンチに座る私の膝の上という更に狭いスペースに密集する二つのモフモフ。

左膝には懐っこい白猫が丸くなり、薄くゴロゴロと息をしながら頭を乗せている。

そして右膝には美少年が同じように丸くなり、顔をスリスリしながら頭を乗せている。

一体何なのかしらこの状況…。


だけど、こうして見るとスクレくんもまるで猫みたいね。

そのサラサラの髪を撫でながらそんな馬鹿らしい考えが頭を過ぎる。


少し強い風が、木々のざわめきと共に東屋の中を吹き抜ける。

雲の流れに合わせてゆっくりと切り替わる陽射しの明暗。


こんな風にゆっくりした毎日も悪くないかな。

猫とスクレを交互に撫でながら、合衆帝国からこちらに来てはじめて、私は落ち着いた気持ちで何となくそう思った。





翌朝、サンクトゥアリウムは大騒ぎになっていた。


「聞いたか?サンクティ・サピアンティアが失踪したって」

「いや、誘拐の線もあるらしいぞ」

「シャリテに拉致か。…あり得るな」

「俺は暗殺されたって聞いたが違うのか?」


書記官たちをはじめとして様々な声が飛び交い、メリュジーヌ様は自らの親衛隊に捜索させると息巻いたりと、上を下への大騒ぎである。


でも、サンクティ・サピエンティアって誰のことなのかしら?


「あの、『サンクティ・サピアンティア』って誰なんです?」


知らないものは知らないのだ。

こういう時は知ったかぶるよりも、きちんと質問した方が良い。

手近にいた書記官の一人に声をかけてみる。

すると、彼は大層驚いた顔をしながら答えてくれた。


「レ、レヴリー様⁈あー、サンクティ・サピエンティアとはスクレ様のことです。今朝になって、忽然と姿を消されたのですよ!」


え?

何それ。

私の思考回路が追いつかない。


どういうわけか、スクレくんはサンクトゥアリウムから失踪していた。

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