第8話「廃教会」
瞼の裏にうっすらとした光を感じる。
ぼんやりとした意識の中で目を開くと、ステンドグラス越しに降り注ぐ月光が私を照らしていた。
それは万華鏡の様に私をモザイク色に染め上げている。
音はない。
しんとしたこの世界の時を進めるのはいやに大きく感じる自分の呼吸だけ。
身体を起こすと、軽い毛布がかけられていることに気づいた。
心許なさと肌寒さに、毛布をギュッと抱きしめる。
ここはどこなのだろうか。
辺りを見回してみる。
広い室内には数列のベンチと祭壇。
そして、ステンドグラスのはまった高い天井からは、幾筋かの月明かりが漏れている。
どこかの教会の礼拝堂だろうか。
手入れはされておらず窓は割れ、ベンチも所々壊れて座れないものがある。
どれも長年使われた形跡がなく、埃っぽい。
どうして私はこんなところにいるんだろう。
まだ胡乱な意識の中で記憶の糸を手繰り寄せる。
私はダンジョンで魔法騎士の男に捕まってしまった。
そして、そうだ…。
あの恐ろしい電撃に私は気を失ったんだ。
思わず両手で肩を抱きしめる。
エクレールは私を捕らえていた男だけをその電撃魔法で一瞬にして消し炭にした。
そのとき私の全身にビリビリと走った悍ましい感覚と、独特の臭気。
それは三年前に失われた私の記憶の中で、唯一はっきりと覚えている感覚。
――私の両親の命を奪った電撃が放たれた時と同じだった。
そして意識を失う瞬間、ある可能性が脳裏に浮かんだのだ。
この恐ろしい電撃を放つエクレールは、私の両親の仇なのかもしれない、と。
もちろん、電撃魔法を扱う魔法使いは世界にごまんといるだろう。
それに私はエクレールがどんな人間で、これまでどんな人生を歩んできたのかも全く知らない。
しかし、点と点がはっきりと線で結びついたかのようなこの直感は、気のせいで済ますことができないほど私の心を占めている。
…でもこの想像がもし本当だとして、私はどうしたいのだろう。
真実をはっきりさせたいだけなのか。
それとも仮に彼が犯人だとして謝ってほしいのか。
その罪を断罪したいのか。
そのどれもが、正解の様でもあり、不正解の様にも思えた。
今の段階では、もっと私自身の気持ちを整理するのが先決だ。
だってそもそも、ここがどこなのかも全然分からないし。
まずは自分自身の身を守ることを優先しよう。
私は気を取り直して立ち上がる。
すると、向こうのほうからぼんやりとした光が近づいてくるのが見えた。
身体を硬くして警戒する。
「あ、レヴリーちゃん目が覚めた?良かったわ〜。気分はどう?寒くはない?どこか痛いところはない?お腹空いた?」
「だ、大丈夫よ。ありがとうエクリ」
光の正体はエクリのかかげるランタンの光だった。
彼女は矢継ぎ早に言葉を浴びせてくるが、その優しさが今の私の心にじんわりと染みた。
ここでまた怪しい強盗団の一味でも現れたらどうしようかと思ったけれど、彼女の糸目を更に細めた笑顔を見て自分でも意外なほどに安心している。
「それにしても、ここは一体どこなの?ダンジョンにいたのまでは覚えてるんだけど…」
「ここはディアマンの外れにある古い教会よ。ちょっと話が複雑になっちゃってね…」
エクリはバツが悪そうに眉間に皺を寄せる。
「ダンジョン攻略自体は上手くいったのよ。レヴリーちゃんが気を失った後に、エクレールくんとメリっちが強盗団の残りをあらかた片付けてくれてね。人質も無事に取り戻すことができたから意気揚々と本部に帰ったわけ。それで、レヴリーちゃんを医務室で診てもらってから寮で寝かせてもらおうとしたらあの聖女様マニアがいらんこと言ってきたのよ。『ソーマタージ見習いに住まわせる寮はない』って。酷くない?私すごく抗議したんだけど、先生もまあ仕方ないっていうもんだから全然頼りにならなくって!」
ぷんぷんと音がしそうなほど、ほおを膨らませてエクリは怒っている。
「メリっち」ってメリュジーヌ様のことよね。
どんなセンスなのよエクリってば…。
それにしても何というか、オルグイユの嫌がらせもここまでくると感心してしまう。
そんなに嫌なら私を家に帰してよ本当…。
「それでここなら自由に使っても良いって言われて来たんだけど、ご覧の有様でね。この世界の宝であるソーマタージに対して本当に酷い仕打ちだわ」
「まあ、きっと何かの間違いというか、まだ本当に私がソーマタージと決まったわけじゃないし…」
「この長い歴史上、祝福の水晶球がソーマタージの認定を誤ったことはないわ。レヴリーちゃん、あなたは間違いなくソーマタージよ」
エクリは真剣なトーンで私の目を見つめて話す。
普段軽いだけに、その真剣さに気圧されてしまう。
「でも私、自分じゃ何にも変わったところなんて感じないわ。そもそもどうやってソーマタージは自分の力に気づくのかしら」
「そうね〜。これまでの列聖伝の記録では、その人が本当に望むものが現れたときにその力に目覚めるっていうのが多いわね」
ノマドも同じことを言っていた。
でも、私が「本当に望むもの」というのが一体何なのか、自分でもよく分からないのだ。
おばあさんとおじいさんのいる故郷に帰りたいというのは嘘偽りない本当に望んでいることだ。
それなのに、私に宿るはずの奇跡の力はうんともすんとも言わないのである。
空間移動のソーマタージでないことだけは確かなことしか分からない。
「そんな泣きそうな顔しないでレヴリん。大丈夫。あなたの素敵な奇跡は今に分かるわ」
励まそうと抱きしめてくれるエクリ。
でもちょっと待って!
「ねぇ、『レヴリん』ってなに?」
「あだ名よ。今決めたの。素敵でしょ!」
エクリはきょとんとした顔でこちらを見つめ返す。
「あ、もしかして気に入らなかった?ごめんごめん。それなら、『レヴレヴ』か『レヴぽん』のどっちが良い?」
どっちも凄く嫌です…。
「エクリ、マジなの?」
「マジよ。さあ、好きなのを選んで」
その後は断固拒否を貫く私と、壊滅的ネーミングセンスのエクリのしょうもない応酬で夜は更けていった。
結局、私のあだ名は「レヴりん」になった。
全くもって不本意だったけれど、その他の唾棄すべき案の中で一番マシだったからだ。
◇
「こんな夜更けに仕事熱心だねぇ。ま、お互い様か」
トルバは吸いさしのタバコをピンと地面に放り、靴底でその火を消す。
その間にも、眼前で武器を構える黒装束に身を包んだ男たちは、ジリジリとこちらへの間合いを詰めてくる。
レヴリーとエクリのいる廃教会の裏手。
そこは死線特有の張り詰めた空気が立ち込めていた。
トルバの足元にはすでに文字通り真っ二つになった男の死骸が鮮血を撒き散らしている。
トルバの手に握られた、遥か東方の島国でしか鍛えることができない「大太刀」により両断されたのである。
「お次に来るのはどちらさんかい?」
男たちは声も上げずに動いた。
尋常でない速さでトルバに迫る。
深夜の暗闇の中で、刃が交わる火花と銃口のマズルフラッシュが飛び交う。
その光はさながら影絵の様に、この戦いを照らし出している。
絶妙な連携でトルバに攻撃を繰り出す男たち。
しかし、そのどれもがトルバには今一歩というところで届かない。
ひとりまたひとりと、男たちはトルバの大太刀が閃く度に数を減らしていく。
「一人くらいは残しとかないと、ノマドに怒られちまうかな?…だが、腕くらいは伊達にしてやらないとなあ!」
とうとう最後の一人となった黒ずくめの男は、それでも臆することなくトルバに襲いかかる。
得物は両手に構えられたナイフ。
その流れるようなナイフ捌きに、かなりの使い手であることが伺い知れる。
たしかにそのリーチは短い。
しかしその不利を補う優れた体術でトルバの懐へ巧みに入り込み、男は的確に急所を狙ってくる。
トルバの大太刀は、大振りが故に小回りが効きにくいのは確かである。
矢継ぎ早に繰り出される男の攻撃に翻弄されるようにトルバは防戦一方になる。
そして、ナイフ使いの男はとうとうトルバを壁際まで追い詰めた。
あと一撃で勝機を掴めると男が確信した瞬間、その腕はナイフを握りしめたまま斬り飛ばされていた。
「片腕だけ貰うってのは、却って手間だな。もう一本行っとくか、飼い主を吐くか。決めるのはお前さんだぜ?」
トルバは曲芸の様に、斬り飛ばされて宙を舞う男の腕を大太刀で串刺しにし、男に告げる。
おそらく激痛の走っているだろうにも関わらず、男は声ひとつ上げることもなくトルバと対面する。
その眼にほんの一瞬の逡巡を宿したあと、残された片腕に握られたナイフで男は自らの首をかき切った。
「ありゃりゃ。せっかく良い腕だったのに勿体ないねぇ。しかし、どうノマドに説明するかな。…まぁ、エクリに任せれば良いか」
頭をぽりぽりとかきながら、トルバは大太刀を鞘に収める。
よくよく数えると謎の襲撃者の死体は五人あった。
このフェリシタシオンにあって、五人もいて誰もが全く魔法を使わないというケースは存在しないと言っても過言ではない。
自然と導き出されるこの男たちと、その雇い主の正体だが、トルバには興味のないことだった。
寝酒でもして寝るか、と欠伸をしながら男たちの死骸が転がる場を後にした。
◇
大陸南部の半島。
魔法と奇跡の一切が行使できないことから、神に見捨てられた地獄――アンフェールと名付けられた大地。
その地を支配するH&S合衆帝国の帝都ワシントン。
碁盤目に整備され、いくつもの線路や道路が交錯する広大な街の中心部。
そこには皇帝一族が暮らす宮廷かつ帝国府である通称「赤の公邸」が鎮座している。
その真紅の建築は十分に人目を引き、国の象徴たる堂々なものである。
しかし、それよりも更に人目を引くものがその隣に屹立していた。
合衆帝国の誇る科学研究を推進発展させる最先端機関、帝国ワシントン科学アカデミーのビルディングである。
まだ合衆帝国内でも珍しい鉄骨を用いた高層建築であり、高さは優に50メートルを越えている。
その装飾を抑えた外観は、長方形のレンガを垂直に地面に突き立てたような独特の威容を放っていた。
そのビルディングの最上階にある一室。
色とりどりの液体の入ったビーカーやフラスコ。
ぼんやりと淡く光る謎の金属の塊。
鳥の様な翼を持った無数の木の模型。
びっしりとメモや数式の書き込まれたノート。
そうした研究資材の山に囲まれたデスクに白衣姿の青年が突っ伏し熟睡している。
「アッシュ起きなさい!まーた徹夜で研究なんかしてこの子ったらもう」
その青年を起こそうと、女性が肩を揺らす。
ウェーブのかかったイエローゴールドのブロンドも相まって派手な印象のある女性だが、品がないというわけではない。
むしろ、華のある高貴さを全身から放っている。
「…うーん、あと10分…いや、5分だけでも研究を…」
「そんな子供みたいなこと言って!良い加減起きなさい。もう執務が始まる時間よ!」
寝ぼけ眼の青年はボサボサの、しかしそれでも美しいプラチナシルバーの髪を掻きながら、のろのろと起き上がる。
女性の方はテキパキと動き回り、青年の髪をとかしてやったり、朝食のワンプレートを置いたり、白衣から着替えさせたりと世話を焼いていく。
そして、部屋を閉ざしていたカーテンを勢いよく開けた。
一気に光が差し込む室内。
陽の光を受けて、青年の腰掛けるデスクを背にした壁に、大きく描かれた槌と鎌を意匠化したエンブレムが浮かび上がる。
H&S合衆帝国の国旗である。
「うん。良い天気!今日も素敵な朝ね。さあ、シャキッとしなさい。大統領!」
女性にバンっと背中を叩かれたこの青年の名はアッシュ・J・ワシントン。
若干17歳にして、H&S合衆帝国の第66代大統領である。
また同時に、出来たばかりの航空科学というジャンルで人類を空に飛ばすことを夢見る若き科学者でもあった。
「もう、痛いよ姉さんったら。今日はこんなに早くからどうしたんだい。また外務定例報告かい?」
「愛する弟に会いに来るのに理由なんていらないわ」
そう言いながらアッシュの膝に座った女性の名はジェニファー・ワシントン。
アッシュ大統領の実の姉にして、主席大統領補佐官である。
彼女は科学者一家である皇室のワシントン家にあって、科学ではなく政治への天賦の才を持って生まれた。
学者肌の弟に代わり、実質的に合衆帝国のあらゆる差配を行っているのは彼女だった。
弟であるアッシュを溺愛しており、いつも「外務定例報告」と嘯いて仕事を放り出しては弟に会いに来るのである。
「それでね、例のあの娘の件なんだけど」
ジェニファーはアッシュの耳元で囁く。
異常な距離の近さだが、アッシュはいつものことと諦めている。
「ああ、ビジュー王国に亡命したソーマタージの件ね。もう処分できたのかい?」
「その逆よ。ビジューに忍ばせていた諜報部を向かわせたけど結果は全滅。どうも魔族がガードについているみたい」
「へぇ、魔族か…。厄介だけど、そうも言ってられないね。この帝国から魔法と奇跡の穢れを持つ者が出たという事実は必ずなかったことにしないとならない」
「そうよアッシュ。魔法と奇跡の易きに堕落した愚かな裏切り者には必ず報いを与えなければならないわ。この世界に真の繁栄をもたらすのは、科学以外にありえないのだから」
「科学への背信はこの帝国では万死に値する。必ず処分する様に頼むね姉さん」
「もちろんよ可愛いアッシュ。この帝国とワシントン家の名にかけて、必ず裏切り者のソーマタージ――レヴリー・O・マルシャンをこの世界から抹消してあげるわ」
そこまで話を聞くとアッシュはジェニファーがいつも執拗にしたがる抱擁を交わしてから、彼女を膝から引き剥がす。
こうでもしないといつまでもいるのだ、この姉は。
そして、もう執務の時間だからとアッシュは彼女を研究室から追い出した。
ジェニファーはまだ不満たらたらだったが、彼女の姿が廊下の角に完全に見えなくなるのを確認すると、アッシュは、ふう、とため息をついてデスクに腰掛けた。
姉さんも張り切りすぎだ。
話を合わせてソーマタージ暗殺の継続を許可したけれど、僕は内心無理だと思っている。
帝国の科学力では、まだフェリシタシオンの魔法や奇跡には勝てない。
それは紛れもない事実だからだ。
科学はファクトを重視する学問だ。
現実から目を逸らしては、本質を見失ってしまう。
それに、向こうには魔族もいるという。
この世界に魔族と同等の個人戦闘力を持つのは竜族だけだ。
人間では、いくら暗殺をしかけても無駄に人死にを増やすだけなのは明白だ。
聡明な姉さんなら、それがわからないはずはない。
けれど、この帝国には我が家の祖先である初代大統領ワシントンが著した「純粋魔法批判」という「呪縛」がある。
魔法と奇跡を「人間の創意工夫発展を害する諸悪の根源」と断じて極端に忌避する思想。
これが姉さんの聡明さを曇らせてしまっているのだ。
確かに、魔法も奇跡も使えないこの神に見捨てられた土地とも揶揄されてきたアンフェールでの厳しい開拓当時であれば、この思想は有効だったのだろう。
魔法と奇跡の力に頼らず、人間本来の肉体と知恵のみが文明を発展させ国を豊かにするという主義主張は、何も持たない開拓民たちにとって希望の光であり、強い結束を生んだ。
しかし、それからもう1000年の時が流れ、世界の姿は大きく変わっている。
長い歴史の中で帝国が血眼になって研究、蓄積してきた科学技術により、農業や工業は大きく発展した。
そして近年では鉄道網の整備により物流の量と質が格段に向上し、商業を劇的に進化させた。
いまや帝国のあらゆる産物はフェリシタシオン全土に輸出され、消費されている。
ビジューもトネールもシャリテも、帝国のもたらす多種多様な産物がなければ生活が成り立たないほどだ。
そうした意味で、この帝国はすでに経済的優位性ではむしろ三王国を凌駕していると言える。
だから良い加減、黴臭い反魔法主義なんて止めてしまえばいい。
せっかくすぐ目の前に魔法や奇跡があるんだ。
仲良くやって科学と組み合わせれば人は遠い空の彼方にある星にだって行ける。
それをやらないのは人類の損失ですらあると僕は思っている。
アッシュはデスクの上に散らばる一見ガラクタにしか見えない模型の山から円筒形のものを掴みとる。
そして、それを掴んだまま自分の頭上に掲げると、右に左に飛ばしはじめた。
「とはいえ、合衆帝国の大統領の僕がそれを言うわけにもいかないんだよなあ…」
それにしても、とアッシュの意識は手元の模型の様にまた別のところへ飛んでいく。
まさかこの「ソーマタージ事件」で彼女の名前をまた聞くとは思わなかった。
「レヴリー・O・マルシャン。君が本当に奇跡を起こす存在なら、きっとまた会える日が来るはず。それまで、どうか君に科学の幸があらんことを」
あの夏の実験の日、片田舎の街で偶然出会った赤毛の少女の面影を思い出しながら、若き大統領は今日の執務に取り掛かり始めた。
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