<第四章:ピリオロイド:モラトリアム・ゾンビ> 【01】


【01】


「ぐんそー、けが」

「ああ、めっちゃ怪我してる」

 子供が咽だす。血の混じった咳だった。

 ふと、子供の手首が目に入る。

 コルバがない。

 こいつ僕と同じように冬眠状態でここにいたのか? 今まで? 僕よりも長い時間だぞ。

 あ、そうか。

 軍曹ってウサギのキャラクターのことだな。そんな名前だったのを思………………一瞬、意識を失っていた。

 出血が止まらない。

 血を止めてから気絶しないと、この状態じゃ目覚めることができないだろう。

「君、ちょっと」

「けふっけふっけふっ!」

 子供は咽続けてる。

 たぶん、渇き過ぎて喉か口を切ったな。

 体を返し、水の入ったペットボトルを子供に渡す。

「飲め。痛いかもしれないが、ゆっくりと飲めるだけ飲め」

 こくこくと頷き、子供は水を飲みだした。

 馬鹿らしいことに気付く。コートを止血に使えばいい。形見を大事にし過ぎた。判断力が限界だ。

「坊主。じゃなかった。お嬢ちゃん。うわ、馬鹿らしい呼び方。えーと、名前はなんだ?」

「だばっ」

「飲んでからでいいから」

 子供は、こぼしながら水を飲み、しばらくして口を開く。

「コサメ」

 小雨だよな? あのサメじゃないよな? そんな偶然止めてくれよ。

「コサメ。お前に………任務を与える」

 アニメのキャラっぽく言った。

 子供相手とはいえ気恥ずかしい。

「その前に、縫い物はしたことあるか?」

「ぬ、ぬい?」

 わかってなさそう。

 年齢的に仕方ないな。やってみせるしかない。他人と話したせいか、少し意識もはっきりとしてきた。指も多少ながら動く。

 散らばった荷物の中から、ソーイングキットを手に取る。中から縫合用の太い縫い針と糸を取り出す。

「よく見ろ。気持ち悪いかもしれないが」

 針穴に糸を通し、体を起こして脇腹の傷を縫う。

 痛いが、今更どうってことのない痛み。雑に7針縫った。結んで糸を切り、新しい糸を通した針をコサメに渡す。

「僕の背中に同じ傷がある。縫ってくれ」

 背中を向ける。

「あ、う、うう」

 よくわからない返事。

 しまった。

 子供に何を言っているんだ僕は。

「難しいなら」

 プスっと針が刺さる。

 割と痛いけどノーリアクション。変に痛がると、手が鈍るかもしれない。

 気遣ってもコサメの処置は遅い。針が肉に刺さり、糸がズリズリ通る感触が伝わる。我慢だ我慢。

「う、うう」

「できたか?」

 触った感じ、上手く縫えている。結ぶのだけは自分でやり、糸を切った。

「ほら、報酬だ」

 チョコバーをコサメに渡した。

 視界が暗くなる。

 本当の本当に、これでもう体力の限界。名残惜しいが、愛用のコートをハサミで切断、包帯にして腹に巻いた。

 治療は完了。良くなるか悪くなるか、後は運任せだ。

「コサメ、いいか。僕は休まないといけない。水と食料は好きにしていいが、考えて食べろ。外には出るな。特に夜になったら静かにしているんだ。それと――――――」

 他に何か言うことは?

 ブラックアウト。

 僕の意識が閉じた。

 深く、どこまでも沈んで行く。

 泥の中の眠り。

 夢のない夢。

 いつもなら、思考も何もない空間なのだが、忘れていたことを思い出す。

“死にがい”についてだ。

 あの女のせいで忘れていた。本当にどこまでも、人の調子を狂わせるのが上手い女だ。

 次はどうするか?

 いつも通り、成り行き任せで決めていくか?

 ふと思い浮かぶのは、あの変異体だ。

 アレは、今まで遭遇した中で一番異質な存在だった。

 強く変化したと思えば、逆に弱くなる。僕らのような発症前の人間まで取り込もうとした。意味不明で、進化らしいと言えばそうなのだが、どこに向かっていたのか分からず終いだ。

 次、似たような個体に遭遇することがあれば、色々と試してみるのも一興か。それを新しい“死にがい”にしても良いかもだ。

 正直な話。

 ダラダラ生きるのも面倒になってきた。腹を括って、大物を倒して終わるのも良い。あの女みたいに、最後は花火になるのだ。

 モラトリアムは、そろそろおしまいにしよう。


(朝ですよ~新しい朝ですよ~!)


 なんか声がした。

 誰だ? 久々に良い気分なのに、叩き起こすのは。


(起きましょう~死んでるあなたたちが怠けてどうするのですか? 死者にすら労働を与える我々のありがたさを賞賛しましょう。では、社歌を)


 変な歌が大音量で流れ出した。

 人の夢の中でなんてもんを。苛立ち、完全に停止していた体が動き出す。

「うるせぇ」

 音の元に拳を落とす。

 手に硬い感触。タブレットだった。

『やっと目覚めましたね。3時間8分も呼び出しをさせるとは、なんというリソースの無駄遣い。感染者の方々が、残り少ない人生を無駄にしてどうするのですか!』

 ディスプレイ内では、OD社のマスコットが喋っていた。

 気色の悪い割れたザクロのゆるキャラだ。

「何の用だ? なんで喋っている」

 こいつ、案内用のキャラクターじゃないのか? 

 誰かが操作を?

『感染者さん。あなたは現在、未発症の個体を保護下に置いています。社内では今、彼女の処遇について、非常に長い時間をかけ協議している最中です』

「未発症? あの子供、コサメが? って、どこだ?」

 上半身を起こす。

 バリっと乾いた血が剥ける音がした。部屋を見回すが、コサメの姿はない。隠れる場所など大してないだろうに。

『彼女なら、あなたのバックパックに』

 転がったバックパックから、コサメが顔半分を出していた。

 目が合うと、慌てて出て来る。

「待て、こいつ感染していないのか?」

『コルバを装着させてください』

 散らばっている荷物の中から、新品のコルバを手に取る。

「手を出せ」

 コサメは、素直に手を差し出す。

 コルバを付けると、【0%】と表示された。

「本当に感染していない」

『いえ、そう簡単な話ではありません。コルバは、感染者にしか対応していないデバイスなのです。通常の人間が装着しても、起動すらしない。あなたの知能指数に合わせた説明をしましょう』

 ディスプレイのザクロは、クレヨンで描いた幼稚な絵を表示する。

『リンゴジュースとオレンジジュースがあります。これを混ぜることで、いわゆるゾンビ的な存在を作るジュースになります』

「はあ?」

 わかりにくい説明だ。

『では………【A】という感染力の強い病原体があり。これに感染した人間が、Bという病原体に感染すると、あなたたちと同じ状態になります。後は、様々な要因により症状が進行し、凶暴化。ここまではよろしいですか?』

「う、う?」

 コサメが、首を傾げていた。

 僕は、続けろとアゴを動かす。

『Bについては、解析は完了しつつあります。しかし、【A】の解析が非常に困難を極めています。【A】はとても変異しやすく、またBの影響を受けていないサンプルを手に入れることができなかった』

「“今までは”ってことか」

『はい、そうです。社員を送り回収できれば良いのですが、市内の生存者はゼロと発表した手前と、政府による監視の目があるので、下手に動けない状態です。そして、社内でも意見が分かれました』

「何故だ?」

 面倒くさい予感。

『1つは、現状維持。今まで通り、膨大な時間とコストをかけて、変異株から【A】の解析を行う。もう1つは、政府への情報開示。サンプルを入手できる可能性は高いのですが、政府の介入を許すことになる。コストか、リスクか、実に悩ましい』

「今のところ、僕と関係があるとは思えないが」

『報酬の話をしましょう。彼女を1日生存させる度、10ポイントを差し上げましょう。また、彼女に必要な物資は経費として落とします。協議が終わるまでの時間、彼女を生存させてください。もちろん、感染させることなく』

 疑問が生じる。

「採血して、ドローンで送るとかじゃ駄目なのか?」

『駄目ですね。自動化された防疫管理システムは、“生存者”の痕跡を見つけた場合。強制停止するように作られています。彼女がドローンに近付いたらボンッですよ。繰り返しますが、生存者はいないって話なので』

「今まで何人見殺しにした?」

『ゼロです。あくまでも、非常時の装置ですから』

「それで困ってりゃ世話ないな」

『だから、ゼロです。初期の調査は完璧でした。あなたもですが、【A】に感染した一部の人間は冬眠状態に陥るのです。これが厄介で、無人機が死体と判断してしまう冬眠なのです』

「どこが完璧だ」

『納期と予算と仕様上では完璧です』

 なんて言い訳。

『して、引き受けますよね? 感染者を破壊するよりも簡単な仕事ですよ。損をすることはないと思いますが』

「断る」

 損得じゃない。

 こいつらに、好きなように使われるのが気に食わない。

『コサメさん。残念ですが、こちらの軍曹さんは、あなたとは一緒にいたくないそうです。他の協力者に当たりますので日が暮れる前に移動を――――――』

「ふべっ」

 コサメの顔が、くしゃっと歪む。

「あ、あ、ああああ」

 泣き出しそうだった。

『コサメさんは、分離不安症のようで、あなたから離れそうになると泣きます。気絶中、死んだことにして、別の協力者のところに誘導しようとしたら、怪獣のように泣かれました』

「人を勝手に殺すな」

『では、引き受けますよね? あの声量で泣かれ続けると、感染者を呼び寄せる可能性があります』

 否応なし。

 断る理由がない。

 だからこそ、気が進まない。

 すんなり行く時ほど、僕にとっては危険なのだ。

 そっぽを向いて、小さい死神の頭を撫でる。横目で見ると、目尻に涙を溜め、ぎこちない笑顔を浮かべている。

 懐いているのか? これ。

 全くわからない。

『どうしますか?』

「………………やる」

 こういう腹の括り方は、想定してなかったなぁ。

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