退屈姫とごはん旅!

遠野いなば

季節のグラタンセット

 花の国、フィオノン王国。季節は秋。

 冷たい風がほほで、もうじき冬かと空をあおいだ青年クランは、この状況に悩んでいた。


「ひーめー! どうか降りてきてください! ほら、お菓子! お菓子がここにありますよ!」


「ああ、どうしましょう。足をお滑りにでもなられたりしたら……!」


 クランの隣で、兵士と侍女がおろおろと塔を見上げている。

 彼らの視線の先におわすのは、我らが麗しの姫君。御年おんとし十六になるミルル姫である。愛らしい容貌に甘い声。

 彼女は女神の愛し子いとしごと名高い、フィオノン王国の第一王女であった。


 その姫が、塔のてっぺんで両腕を広げ、いまにも飛び降るポーズを取っているのだから、この場にいる臣下たちは全員蒼白顔そうはくがおだ。ひとりを除いて。


(白、ピンク……いや白か?)


 周囲の喧騒けんそうのなか、クランはひとり目を凝らした。塔のうえ。可愛らしい姫のドレスが強風ではためいている。あれだけびゅーびゅー風が吹いていれば、下着のひとつでも見えるだろうに。いい塩梅あんばいに見えない。

 うーむ、その幸運。さすがは女神の愛し子だ。

 クランは深く頷き、現実に舞い戻った。


(やっべぇな……。あれ、姫さん落ちたら俺の責任になるのかなぁ)


 遠い目をして塔の先を見つめていると、国王が走ってきた。


「ミルルー! 早まるな、早まるでない! この父を遺して先に行かないでくれぇぇ!」


 地面にいつくばり必死に懇願する王。その背をさする大臣。一国の王の情けない姿に、周りの臣下たちも困惑顔を浮かべている。しかし姫はそんなことなど気にせずといった様子で、塔から飛び降りた。


「ひーめーーーー!」


 王の絶叫。しゅるると伸びる縄。ぶらーんと宙吊りになる姫。

 そう、彼女の腰には安全ベルトさながら、太い縄がくくりつけられていたのだった。


(良かったー、途中で切れなくて)


 ほっと胸を撫で下ろし、クランはお仕えする姫のもとへと走った。


 ◇◇◇


「なぜ、あんなことをしたのだ! ミルル!」


 うおーんと泣いて、王が姫の足に追いがる。


「暇だったのです。退屈すぎて死んでしまいそうだったので、バンジーをキメてみました」


 ブイっとピースサインをする姫。前半部分を憂い顔で言ったかと思えば、後半は笑顔でピース。しまいには「今度お父様も一緒にいたしましょう!」などと、ガッツポーズでいうのだから、王は卒倒した。


「ああ、なんでこんなことに」


 大臣に支えられながら玉座へ腰かけると、ひどく疲れた顔で王は大臣に問いかけた。


「大臣よ。我が娘の退屈をはらうためには、どうしたらよいだろうか」


「ほほ、簡単なことです、王よ。姫も御年で十六歳。そろそろ良き伴侶はんりょをお探しになるのがよろしいかと。さすれば、愛しの相手と共に過ごす時間は何事にも代えがたき格別な時間となりましょう。つきましては我が孫の——」


「却下だ」


 にこやかに述べた大臣の意見を即座に切り捨て、王はクランに視線を向けた。


「クラン。そなたは何かあるか?」


「ははっ……!」


 クランは一歩前に出て、王の前にひざまずく。だが、額には玉のような汗。正直内心では「なんもねーよ」と思っていた。


 とはいえ、王の御前だ。いい案を出さねば、王都にある闘技場へ送られてしまうことだろう。この王は娘である姫には大層甘いが、臣下には超厳しいのだ。まさに退屈だとか言って、何人もの同僚が闘技場送りにされた。生きて帰ってきた奴はひとりもいない。


「でしたら、国内旅行などはいかがでしょうか?」


「旅行だと?」


「はい。我が国は、このシュクール大陸を統べる大国にございます。景観麗しい各地の自然を眺め、そこで育つ作物を使った料理は、きっと姫の退屈を見事に晴してくれることでしょう」


「ふぅむ……」


 王が豊かな髭を撫でる。渋い顔。やはり愛しの娘を城のそとへ出すのは気が進まないのだろう。しかしクランとて苦肉の策だ。


 ミルルが、毎日空を眺めるのだ。


 窓辺の椅子に腰かけて、行き交う鳥たちを見て。嘆息まじりのその横顔を、クランはいつも見ていた。


(あんな姫さんの顔なんて、誰も見たいわけがない)


 せめて外に出られれば。

 半分、祈るようにクランは王の返答を待った。大臣が朗らかに笑う。


「よろしいのではないですか? たまには少々遠いピクニックということで、姫のご旅行を許可されては」


「──そうだな」


 大臣の助言に頷くと、王は立ち上がり、右手をばっと掲げた。


「第一王女ミルルの従者クランよ。姫を連れ、本日より国内旅行へ出よ!」


「ははっ!」


 クランがさっと頭を下げた。しーんと静まる玉座の間。窓から風が流れて枯れ葉を運んだその刹那。


「え! 嫌ですわ⁉ 旅行だなんて—─っ」


 姫の大絶叫が城のなかを駆け抜けた。



 ◇◇◇



「さあ、つきましたよ。ミルル姫。ここがポポンの町です」


 馬車に揺られること一週間。ミルルはクランと共にポポンの町にやってきた。ここは王都の西に位置する、まあまあ栄えた町だ。名産は砂糖芋。名前の通り、甘いじゃがいもである。


「うええ……めちゃくちゃ酔いましたわ……」


「情けない声ですねぇ。仮にもお姫さんなんですから、しっかりなさってくれませんと」


「そんなことを言われましても……馬車が揺れ……うぐっ」


「ああほら、ひとまず宿屋に行きますよ」


 ミミルはクランに引きずられながら、宿へと向かった。


「すみませんクラン。あの、もうすこし丁寧に扱ってくださいますか? わたくし仮にもお姫さまなんですのよ……?」


「はい、無駄口を叩くと吐きますよ」


 お姫様抱っこがいいという、ミルルの意見は却下された。


 宿につくと、一階が広い料理屋だった。これならすぐにでも美味しいご飯にありつけるだろう。だけど食欲がない。

 ミルルはテーブルにぐったりと突っ伏した。


「姫さん。はい、水。それからこれメニュー表」


「いえ、あの……メニューを渡されても、わたくし食欲がないのですが」


「じゃあ、この季節のグラタンセットにしますか。すみませーん! 注文お願いしまーすっ」


「このひと、まったく人の話を聞いてやがりませんわ……!」


 頬をぷくーっと膨らませると、ミルルは注文を取りに来た店員を眺めた。三角巾にエプロンドレス。ごく普通の町娘といった格好だ。お姉さんが飲み物は先かと聞いてきた。当然食後だと伝えるクラン。さらに珈琲の豆がなんたら説明するお姉さんの姿に、ミミルの胸は高鳴った。


(あれが庶民……!)


 はじめて見る! でも、お父様の話と違って角が生えていない……?

 ミルルは「あれ?」と思った。


 庶民が生やす二本の角は、ミルルの嫌いな雷を呼び、鋭い牙は可愛いお前を食べてしまうんだよ。だから近づいてはいけないよ。


 そう、お父様は仰っていたのに。

 ミルルはお姉さんを見て、うーんと首をひねった。


「あの……、なんでしょうか?」


 お姉さんが怪訝そうな顔をする。はっとして、ミルルは口笛を吹いた。


「姫——いえ、ミルル様。店のなかでの口笛はご法度ですよ」


「そうなのですか?」


「ええそうです。とくに料理屋の場合はヤバイですね」


 クランが深く頷く。


「怒り狂ったシェフに厨房まで連れていかれて、皿洗いの刑……なんてこともありますんで、ご注意ください」


「ちゅ、厨房に……⁉ なんて恐ろしい刑なのかしら……」


 ミルルはがくがくと震えながら、肩にかかったケープを握りしめた。クランが声を殺して笑う。

 実は、彼女は重度の世間知らずだった。城から一度も出たことのないミルルにとって、外の世界は人づてに聞いた魔境。さらに生来の天然気質もあいまって、色々とあれなことになっていた。


「お、雪降ってきた」


 クランが窓に目を向ける。

 手袋を外しながら、ミルルも彼の視線をたどった。季節は秋の終わり頃。早めの雪がちらつくなか、この町の人たちはみんな薄着をしている。


(寒くはないのかしら?)


 冷たい水を飲みながら、彼女は自分の格好を確認した。

 厚手のワンピースに、もこもこのケープ。頭上のベレー帽からは、ストロベリーブロンドの太いみつあみが一本垂れている。机のうえには先ほど脱いだ羊毛ウールの手袋。クラン曰く、それが庶民のよそおいだと教えてくれたが、なんか違う気がする。


「お、きたきた」


 すぐにクランが頼んだ季節のグラタンセットとやらが運ばれてきた。クランが手早く毒見を済ませ、自分の前に料理を置く。パンとバターが乗った皿。そっと押し返すと、「ちゃんと食べてください」と怒られた。

 熱々のグラタンを、クランが勢いよく頬張る。


 いっそのこと火傷してしまえ。むむむと念じるように、ミルルが視線を送ると、それに気づいたクランがスプーンを渡してくれた。


「姫さん。さっさと食べないと冷めちまいますよ?」


「……いただきますわ」


 押しつけがましい従者からスプーンを受け取り、ミルルはグラタンを眺めた。見た目は上々。中身の具は見えないが、チーズたっぷりで美味しそう。こうばしい湯気が立ち込めて、お腹がぐうっと鳴る。


(いざ、参る……!)


 スプーンをホワイトソースに沈ませて、ごろりと転がるじゃがいもをひとつすくって、口のなかに入れる。しかし、


(……味がしない)


 美味しくない。うまくない。まったく味がしない。

 まるで紙でも噛んでいるような感覚だ。


(おいしくありませんわ……)


 ミルルは小さく息をつき、スプーンを置くか迷った。

 別に、このグラタンがまずいわけではないのだろう。美味しくないと感じるのは自分の問題だ。いつの頃からかずっとこうなのだ。

 何を食べても、誰と食べても、食事がおいしいとは思えない。


「はあ……」


 結局、彼女は目の前の料理を片付けることに決めた。単なる作業のように口へと詰めてこんでいく。それにしても。


(どうしてクランはあんな提案をしたのかしら)


 先日の城での一件。あれはクランらしくなかったなと、ミルルは思い出す。

 国王の過保護ぶりは、臣下の誰もが知っていること。たった一日とて城から出ることも許してくれないのだ。それなのに、急に旅行だなんて。

 そんなにクランはお出かけがしたかったのだろうか?


(そういうことなら、仰ってくれればよろしいのに)


 長期休暇どんとこい。出来る主は、お休みをたくさんあげるものだ。

 ミルルはうんうんと頷きながら、グラタンを口のなかへと放り込んだ。そんな彼女を、従者が何とも言えない顔で見ているとは気づかずに。


 ◇◇◇


 仕える姫君が、妙な笑顔でグラタンを食っている。きっとろくでもないことを考えてんだろうなと思う一方で、クランは食事が進まないミルルの身を案じた。


(ぱっとみ、量こそ取ってはいるが……無理やり口に突っこんでるって感じか。相変わらず味覚が死んでんのな)


 目の前でグラタンにパクつくミルルは、決して美味しいからスプーンを動かしているわけではない。おおかた、食べなきゃ自分に怒られるとか思っているのだろう。

 そっとため息を吐いて、クランがからになった皿にスプーンを置くと、けたたましい音と共に宿屋の扉が開いた。


「邪魔するぜぃ! 俺たちゃ、通りすがりの人さらいだ! さぁさぁ、どいつが今日の獲物だァ?」


 じろりとめ回すようにあたりを見渡す鶏冠頭トサカヘアーの男その壱、その弐、その参。


(え? その髪型、流行ってんの?)


 クランは彼らの頭を凝視した。ついでにいうと、自ら人さらいを公言するとは。悪党のわりに堂々としている。


「お、発見。てめーら、あの黒髪の男を連れてこい!」


「「うっす」」


 その弐とその参がクランの前に立った。そして、両脇からがっちりホールド。クランは椅子から引きずり倒された。


「……へ?」


「よっしゃ、今日のところは勘弁してやらぁ! いくぞ、てめーら!」


「「うっす」」


 いや待て。なんで俺? ここは普通、姫さんを連れてくとかじゃないんですかね?

 などと呆然としながら、クランは為す術もなく、宿屋の外へと引きずられて行った。


「…………」


 そんな光景を、ごくりと喉を鳴らしながら見ていたミルル。いったん俯いて、わなわなと肩を震わせたあと、ばっと顔を上げた。


(これが本で見た『あーれぇい! 誰か助けて! 悪いひとたちがわたくしをっ』というやつでしょうか……!)


 ぱあっと輝く笑顔。そんな微妙に間違った解釈をしたミルルは、勢いよく椅子から立ち上がると、ぐっと拳を握った。


(つまりいま、わたくしに求められた役目はズバリ騎士! ここは華麗に参上して、お姫様クランを助けてさしあげますわっ)


 そうと決まれば、まずは情報集めから。

 ミルルはさっきのお姉さんを呼んだ。


「さっきの彼らはなんだったのでしょうか?」


「最近この町にきた流れ者の連中よ。なんでも近くの森に建設中のとりでがあるとかで、いい仕事を紹介するからって言って、無理やり町の男たちを連れていくの。私の恋人も帰ってこなくて……元気にしているといいんだけど」


「ほう、それはそれは」


 なるほど悪党の登場か。ミルルは神妙な顔つきで深く頷いた。そこに店のマスターらしき男も加わる。


「どこのお貴族様かは知らないが、砦を作るってんで、こっちにまで物資を要求してくるんだ。まったくいい迷惑だよ」


「物資ですか……」


「ああ。食材やら布やら。爆薬やら。いろいろだよ」


「それですわ!」


 ミルルはぴーんとひらめいた。


「その物資、わたくしに運ぶのを手伝わせてくださいませ!」


 こうしてミルルは、物資補給係に志願したのだった。


 ◇◇◇


「まずったな。宿屋に剣、置いてきちまった」


 美しい湖を眺めながら、クランは白泥セメント片手にレンガを積みあげていた。ここは森の一角。白鳥が羽ばたき、さえずるなか、男たちがせっせとレンガ積みに励んでいる。


「おら!さっさと手ぇ動かさんかい!」


 ぱしんと鞭が地面を打つ。先の鶏冠頭トサカへアー改めてモヒカン男その壱だ。クランをさらったあと、こちらが逃げないよう、ああして監視しているのだ。

 そこへ身なりのいい青年が歩いてくる。モヒカンは彼に頭を下げると金を受けとった。


「予定より遅れているな。もっと労力を集めろ」


「お任せください」


 ひひ、と下卑た笑みを浮かべ、モヒカンは去っていった。残された青年がクランのもとへ歩いてくる。


「新顔だな。このラバドールのために、しっかり励めよ」


 鼻をふんっと鳴らす青年。その偉そうな態度にクランは見覚えがあった。栗毛の短髪に緑の貴族コート。相手を見下すような眼差し。

 間違いない。こいつは大臣の孫息子ラバドールだ。


(なぜこんな場所に? つか、勝手に砦の建設とか、こいつ何やってんの?)


 どうみても王命ではないし、嫌な予感がする。しかも変な奴らとつるんでいるし。

 しかしラバドールが口にした言葉は、クランの予想とは大きく違った。


「やっと、ここに僕の城ができるのか……」


 うっとりした眼差しで砦(建設中)から、彼は森を眺めた。


「は? 城……?」


 思わず呟いてしまった。するとラバドールは振り向き、クランに告げた。


「そうさ。先日、お爺様に城が欲しいとねだったら却下されてね。仕方がないから自分で作ることにした。どうせなら、要塞を兼ねたカッコいいものにしようと思っている。いや、ここを薦めてくれた知人には感謝が尽きないよ」


「…………」


 すごく下らない理由だった。


(聞きしにまさる馬鹿具合……)


 クランが呆れながら彼を見上げる。小さな子供のようにきらきらした瞳だ。確か今年で自分と同じ十九のはずだが。


「うん……? いや待て、お前」


 ラバドールがかがみ、座りこむクランの顔を覗きこむ。はっと息を呑むと、すべるように後退した。


「おま! 黒犬こっけんのクランじゃないか!?」


「やっと思い出してくれましたか……って、その変な呼び名やめてもらえますかね」


「なにを言う、姫の犬め!」


「いや、まあ……間違っちゃいないですが、その言われ方は嫌だ……」


 確かに犬みたいなもんだけれども。姫の従者だし。


「くそっ! 貴様がいるということは、我が城を奪いにきたな……!」


「なんでそうなるんですか」


「決まっている。こんないい場所に城を作るのだ。完成したらミルル姫に献上せよと、王からお達しがあったのだろう? それで視察を兼ねておもむいた。違うか!?」


「違いますね」


 盛大な勘違い。しかし相手はクランを睨みつけ、腰の剣を抜いた。


「決めたぞ! ここで貴様を殺し、賊どもがやったとお爺様に報告する。そうすれば、あの王のことだ。姫を危険な地へ行かせるわけにはいかぬ、とか言い出すに決まっている!」


「はぁ、まあ危険な地も何も、元々姫さんは城の外へは出してもらえませんでしたけどね」


「ふんっ、それは以前の話だ。いま姫が御旅行中であることはお爺様から聞いている。つまり、あの方はこの近くに来ている。そうだろう?」


「……だったら?」


「死んだお前を嘆く姫の御心を、僕がお慰めするっ!」


「ちっ──」


 ラバドールが剣を構え、地を蹴った。その瞬間突如とつじょ、爆風が吹いた。


「なにっ!?」


「……っ!?」


 耳をつんざく大音量。クランはさっと両耳を塞ぎ、瓦礫がれきのうえから飛び降りた。ごろごろと転がり、砦を見あげれば、硝煙しょうえんと共にぜる石つぶて。

 コートを脱いで、前に広げて、飛び散る小石から身を守る。やがて轟音ごうおんとともに爆風がやむと、クランは警戒するようにコートをさげた。


「いったいなにが……」


 すぐに動けるよう姿勢を低く、あたりをうかがうと、間抜けな声が聞こえてきた。


「クラーン!」


 姫だ。姫が手を振って走ってくる。腕に大量の丸い爆弾を抱えて。


「え……? これ、もしかして姫さんがやったんですか?」


「そうですとも! さ、クラン姫。お怪我はございませぬか」


 キリリっとした顔で、片膝をついて右手を差し出してくるミルル。クランは膝から崩れ落ちた。


「や、あの。色々言いたいことはあるですけど、なにやってんですか貴女は」


「囚われのお姫様を助けに参りました!」


「誰が囚われの姫だよ」


 呆れて、思わず敬語が外れてしまった時だった。


「くそっ、敵襲かっ! ──っミルル姫!?」


 瓦礫の下からラバドールがい出てきた。存外、丈夫な奴らしい。悔しげにうめいた彼の表情が、一瞬で驚愕顔へと変わった。しかしそれもすぐに切り替わる。鋭い眼差しで、彼はクランに剣を向けた。全身、すすだらけで。


「貴様の策略か!」


「違いますってば。どっちかって言うと姫さんの仕業ですね」


「な、可憐な姫がこのような野蛮な真似をするはずがない!」


「いやそれが──って、もういいです」


「クラン、このかた誰ですの?」


 ミルルが小首をかしげた。

 大臣の孫だと説明すると「へー」って言った。へーって……。一応、会ったこともあるはずだが、可哀想なラバドールだ。


「ともかくだ。黒犬のクラン、覚──」


「「あっ」」


 駆け出したラバドールが、崩れた煉瓦れんがにつんのめり、転んだ拍子に剣が舞った。くるくると回転し、ミルルの頭上に降りそそぐ。


「……っ!」


 声にならない悲鳴。ミルルが頭を抱えてしゃがみこみ、クランが剣を叩き落とした。


「あんまり体術こっちは得意じゃないんですけどねぇ」


 ぼきぼきっと拳を鳴らして、クランがラバドールに歩み寄る。


「うちの姫さん泣かした罪は重いぜ?」


 ラバドールがおもてを上げた直後、彼の腹に拳がめり込んだ──


 ◇◇◇


「見事悪党を退治しました!」


 崩れた瓦礫のうえ。ミルルがはしゃいでジャンプする。だが、その頬には小さな傷が出来ていた。爆風で飛んできた小石。それがかすめて切れたのだろう。クランはミルルに近づくと、さっと彼女の頬から血をぬぐった。指についた赤い雫を見つめてぽつりと呟く。


「すみません。怪我をさせちまいました」


「……?」


 きょとんとした顔で、ミルルが首を傾げる。

 クランは彼女の血がついた手をぎゅっと握った。

 自分は彼女の護衛だ。それなのに危ない目に合わせてしまった。

 自責の念にぐっと奥歯を噛む。しかし、ミルルは楽しげに笑った。


「ふふ。変なクラン。危険もなにも楽しい遊びでしたよ」


「は? 遊び?」


「ええ。クランったら、わたくしを楽しませるために、わざと彼らにさらわれたのでしょう? 貴方は腐ってもわたくしの護衛。悪党なんかにおくれを取るはずがありませんわ」


「ミルル姫……」


 花が咲き誇るような笑顔を向けられ、クランはハッとする。


(……そうか。姫さん、俺を気遣って)


 この姫は昔からそうだった。以前、国王主催の武道大会に出た時。その頃は軍に入ったばかりで、剣だってうまく使えなかった。だから対戦した相手に剣をはじかれ、観覧していた姫の席へ飛んでいってしまったのだ。当然、王は激怒した。その場で斬首を言い渡された。だけど姫が——


『みごとな剣さばきでしたわ! きっと将来あなたは優れた騎士になるのでしょうね。そしたら、わたくしを守ってくださいませ』


 と、まだ幼かった彼女は言ったのだ。溢れる笑顔で。震える手をうしろに隠して。


(いまだって、そうだ)


 飛んできた剣を前に彼女は恐怖していた。それでも泣かなかったのは人前だから。だけどきっと心のなかではなみだしていた。こうして笑っているのは単に無理をしているだけ。


「はっ……」


 だったら、言うことはひとつじゃないか。

 自嘲じみた吐息を漏らしてから、クランはミルルの前にひざまずく。


「姫さん」


「なんですか?」


「助けに来てくださりありがとうございます。貴女のおかげで、このクラン。怪我ひとつなく姫のもとへ帰還することができました」


「……っ!」


 ぱっとほころぶミルルの顔。あの時とは違う、恐怖もなにも隠していない純然たる笑顔だ。クランはふっと口元を緩ませた。


「さぁ、姫さん。町に戻りましょう」


「はい!」


 クランのあとをミルルがついていく。


 ──ちなみに。ミルルのいまの心境は「わーい」。そして密かにガッツポーズ。

 いわゆる『僕の姫、怪我はないかい?』という彼女の愛読書に出てくる騎士のシーンを再現できたミルルは大喜び。

 従者の心、主知らずとはまさにこのことである。


 ◇◇◇


 ホポンの町、夜。宿屋兼料理屋に戻ってきた二人は、店員のお姉さんにいたく感謝された。何でも砦を破壊したことで、恋人のサムくんが戻ってきたらしい。全身煤だらけだったけど、元気で良かったと喜んでいた。


「夜ご飯何にします? お昼と同じ季節のグラタンセットになさいますか?」


 聞かれて、クランは頷いた。お姉さんは厨房へ駆けていった。


「つか、改めてなんでメニュー、一種類?」


 メニュー表を見る。載っている料理はひとつだけ。あとはドリンクメニューという個性的なラインナップだった。

 クランはメニュー表から視線を外し、疲れて寝ているミルルを眺めた。


(……さっきのあれ)


 おそらく反王派の働きだろう。王都に近い森へ砦を建設し、隙あらば攻めこむ。ラバドールあのバカは知人から薦められた場所だと言っていたが、何か裏がありそうだ。

 あとで王宮へ報せを出さなければと考え、クランはハッと目を見開いた。


(もしかして王は……)


 自分たちを城の外へ出したのは、差し迫った事情があるのかもしれない。奴らの怪しい動きは以前から報告されていた。つまり、


(この先の道中、なんの危険があるかわからねぇってことか)


 俺がしっかりしなければ。

 気合いを入れるように、クランは届いたグラタンを一気に頬張った。

 香り豊かなチーズに熱々のホワイトソース。ほろほろと口のなかで崩れる町の名産品、砂糖芋。文句なしにうまい。ちぎったパンをソースに絡め、前方へ視線を流すと、


「……っ!」


 ミルルが急にった。

 マナー違反にも、スプーンを落としてしまう。


「うおっ! びっくりした……姫さん、食事中に立ち上がらないでくださいよ」


 クランがスプーンを拾って、お姉さんから新しいものを受け取る。


「甘い!」


「甘い?」


「ええ! 砂糖の味がしますわ」


「え、まじ?」


「まじです、まじ! じゃがいもの甘みを感じます」


「おおっ、味覚戻ったか。やったな姫さん」


「いえ、それが他の味はまったく……」


「ええ……まさかの甘味だけって」


 ずいぶんピンポイントな戻り方だなぁとクランは思うが、反対にミルルはぐっと拳を握った。


「やりました。甘いがわかるようになりました。これは大いなる進歩です」


 ミルルの顔がぱっと輝く。内心で苦笑しながらクランは新しいスプーンを渡した。


(そっか。少し前進したかな)


 王の命令を思い出す。


『クランよ。あの子を外へ連れ出し、失われた味覚を戻してやってほしい』


 旅立つ日の朝。王から言われた言葉だ。娘可愛さに城へ閉じこめ退屈な日々を過ごさせていたことに、王もまた、思うところがあったのだろう。


(……ま、だからといって、味覚が無くなるまでのストレスだとか、誰も想像できない話だけどな……)


 宮廷医もびっくりだったそうだ。

 そんな、しょうもない理由で味覚が消えたミルルではあるが、こうしてまた味がわかるようになった。ちらりとミルルを見る。甘みがわかることを大層喜んでいるようだ。その姿をみてクランは気を引き締める。

 昔から見てきた笑顔。どんな危険が待っていたとしても。


(——それでも)


『美味しい』が戻るその日まで、貴女と共に旅が出来るのならば。


 クランは空になった皿を見つめて、ふっと目許めもとを和らげた。

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