ブレーキは踏まないで

ひよっと丸

第1話

「いやいや、ま、待って、ちょっと待ってよ」


 夜明け少し前、一台の車が山をどんどん登っていた。目的地は雲海が見えるという観光スポットだ。昨今のSNSの普及により、すっかり映えスポットして定着してしまったから、少し前をヘッドライトを照らして走る車がみえる。


「あーうん、早くしないと雲海見えなくなっちゃうから、ね?」


 ハンドルを握る男は至って呑気そうに答えるけれど、助手席に座っている男は気が気じゃない。人が集まるところに男の恋人と行くことに臆しているのではなく、ハンドルを握る恋人が実行しようとしている事が問題なのだ。


「あ、あのさ、そんな眉唾モノの都市伝説みたいにの、本気で信じてるわけ?」


 今まさに向かっている雲海の見える映えスポットでまことしやかに囁かれている都市伝説『もしかしなくても異世界?』というやつだ。投稿者たちによると、雲海を撮影していると、おかしな声が録音されている。とのことで、投稿された動画を見ると、雲海の美しさに興奮する人々の声とは全く異質な声が聞こえる。と言うのだ。アンチからは誰かが連れてきている犬が吠えているのを手で押えている。とか、雲海に興奮した人の声が反射している。とか、そんなコメントもチラホラあった。


「信じるも信じないも、俺たちにはもうこれしか残ってないだろ?」

「だだだだだ、だって、失敗したら来世では結ばれようね。になっちゃう……」

「まぁ、最悪それ、かな」


 世間の理解は随分と広まったけれど、それでも伝統と格式を重んじるような職業の息子ともなれば、世間体のために結婚しなくちゃならないとか、直系男子があとを継がないと揉め事に発展する。とかそんなことを口にする親戚や年寄りはまだまだ大勢いるのだ。

 説得が出来ないことぐらい分かっていたから、離縁してもらおうとしたところ、見合い相手と言う名の婚約者が現れて今に至る。

 つまり、世間体のために結婚相手が用意されたというわけなのだが、悲しいかな、女が抱ける体質ならとっくにそうしていた。理屈じゃどうしようもないレベルで女が無理で、魂のレベルで惹かれあっているのだ。


「綺麗だね」


 朝日が登り始めたのだろう。途切れガチの峠の視界に、美しい雲海が見えてきた。


「そうだな」


 駐車場には車がいっぱいで、わずかながらに空きスペースが見えた。そこに車を停めて、ゆっくりと幻想的な景色を堪能する。はずだった。そう、そういう事にしておくのだ。


「出来れば転移がいいな」

「俺も」

「転生でもいいけど、二人なら」

「絶対に見つけてやる」

「僕も」


 ギュッと手を繋ぎ、薄紫色と淡い黄色の世界に車ごと飛び込んだ。




 ――――



「「ぎゃーーーーー」」


 フロント硝子いっぱいに緑色した気味の悪い生き物が張り付いていた。失敗した時のことを考えてドアをロックしておいて正解だったと後から思うことになった。ゴンゴンガンガンガチャガチャと、緑色の生き物たちが車に何かをしているのがわかったからだ。


「こ、これって成功したのかな?」

「成功だろ、どう考えても」


 互いに恋人繋ぎした手を確認しながら、体を寄せ合う。窓の外に見えるのは、ファンタジーによくいるゴブリンと言う生き物に見える。いや、それにしか見えない。


「真司、どうする?」

「そうだな、真琴。成功だが、大ピンチだ」

「車が動かない?」

「わからん。でも、計器の表示がなんか変だ」

「どうするの?」

「こーゆー時は、こうする」


 慎二は言うなりクラクションを鳴らした。けたたましいクラクションの音が鳴り響くと、車に張り付いていたゴブリンたちは一目散に逃げ出した。


「すげーなクラクション」


 真司は興奮した様子でそう言うと、ブレーキを踏みながらスタートボタンを押してみた。すると、滑らかにエンジンがかかり、計器類がゆっくりと動いた。ただ、ガソリンタンクの表示だけがおかしなことになっていた。


「FでもEでもない変な表示なんだよな。異世界仕様って事でいいかな?」

「いいと思う。この際そんな細かいこと気にしない」

「そうだな。とりあえず、人を探そう。雲海突き抜けたらやっぱり森の中だもんな。とにかく森の外にでて、人か町を探そう」


 互いに頷きあい、軽く唇を触れ合わせた。微かに震えているのはこの際武者震いということにしておくしかない。何しろ生命がけでやってきたのだ。こんなところで死ぬ訳にはいかない。


「行くぜ!俺たちの未来を掴むまで」

「うん」


 とは言ってもそこはいい歳をした大人なので、真司はそれなりの速度で森の中を走った。なにしろ舗装がされていない森の中である。明らかに土のでこぼこした感じが目に見えていた。乱暴に走れば腹回りを擦って車を壊しかねない。ゆっくりと走らせてはいるが、時折見かける見知らぬ魔物たちが驚いて逃げてくれるお陰で、伝家の宝刀クラクションを多用することなく森の外に出ることが出来た。


「なんか、見えるね」


 前方に近代的な建物が見えた。見た感じ、砂漠の中にそびえ立つ都市のようだ。


「なんか、来てるぞ」


 前方の都市からどう見ても車のような物がこちらに向かってやってくるのが見えた。


「真司、僕にはアレが車にしか見えないんだけど」

「真琴、俺にもそうとしか見えない。しかも四駆」


 どんどん近づいてくるのはベージュ色した四輪駆動車にしか見えなかった。しかも真っ直ぐこちらに向かって来ている。


「いきなり撃たれたりとかないよね?」

「ないことを祈ろう」


 真司はレバーをパーキングに入れ、念の為ドアにロックがかかっていることを確認した。そうして近づいてきたのは確かに車で、ありがちな四輪駆動車の形をしていた。


「こんにちはー、言葉は分かりますかー?」


 車から降りてきたのは癖のある金髪に空色の瞳の男だった。フレンドリーに両手を振っている。


「「日本語?」」


 聞きなれた言葉に真司と真琴は顔を見合わせた。



 ――――


「いやぁ、たまーに降ってくるんだよねぇ、異世界から」


 互いに車だったからそのまま後をついて行く形で保護された。飲みなれたコーヒーを出され、真司と真琴はこの世界の簡単な説明を聞かされた。いわく、この都市の辺りには日本と言う地域から異世界人が時々降ってくるそうだ。他の都市はアメリカと言う地域だったり、中国と言う地域だったり、とにかく特定の地域からしか降ってこないらしい。研究者の話によると、この世界に地球が重なっていて、時々平行世界が繋がって人が落ちてしまうらしい。地球の方がこの世界より大きい惑星のため、一方的に地球からこの世界に人が落ちてきているらしい。

 もちろん、落ちてきているわけだから、登ればいいのだが、空に穴が見えたところでそこにたどり着く前に穴が消えてしまうから、今のところこの世界から地球に行けた人は居ないのだそうだ。


「ええと、あの……」


 真琴はモジモジと自分たちを助けてくれた二人をみた。一人は最初に声をかけてきた金髪の男で、アシュリと言った。もう一人は濃いめの茶髪でジェスと言った。どちらもどう見ても男なのだが、お揃いの指輪をつけていた。


「ああ、そうだよね」


 真琴がモジモジとしているのをみて、アシェリが察したように口を開いた。向かいのソファーに座り自分の隣にジェスを座らせる。


「見てのとおり、僕たち結婚してるんだ。この世界はね。君たちの世界で言うところの同性婚が主流なんだよね」


 言われて真司と真琴は何度も瞬きをした。


「理由は簡単で、その……体の作りが違うじゃない?だから互いに気持ち悪くてさぁ、その、異物を受け入れられないからなんだよね。あ、だからといっていがみ合ってるわけじゃないよ。お隣さんは女同士のカップルで、僕の職場の男女比率ほぼ5:5だから」


 そんなことを言われ、真司は考え込んだ。この世界の考え方は何処か自分に似ている。異物を受け入れられないというのは防衛本能なのだから仕方がない。


「その考えはわかる……わかるんだ」


 真司が呟くようにそう言うと、隣に座る真琴も頷くのだった。

 そうして、話を進めていくことで、この世界の常識を慎二と真琴は学んでいった。定期的にやってくる異世界人、ここの都市では主に日本からやってくる。のための訓練プログラムが用意されていた。まず住むところが用意され、そこで簡単な学習を受けることになる。世界がほぼ重なっているせいか、言語はほぼ同じで、この都市は日本語を使用していた。科学がとても発達しているため、居住スペースと生産スペースは明確に区切られていた。そしてなぜか存在する魔物たち。


「科学が発達しすぎたせいなんですよ。同性婚が主流になったのって、結局のところ生殖活動と恋愛感情が切り離された結果なんです。愛し合う行為が生殖活動だなんて、原始的だってことになってしまったんです。科学が発達したから、ペアとなった二人から細胞の一部と血液を提出してもらい、あそこに見える培養液で胎児を形成して生み出すんです。つまり、互いを求めあい愛し合う行為はあくまでも愛を育むための行為であって生殖行為ではないのです。それにほら、出産って母体に負担がかかりすぎますからね。差別だとか人間性の尊重だとか、いろいろあって今の形に落ち着いたんです。元居た世界では、こんな風に命を生み出すこと、神への冒涜だとか、母体から出産されなかった生命は親子じゃない。とか言われてますよね?」

「ええ、まあ」


 返事をしながら慎二の目線は巨大な試験管の中の胎児にくぎ付けだった。


「このシステムなら確実に自分の子じゃん」

「そうなんです。見た目上の遺伝子が選べるんで、自分によく似た我が子を抱くことができるんですよ」


 案内をしてくれるスタッフは上機嫌で、この世界の家畜もこのシステムで生産されていることを教えてくれた。乳牛だけは出産を経験させないといけないため、強い固定種が決められているのだそうだ。そして、森に生息する魔物については、このシステムが確立された十年後あたりから目撃されるようになったらしい。一説によると、このシステムを受け入れられなかった一部の人が、家畜を連れて森に移り住んだらしい記述があるため、もしかするとその人たちが異世界からの干渉を受けたのかもしれないと言われているらしい。


「異世界からやってくる人は決まって森に落ちてくるんです。だから森に異世界からのエネルギーが溜まっているのではないか。と言われているのですが、長年研究して判明したことは、異世界人が現れた場所を特定することぐらいでした」

「それで僕たちのところにまっすぐ来たんですね」

「ええ、強いエネルギー反応が出ますから。ポイントが限られているので探しやすいんです。お二人はこの都市では20年ぶりの異世界人になります」

「へえ」

「以前来られた方たちは団体さんで、30人ほどでしたね。年齢や性別がばらばらで、社員旅行だったと書かれています。若い方の方が適応が早くて、残念ながらご年配の方はこの施設から出ることなく亡くなられているんです」


 それを聞いてそれはそうだと思ってしまう。よく聞く異世界物の主人公はたいてい高校生か社畜だ。若いからこそ適応能力も高いのだろう。社員旅行ということは、定年間際もいただろうから、夢見ていた定年後の生活が異世界になってしまっては、それは受け入れられなかっただろう。


「お二人はここで訓練が終了したら就職先の会社と面接をして、受かればそこに就職できますよ。酪農とかがやってみたいのならその時言ってください。それと、結婚は、審査がありますから」


 言われて真琴の肩が小さく跳ねた。


「結婚したら最低一人は子をもうけなくちゃいけないんですよ。そうしないと人の数が減ってしまうでしょ?だから、子育てができるだけの生活能力があるのか審査するんです。そうですねぇ、就職して3年ぐらいはみてもらうかなぁ」


 説明によると、まず住居。基本は賃貸しかないため、十分な広さがあるのか、独身向け住宅に住んでいる場合は引っ越し先を決めていないといけない。それから収入。子どもを作るのはただではないため、支払い能力が問われる。最後にパートナーとの相性だ。きちんと話し合いができているのか個別に質問されるらしい。


「まあ、お二人は異世界人ですから、ゆっくりされるといいですよ」


 スタッフに続いて廊下を歩いていると、窓の向こうに赤い大地と緑の森が見えた。農業地域は天候に左右されないようにドーム型の施設で行われているらしい。


「僕たち、あそこから来たんだよね」


 真琴が森を指さした。こうしてみてもずいぶんと大きい。


「いやだったか?」

「ううん。嫌じゃない。夢みたいでまだ実感わかない」

「そうか、じゃあ、今夜実感させてやるよ」


 真琴の耳元で真司が囁いた。とたん真琴が耳まで赤くなった。


「なっ、なっ、こ、ここ、施設だよ」

「プライバシーにはものっすごぉく配慮されてるらしいぜ」


 そう言って真司が笑ったのでつられて真琴も笑った。

 慎二と真琴の異世界生活は始まったばかりである。


 神秘的な雲海の下には、異世界が広がっている。かもね?

 だからブレーキは踏まない、で?

 

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