第32話 本棚に入れたままだった日記


 自室に幽閉されて手持ち無沙汰だった私は、ほとんど物のない自室を見渡してみた。



 本当に何もない…………好きで読んでいた本が本棚に並べられているくらいで、質素な木の机とベッド、少しの洋服くらいで年ごろの女性らしい物など何もなかった。



 でもベルンシュタットに嫁ぐまではこれが私の日常で当たり前だったのよね……嫁いでからはベルンシュタット辺境伯夫人として、何不自由ない暮らしを送らせてもらっていたから、自分がどれほどテオ様に甘やかされて……愛を与えてもらっていたかを実感する――――



 ベルンシュタットでの生活が恋しい。豊かな生活がしたいんじゃない。エリーナやベルンシュタットの皆、ステファニー様やヒルド様、テオ様が…………本当に良くしてくださったから。皆に会いたい。


 

 連れ去られた事は不本意だったけど、レナルドも来てくれて、それに――――きっとテオ様が来てくださると信じているから。



 落ち込んでいる場合ではないわね。



 本棚にふと目線を上げると、懐かしい本の中にお母様が残した日記があった。この日記はお母様が亡くなった時に遺品として私がこっそり自室に隠し持っていた物で、10歳の私には勇気が出なくて読む事が出来ないでいた物だ。



 ベルンシュタットに嫁ぐ時もここでの全てを捨てて嫁ぐ気持ちだったから、持って行かなかった。



 でもレナルドからお母様の話を聞いて……テオ様に沢山の愛をもらったから、これを読む勇気が湧いてきたのでページをめくってみる事にした。両手は縛られたままだけど、手先は動く…………なんとか一枚一枚開いていく。




 

 ――――ここに連れ去られて2年経ち、私は自分を連れ去った男の子供を身籠った。その子は無事に生まれ、名前はロザリアと名付ける。


 妊娠している最中も何とか脱出の機会を伺ったけど、激しい動きをするとお腹の子供が危険だと思うと足が止まってしまって……妊娠中は諦めた。出産した今も赤ちゃんを連れての脱出は現実的ではないわね……今は断念するしかない。この子を置いていくなんて出来ないから。早く国に帰りたい……私から全てを奪ったあの男が憎い。でもロザリアはそんな事は関係ないとばかりに笑っているわ。

 この子の為にもう少し生きていられる。まだ生にしがみついていられる……誰か私を見つけて。この子にも故郷の土を踏ませてあげたい――――



 ――――ロザリアは2歳になった。様々な事を覚えていく子供の成長は素晴らしいわね。まだ祖国からの迎えは来ない。


 でも無理もないかもしれない……ずっと塔の中しか動く事が出来ないし、自分の居場所を知らせる手立てがないもの。私たちを幽閉するくせにずっと放置し続けているあの男もどういうつもりなのだろう。私が王女でなければこんな事にはならなかったのかしら……でも放っておいてくれるのはありがたい事だわ。関わりたくもないし。

 私はただロザリアが大人の事情に巻き込まれないようにしてあげたい。

 彼女には人生を自分で選べるように――――

 


 ――――私たちのいる塔に王妃殿下や側妃たちがやってきた。そしてロザリアを連れて行ってしまった。あの子に何かあったら生きている意味などない。早く返して――――


 

 ――――2日経って戻ってきたロザリアはすっかり怯えてしまっていた……王妃殿下や側妃たちに何をされたの…………でもまだ言えるような年齢じゃないから伝えられるわけないのよね。私ではなくロザリアに手を出すなんて、私はどうすれば。お兄様助けて――――


 

 

 ここからページは破かれていて亡くなる寸前に飛んでいる。


 


 ――――もう生きる事など諦めていたのに……なぜ今になって祖国からの密偵がやってくるの――――



 ――――リンデンバーグとボルアネアが戦になった。私を見つけたお兄様が交渉してくれたのに、あの男……国王は散々交渉を長引かせた。戦の機会を窺っていたんだわ……強欲な男。私は渡すけどロザリアは置いて行けと言い始めるし、最初から私の事も政治の駒として使おうとしていたのね。そんな国にロザリアを残していったらどんな目に合わされるか分からない。きっとボルアネアとの交渉に使われるだけだわ。体のいい人質よ…………悔しい――――


 

 ――――体が思うように動かない。息も苦しいし、私はもう長くはないかもしれない。ロザリアだけでもボルアネアに渡せたらいいのに……でもそうなったらあの男が激怒して大きな戦が起こる。私はあの男と血縁関係はないけどロザリアは娘だから、返せと迫ってくるでしょうね……愛情なんて持ち合わせていないくせに。

 戦と言っても殺し合うのは王族ではない、民よ。ここの王族にはそんな事どうでもいいんだわ……どうしてこんな悲しい事になってしまったの。

 

 祖国があまりにも遠くて……――――


 

 

 日記がそこで終わっていた。




 私はお母様の日記を嫁ぐ時に持って行かなかった事を激しく後悔した。持って行ってあげれば良かった…………きっと帰りたかったわよね。



 知らず知らずのうちに涙が溢れてきた。私がお母様の足枷になっていた事、そしてきちんと大事にされていた事……私は日記を抱きしめて声を殺して泣いた。そのまま泣き疲れていつの間にか眠ってしまっていた――――




 ~・~・~・~




 眠りから目覚めてふと窓の外を見ると、日は傾き、夕方になっていた。



 ここに運ばれてきたのは朝方だったはずだから、お母様の日記を読んで眠ってしまったのね…………日記は絶対ボルアネアに持って行きたい。どうにかして持って帰れないかを考えて、ドレスのウェスト部分の中に潜ませてみた。

 

 あまり厚さのある日記ではなかったので、そこまで膨らみは……ない、と思う。ちょっとお腹が苦しくなるだけで、すっぽりと中に収まっているので、このまま持って帰れたら――



 そんな事をしていると、突然扉が開かれて兵が入ってくる。私の腕を引き「国王陛下がお待ちだ」と連れて行かれた。



 多分玉座の間にいるのでしょうね……ボルアネアに制圧されて、民が苦しい生活を強いられていても自身の王座にしがみついているのだなというのは、容易に想像出来る。


 ボルアネアに制圧されたリンデンバーグは、他国からも国交を断絶されたりしていて、国は貧困にあえいでいると聞いていた。お父様やその他の王族たちが質素に暮らしているとは思えないし、この国に住む民は苦しい思いをしているのでしょう……かつては城にもある程度の兵はいたのに今は、ちらほらと配置されているのみ。



 こんな状態なら、他国からすぐに攻められてしまうわ。ボルアネアが制圧したから、他国が勝手に手を出せないのもあって辛うじて存続出来ているだけなのに……彼らは自分達が置かれている立場を全く理解していないんだわ。


 私を攫ってどうするつもりなのかしら…………またお母様の時のように閉じ込めて、テオ様やボルアネアとの交渉に使うつもりだとしても、もうそんな事をしたところで国を再建出来るとは思えない。


 そんな事を理解出来る精神状態でもないのかもしれない――



 鬱々と考え事をしていると、玉座の間に着いた。



 兵が両開きの大きな扉を開くと、そこには玉座に座ったお父様と王妃殿下や側妃たち、兄弟姉妹たちがズラリと並んでいたのだった。

 


 

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