【ショートストーリー】夢幻の鏡

T.T.

【ショートストーリー】夢幻の鏡

 古都に住む青年、カズヤはある日不思議な鏡を見つける。鏡は古びた骨董店の隅にひっそりと置かれていた。


 カズヤはその鏡に一目惚れし、無理をしてでもそれを手に入れることを決める。ボーナスをつぎ込んで買ったその鏡は彼の部屋の壁に掛けられ、毎晩彼の眠りを見守るようになった。


 しかし、鏡を手に入れてから、カズヤの夢は奇妙なものに変わった。彼は夢の中で、鏡の中に入り込み、そこで見たこともない美しい世界を旅する。その世界は、現実の束縛から解き放たれた楽園のようだった。


 やがて、カズヤは夢の世界に魅了され、現実と夢の境界が曖昧になっていく。日中も夢の世界を思い出し、夜は早くその世界に戻りたくて眠りにつく。彼の日常は、夢と現実が交錯する蠱惑的な時間となった。


 しかし、ある晩、カズヤが鏡の中の世界を彷徨っていると、自身の姿が鏡の中に映った。それは現実のカズヤではなく、なぜか絶世の美女だった。彼女は妖艶な笑みを浮かべてカズヤを誘った。


 彼は自分が夢の世界に囚われ、現実を見失っていることに気付いた。しかし夢の世界と彼女の魅力には抗えなかった。


 彼女が誘うままに、カズヤは彼女の世界へと足を踏み入れた。彼女の美しさは現実のものとは思えず、彼は彼女に完全に魅了され虜になってしまった。


 彼女との距離が近づくにつれ、カズヤは自己の境界が徐々に曖昧になっていくのを感じた。


 彼の姿が彼女に溶け込み、彼女の姿が彼の中に溶け込んでいく。自我の確固たる壁がゆっくりと溶け、二つの存在が一つとなり、一つの存在が二つになる。それは、夢と現実、自我と他者が交錯する蠱惑的な空間だった。


 自己が溶けていくこと、それは彼が今まで経験したことのない、得も言われぬ心地良さを伴っていた。彼の心は安らぎを感じ、彼の魂は解放されていく。それはまるで、束縛から解き放たれ、自由に羽ばたく鳥のようだった。


 しかし、同時にその中でカズヤは自己が消滅しつつあることに気づいた。それは彼が彼女と一体化することで、自己の存在を失いつつあることを意味していた。しかし、彼女と一体化することで得た心地よさは、自己の消滅を伴ってもかまわないぐらいに魅力的で麻薬的だった。


 そして、カズヤは、自己の消滅を受け入れた。彼は鏡の前に立ち、自分自身が美女と一体化し、消滅しつつある自己を見つめ直した。彼の中には恐怖ではなく、彼女と一体化することで得た心地よさと安堵が満ちていた。


 刹那、彼の姿は完全に鏡の中に溶け込み、消えてしまった。彼の存在は消滅し、鏡の中には再び妖艶な美女だけが映った。


 やがて彼女も静かに消えゆき、最後にその妖しい微笑みだけが鏡の中に残ったのだ。


(了)

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【ショートストーリー】夢幻の鏡 T.T. @shirosagi_kurousagi

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