騒音被害を訴える老人。衛藤肇(後編)

 翌朝。

 衛藤は『終焉のラッパ』を使用してみる。この道具は昨日の夕方に細川太が自宅まで届けた。一人で持つには重いので、彼に住所を告げて運んでもらった。

 早朝から近所の主婦がかしましいので、使用タイミングとしてちょうどよい。

「さて、使い方は……」

 ラッパ部分の下には台座があり、そこの正面の真ん中に赤いボタンがある。衛藤はボタンを押した。

 プウと音が鳴り、ラッパが一瞬震えた。すでに効果があるのだろうかと思い、確認のため、外に出てみる。この道具は家全体に効果がでると羽織纏が説明していた。

 家から数メートル離れた場所で主婦たちが井戸端会議をしている。衛藤は彼女たちを睨みつけ、家に戻る。

「やつらの声が聞こえない! 成功だ!」

 快哉を叫んだ。

「いやー、便利なものをただでもらったな」

 衛藤はにやける。纏は「貸す」と言ったが「譲る」とは言っていないので、彼の思い込みだ。

 仕組みは気になるが、彼にとっては些末なことだ。目下の騒音被害がなくなれば問題ない。

 

 気分がよくなったので、久しぶりに近所を散歩しようと外に出る。

 主婦たちは変わらず道路で井戸端会議をしているが、子供の姿は当たらない。家にいるのだろうか。最近流行のネグレクトというやつだろうと衛藤は決めつけた。

 鈴木家を通り過ぎる。

(そういえば、母親は見たことあるが、息子本人には会ったことがないな)

 スピーカーで爆音をまき散らす男なので、おそらく背が小さく金髪に染めた人物なのだろうと想像した。

 近所を十分ほど散歩し、家に戻ると、隣に引っ越してきた中山凛子が顔を見せた。

「おはようございます」

 彼女は爽やかで心地よい挨拶をした。相変わらず美人だと衛藤は惚れ惚れする。

「おはよう」

 もったいぶった様子で答えた。

「今朝はいい天気ですね」

「そういえば、大丈夫かね?」

 衛藤はだしぬけに聞いた。

「え、何がですか」

「この近所、騒音が酷いだろ? ワシはずっと働いていて家にいることが少なかったから、定年退職するまで気がつかなくてな」

「はあ。そうでしょうか」

 この娘はあまり気にならないタイプなのだろうと衛藤は解釈した。

(耳が遠いワシでもわかるのだから、騒音が出ているのは間違いない)

 彼は言う。

「気にならないなら、まあ、いいのだが」

 衛藤は玄関を開け、中に入ろうとした時、

「あ、あの」

 凛子が呼び止める。

「よろしければ、お昼ご飯を一緒にいかがでしょうか? 私の家の方で……」

 衛藤はどういうつもりだろうかと一瞬訝るが、

「そうだな。寿司でもとってもらおうか」

 半ば冗談で言ったつもりだが、彼女はそう受け取らなかった。

「わかりました! お待ちしております」

 決定した。美女との食事はこれまでの人生で経験がないので、まさかこの年齢で初めて経験するとは思わなかった。

 

 *

 

 正午ぴったりに中山家を訪問する。美人から昼飯を誘われ浮き足だっていたので、遅刻することなく訪問していた。

 凛子がひとりで出迎えたので、衛藤が問う。

「あれ、お父さんは?」

「父は緊急の仕事が入ったので不在です」

「ふうん。大変だね」

「ええ」

 凛子は首肯し、衛藤をリビングまで案内した。

 親子二人で住んでいるとはいえ、衛藤の想像よりも殺風景でシンプルだ。家具も必要最低限しかない。

「お父さんは、あまり物を置かない主義なのか?」

 リビングのソファーに座りながら、衛藤は疑問に感じたことを口にした。

「そうです。父は本当に必要なのものしか置かなくて、困っています」

 凛子は八の字を寄せる。普段の凜とした表情もよいが、そういった表情も可愛らしく美しい。

(二人っきりか。ということは、もしかしたら……)

 衛藤は性的な妄想を膨らませる。この場で襲いかかって訴えられても、与太話として無罪を主張できるのではと考えた。

「日本酒も用意しましたので、よろしければ飲んでいってください」

 凛子は寿司をテーブルに置くと、日本酒グラスを衛藤に手渡す。一杯目が注がれる。

 

 衛藤は寿司と日本酒を堪能した。環境が違うせいなのかわからないが、途端に眠くなっていた。

「お父さんは呑むほうかい?」

「いいえ。全然呑みません。ですので、衛藤さんで呑みきっていただいて構いません」

 凛子は微笑んだ。その笑みは何故か不吉なものに感じたが、気のせいだろうと衛藤は振り払った。

「そうかい。じゃあ、遠慮なく」

 美人にお酌をされていい気分だと衛藤は疑惑をもたずに飲み続ける。

 徐々に瞼が重くなり、テーブル上に突っ伏す。

 

 冷水を浴びせられ、衛藤は目を覚ました。

「なんだ?」

 衛藤は手足をロープで縛られ倒れている。周りには、近所の主婦や見たことのない男たち、凛子が見下ろしていた。

 彼は叫ぶ。

「な、なんのつもりだ!」

「ハア」

 凛子は蔑むように嘆息した。

「この状況でも、まだ理解していないようね」

 声色が変わっている。さきほどまでの凛子はいない。

「衛藤、あなたは五年前、運転する車で死亡事故を起こした。死亡者二名、重軽傷者八名の事故よ」

 突然の追求に衛藤は狼狽する。

「な、なんのことだ。あれは甥っ子が起こしたことで」

「違うでしょう」

 ぴしゃりと凛子がはねつけた。

「実際は、運転席の後部座席に甥、助手席に妻、運転席はあなたが座っていたでしょう」

「……」

「事故を起こした直後、あなたは甥と運転席を入れ替わった。目撃証言もあるわ。ここにいる彼がそう」

 サラリーマン風の男を凛子は指差した。続けて言う。

「あなたの甥は、借金があり、それを帳消しにする条件で罪を被った。五年の実刑判決がでているけど、再就職できるように取り計らう手筈でしょ」

「何を馬鹿なことを」

 衛藤はあざ笑った。凛子は怒りに満ちた目で言う。

「あなたはコネを使い、自分たちへの不利な証拠や証言をもみ消した。目撃者が数名いるのにもかかわらずね。卑怯な男だわ」

「ふん。それで、ワシをどうするつもりだ?」

 衛藤は強気だが、凛子は肩を竦める。

「まだわからないの? ここにいるメンバーは、みんな、あなたの事故の被害者家族や親戚よ」

「え?」

 彼は素っ頓狂な声をあげた。

「間抜けな顔ね。やっぱり、被害者側の顔なんて一切覚えていないのね。私は死亡した中山塔子の娘だったのに全然気づかなかったから」 

「……」

「あなた、自分の奥さんが自殺した理由もわかっていないでしょ」

「それは、騒音とかで」

 凛子は首を横に振る。

「違うわ。私たちが、色々な手を使って追い詰めたのよ。騒音だけじゃなく、怪文書を送ったり、家の窓ガラスを割ってみたり」

「なんだと!? じゃ、じゃあ、お前らが」

 衛藤はわなわなと震えた。

「あんたらのしたことに比べたら、たいしたことじゃない!」

 凛子の雄叫びが家中に響いた。それが号令だったかのように、次々と彼女たちはもっていた木刀で衛藤を殴る。

「や、やめろ。やめてください。お金なら出します」

「この後に及んで、まだそんなことを!」

 さらに場はヒートアップする。

 リンチ行為は長く続き、彼女たちが冷静になったときには、衛藤は事切れていた。

 

 *

 

 ディスプレイで映像を眺めていた羽織纏が拍手をする。

「人間らしい、血みどろの結末ね」

 まるで映画を観たかのようなコメントだ。

「いやー、纏さんも人が悪いですよ」

 太が言った。

「あら、何故かしら?」

 纏は蠱惑的に笑った。

「だって、わざと貸したじゃないですか。『終焉のラッパ』を」

「本人がどうしてもとおっしゃるから」

 纏は素知らぬ顔をして、太は呆れる。

「またまたー。スーパーで衛藤にぶつかれと指示したのも纏さんだし、誘導したのも纏さんじゃないですか」

「うふふ」

「それに、大切な説明をしないで貸したじゃないですか。忘れていたのではなく、わざとでしょう」

「あら、そうだったかしら」

 纏はとぼけた。

「そうですよ。『終焉のラッパ』は騒音を減退させる代わりに、周りの悪意を増幅させるという説明をしていませんでしたよ!」

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