こんな性別が嫌だ。福手沙織(前編)

〈2024年2月9日ワールドA〉


 福手沙織は男に追いかけられていた。

(何故、私がこんな目にあわなくてはいけないんだ)

 男の顔に見覚えはない。駅を出たあたりから奇妙な視線を感じ、そっと辺りを窺うと、男が跡をつけてきていた。

(駅かどこかで目をつけられたのだろうか)

 痴漢行為は何度かあったが、ストーキングは初めてだ。

(これだから、女は嫌なんだ)

 沙織は女性であることに嫌気がさしていた。どれだけ仕事を頑張ろうと「結婚したら退社するだろ」と上司から皮肉を言われ、気分転換のためにお洒落な身なりで出社すると「女をだして、いやらしい」と女子社員に陰口を叩かれる。

 また、街中での中年男性の視線が嫌いだ。沙織は露出の高い服装をしているわけではなく、それなりに清潔感のある服装をしているだけだ。それでも、性欲モンスターたちは彼女を性的な妄想をもって眺めてくる。

 沙織は格別に美人ではなく、それなりと言われる部類だからこそ辛かった。男性は、このレベルなら口説き落とせるかもとアプローチしてくるので、それを見た女性陣は「色目を使うな」と文句を言ってくる。

 女性であるというだけで、男性からは軽視され性的搾取され、同性からは妬みの対象となってきた。そんな繰り返しの人生だった。


 男は執拗に尾行しており、沙織は相手を撒くのに苦心した。

 交番に駆け込もうかと思ったが、事件性がないと警察はまともに取り締まってくれないのではと二の足を踏んだ。

 ふと、男の姿が一瞬見えなくなった際に、沙織は骨董店のような建物に駆け込む。

「どのようなご用件でしょうか?」

 深呼吸していると、中学生くらいの黒髪の美少女が話しかけてきた。同性でもうっとりとするような美貌と雰囲気をもった子だ。

「あ、えっと、実は、ストーカーがいて」

 沙織は息を整えながら答える。

「その男から逃れるため、ここ入らせてもらいました。お邪魔なら、すぐに退散します」

 沙織はちらりと建物の奥にいる高校生らしき男を一瞥した。

(兄弟……? いや、似てないから恋人? それも違うか……)

 二人の関係性を推測していると、

「私はここでカウンセラーをしている羽織纏はおりまといと言います。あの男は助手の細川太ほそかわふとしです」

 と美少女は言った。

 心を見透かされたような気がして、沙織はドキリとした。

「カウンセラー? ここは何をしている所なのでしょうか?」

 動揺を誤魔化すように沙織が聞いた。

「みなさんのお悩みを拝聴して、解決する場所ですわ。私はそのカウンセリングをしています」

 纏は細川太に顎で指示した。お茶を出せという合図のようだ。

「お悩み相談所ですか……」

「ええ。無料でお悩みを聞いて、それに適した道具を貸し出したりしています」

「へえ」

「福手さんは、お悩みありますか?」

(私、自己紹介したっけ?)

 沙織は訝しがりながら悩み事を考えた。ひとつしか思い至らない。

「――私、男になりたいんです」


 *


 沙織は今までの人生の中で女性として受けた苦しみを吐露した。

「そういうわけで、私は、男性として生まれたかったんです。男性は得することばかりだから……」

 沙織は吸い込まれるように纏の目を見つめている。少女は終始、否定するわけではなく、真剣な面持ちで耳を傾けていた。

「太!」

 少女は部屋の奥に向かって少年を呼ぶ。

「転生剤を持ってきて!」

「はーい」

 間延びした声が返ってきた。

「てんせいざい?」

 沙織が首を傾げると、

「別人に生まれ変わることができる薬ですわ。パラレルワールドってご存知でしょうか?」

 纏の質問に、沙織は首を振った。

「パラレルワールドとは、簡単にいうと、この世界と何らかの理由で分岐している平行世界です」

 纏が説明していると、細川太が小瓶を持ってきて、テーブルの上に置く。中には風邪薬のようなカプセルが入っていた。

「この薬を飲むと、パラレルワールドの別人として生まれ変わることができますわ。どこの誰になるかはわかりませんが、性別を選ぶことはできます」

 纏はいくつかカプセルを取り出し、手のひらに載せた。

「黒が男性に転生する薬で、白が女性に転生する薬です」

 カプセルは黒色と白色のものがあり、見た目で間違えることはなさそうだ。

「こちら、無料で差し上げます」


 ***


 **


 *


〈2024年2月7日ワールドB〉


 彼は外の喧騒で目が覚めた。頭がずっしりと重い。何故だかわからないが、大切な何かを忘れているような気がする。

 彼の名前は萬田康介まんだこうすけ。都内のIT企業に勤める三十一歳の独身男性だ。

「いま、何時だ……」

 スマートフォンを確認すると、時刻は0時17分だった。

「まだ深夜か」

 マンションのベランダに出て、煙草に火をつける。昼間だと近所や上の階の住人が目くじらをたてるが、いまは夜なので大丈夫だろうと判断した。

 康介は酷く長い間、悪夢を見ていたような気がした。つい先ほど目が覚めるまで、自分は全く違う世界の別人だった感覚があった。

(なぜだ……)

 この感情の理由がわからず、彼は呆然と紫煙をくゆらせた。

 彼がいる賃貸マンションに面した道路では、女性二人組がふらふらと騒ぎながら歩いている。酔っ払いのようで、楽しげに何かを語り合っていた。

「女はいいな……」

 康介は独りごちた。

 男のように責任や仕事に追われることなく、いざとなれば結婚に逃げればいいという高校時代のクラスメイトの言葉を思い出す。

 康介は男であることの不自由さを感じていた。弱音を吐いたり泣いたりすると、「男のくせに」と身内や友人に揶揄され、何事も逃げ出すことは許されない風潮がある。

 昨日は、夜道を普通に歩いていただけなのだが、知らない女が逃げるように駆け足で離れていった。たまたま帰り道が一緒になっただけで変質者扱いだ。

「男じゃなく、女に生まれたかった」

 言葉にした刹那、

(なんだ、この気持ちは?)

 康介は言い知れぬ不安と違和感があった。


 *


〈2024年2月8日ワールドB〉


「違和感?」

 山本が不思議そうな顔で康介を見る。退社後、康介は同期の山本と居酒屋で乾杯をしていた。

「うん。この体というか、この世界というか、昨日あたりから違和感があって……」

 このズレの表現が思いつかず、康介はじれったい。

「疲れているんじゃないか? ストレスとかで、肉体と精神が乖離するってあるらしいぞ」

 山本は生ビールを口に含んだ。

「そうなのかなぁ」

 康介は首を傾げた。

「ああ。そういえばさ、同期の達川、結婚するらしいぞ」

「へえ」

 康介は意外な情報に驚いた。達川といえば、見た目はイケメンの部類ではないが、同期の中ではトップクラスの成績を収めている。

「しかも、三田さんと結婚するらしい」

 三田は社内で有名な美人社員だ。容姿の良し悪しよりも仕事がデキる男を選んだということだろう。

 康介はそういう社会の風潮も嫌いだった。仕事をバリバリする男や金持ちがもてはやされる。フリーターをしている友人は、人権がないかのように陰でボロクソに言われていた。

「ハア」

 康介は嘆息した。

「なんだ、お前も三田さんを狙っていたのか?」

 山本がにやつきながら言った。

「いや、そんなのじゃないよ」

「まあ、お前は結婚に興味ないもんな」

 山本は焼き鳥に手を伸ばす。康介も倣う。

「ああ。そうだな。先日も母親から電話きたけど、濁したよ」

 母親の電話内容を思い出し、再び嘆息した。

 母親から、お前は長男だから早く結婚しろとか家を継ぐべきだといった内容の話を聞かされた。日本の長男というものはなんと煩わしいものだろうか。長女であれば、このようなことはなかっただろうと考えた時、

「ん?」

 康介の脳を何かが刺激した。

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