クレーマーに悩む店員の梅谷美由紀(前編)

「梅谷さん、サポートカウンターお願いします」

 アルバイトの鈴木の言葉を聞き、梅谷美由紀うめたにみゆきは悄然とした。

 梅谷は家電量販店に勤める三十二歳の女性だ。担当するのはパソコンなどのIT機器である。十年目の社員ということもあり、クレーム処理を任されることが多い。

「お待たせしました。どのようなご用件でしょうか」

 彼女が挨拶すると、サポートカウンター前に現れた中年男は睨みつけた。

 彼は、頻繁に家電量販店に現れる、スタッフからは『トイプードル』という通り名で恐れられている人物だ。髪が縮れ毛で背が小さく、うるさくクレームをつけることからそのような名前になった。

「この前、ここで買ったノートパソコンなんだけど」

 男は手に持っていた機器をカウンターテーブルに置く。

「今朝から電源入らないんだけど。こんな不良品をつかませやがって」

 悪態をついて、男はパイプ椅子に座った。

「申し訳ございません。確認させていただいてもよろしいでしょうか?」

 梅谷がお辞儀の後に上目遣いで聞くと、男は顎でノートパソコンを指した。早くしろということだろう。

「失礼します。特に損傷などはなさそうですが……」

 梅谷は手に取り、まじまじと機器の外観を眺めた。

「あれだろ。ネットで見たことあるぞ。ソ〇ータイマーだろ。購入してから時間が経つと、中の電池か何かが切れて、使えなくなるやつだろ」

 男は怒り心頭だ。

「このパソコンを売るメーカーもこの店も、おかしいだろ!」

 梅谷は辟易した。ネット情報を鵜呑みにして、この類のクレームを言う客は一定数存在する。


 *


 梅谷はゲンナリとした表情でタイムカードを打刻した。

「お疲れ様でした」

 パートタイムの安原が声をかけてきた。

「お疲れ様です」

 梅谷が返事をすると、

「今日は大変でしたね。例の客、また来たんですって?」

 安原は眉を顰めた。

「ええ。いつものトイプードルです」

「いい加減にしてほしいですね。うちの書籍コーナーでも、本を立ち読みして、途中まで読んで、ページの角を折って帰っていくんですよ」

 安原は書籍コーナーで働いている。

「厄介ですね。なんとかしたいところですが、一応、お客様なので……」

 梅谷は苦笑した。

「そういえば」

 安原はふと思い出して言う。

「どんな悩みも解決してくれる美少女がいるっていう都市伝説があるんですけど、その子に頼めばいいかもしれませんね」

「はは。そんな子がいるなら、是非頼みたい」

 安原の気休めの言葉ではあるが、梅谷は少し心が軽くなったような気がした。


 *


 梅谷はコンビニに寄ると、おつまみと缶ビールを購入する。退勤時間は夜中が多く、営業しているスーパーマーケットは自宅近辺にないので、彼女は自炊生活を諦めていた。

「はあ。私の人生、これでいいのかな」

 とぼとぼと帰路を歩いていると、見慣れない店舗を見かけた。閑静な住宅街にぽつねんと骨董屋のような店がある。

「あれ、こんな店、いつの間にできたんだろ」

 梅谷は不思議に思い眺めていると、

「何か御用ですか?」

 少女の声が聞こえ、彼女はびくりと反応した。

「あ、え、すみません。何のお店かなと思って……」

 梅谷は釈明しつつ、声の主を観察した。黒く長い綺麗な髪、エキゾチックで端正な顔立ちの美少女だ。

「よろしければ、寄っていきませんか? 私、羽織纏といいます。ここの店主です」

 纏は店の扉を開けた。


「どうぞ」

 眼鏡をかけた小太りの男がお茶を置いていった。高校生くらいだろうか。

「色々なアンティークがあるんですね」

 梅谷は目の前に座る纏に言った。

「ええ」

 少女は頷く仕草も華麗だ。

「ところで、ここはどのような業種ですか?」

 梅谷が聞くと、彼女は微笑んだ。

「ここは相談所です。皆さんのお悩みを聞き、それにふさわしい解決道具をお貸ししております」

「解決道具?」

 梅谷は首を捻った。

「ええ。現在、お悩みはありませんか?」

 纏の問いに、梅谷は逡巡した。業務上のことをあまり喋りたくないが、彼女には人を引き付けてやまない何かがある。

「実は、仕事場に酷いクレーマーがいて……」

「それなら、ちょうどよい道具がありますわ。もちろん、無料でお貸しします」

 纏はテーブルに黒光りしたナイフを置く。

「これは成長するナイフです。今はスポンジのように柔らかいですが、ある条件のもと、鋭い刃物になります。鞘に収め、護身用にもっていてください」

「はあ」

「前回このナイフを使用していた人も、随分気に入っていたようですわ」

 纏は不敵に笑った。


 *


 梅谷は狐に包まれた気分で帰宅した。

(さっきの出来事は、現実だったのだろうか……)

 羽織と名乗った美少女が梅谷の悩みを聞き、怪しいものを渡してきた。

(なにかの宗教団体なのだろうか?)

 今更、梅谷は不安が押し寄せる。手には渡された品物があった。

 不思議なナイフだ。形はナイフだが鋭利ではなく、触るとスポンジのような感触がある。手に傷はつかなかった。

 どういう用途なのか教えてもらえなかったが、暴漢を牽制する道具にはなりそうだなと思う。

「こんな黒ナイフよりも、私に必要なのはクレーマーに対抗できるメンタルなんだけどね」

 梅谷は苦笑した。今日は色々とあり疲れたので、シャワーを浴びて早めに寝よう。


 *


 翌朝。

 いつものように8時15分の電車に間に合うように家を出た。

 梅谷の勤務する家電量販店は電車で三十分もかからない場所にある。十時開店なので、その一時間前に店内にいれば問題ない。

 駅構内で中年男の肩と衝突した。相手は謝ることなく舌打ちし、

「これだから、とろい女は」

 と毒づいていった。

(なに、あいつ。感じわる……)

 スーツの内ポケットに忍ばせていた黒ナイフが蠢く感覚があったが、梅谷は気に留めなかった。


 店舗に着くと、仏頂面の店長が従業員出入り口の近くで煙草を吸っている。

「よう。重役出勤だな」

 開口一番が嫌味だ。再び、黒ナイフが動いたような気がした。

「おはようございます。店長はいつから?」

「どこかの部門の業績がイマイチだから、エリアマネージャーに叱られて、今日は早朝から計画書作りとミーティングだったよ」

 どこかの部門には梅谷の担当であるIT機器も含まれていた。

「す、すみません。着替えてきます」

 梅谷は会釈して、その場を去る。

 背後から、

「女はいいよな。責任とらなくて」

 という呟きが聞こえてきた。


 従業員用ロッカールームに入ると、スーツを脱いだ。

 スーツの内ポケットに違和感があった。中から黒ナイフを出し、鞘を抜く。

「これは……」

 昨日はスポンジのように柔らかかった黒ナイフが、現在は硬度を感じた。ナイフの先端に触ると、指の薄皮が切れる。

「成長している……?」

 彼女は不可解な面持ちでナイフを見つめた。

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