人付き合いが苦手な女。図師真純のお悩み(前編)

 図師真純ずしますみは、人との会話が苦手だ。

 家族と喋るのは問題ないが、家族以外となると途端に言葉がでない。緊張と過去のトラウマが原因になっている。

「図師さん。これ、○○会社の鈴木さんに送っといて」

 課長から資料を渡された。

「あ、あの」

 小声で問いかけたが耳に入らなかったようで、課長はさっさといなくなっていた。

(どうしよう。郵送なのかメールなのか。わからない)

 図師は戸惑った。

「図師さん。その資料、メール添付で送る方がいいと思うよ」

 見かねて、同僚の八乙女が教えてくれた。八乙女は図師の二歳年上の女性で、仕事もできて人当たりがよいので、誰からも好かれていた。

(私、八乙女さんみたいになりたいな……)


 会社の休憩室にある自動販売機で紅茶を購入していると、隣の喫煙ルームから男が出てきた。

「やあ。図師さん」

 男が声をかけてきたので、図師は無言で会釈する。彼は三歳年上の同僚で、次期の課長候補といわれているエースの山本だ。

 図師は密かに彼のことを好いていたが、まともにコミュニケーションをとれたことはない。

「あれ、八乙女さんも休憩?」

 八乙女が喫煙ルームに入ろうとしていたところを、山本が呼び止めた。

「はい。そうです」

「じゃあ、俺も、もう一服しようかな」

 二人は揃って入っていった。

 八乙女と山本は付き合っているという噂がある。彼女のように八方美人であれば、すぐに男性の心を掴むことは容易いのだろうと図師は羨んだ。


「はあ」

 退勤後、図師は嘆息しながら駅までの道のりを歩く。

(なんで、私って、こうなのだろう)

 自分の内気な性格に辟易していた。

「そこのお嬢さん」

 若い女性の声が聞こえた。自分に対してではないだろうと、そのまま無視して歩いていると、

「お嬢さん」

 肩を叩かれ、驚いて振り向くと、綺麗な黒髪の女の子がいた。

「なんでしょうか?」

 図師は訝しげに言った。彼女は若く、女子中学生にしか見えない。

「お嬢さん。私のお店、寄っていきません? 何か、お悩みでしょう」


 女の子に気圧され、図師は建物の中に入った。

「ここは……」

 中は一見するとアンティークショップのような趣で、所狭しと品々が並んでいた。異質なのは、そこに女子中学生と男子高校生のようなコンビがいることだ。

 少女はうやうやしく頭を下げる。

「私、羽織纏はおりまといと申します。こちらの男は細川太ほそかわふとしです」

 隣にいる小太り男子は「どうも」と手短な挨拶をした。

「私は図師真純です」

 図師が自己紹介すると、

「どうぞ。お座りになって」

 纏は椅子を勧めた。

「ここは、どういうところですか?」

 図師は座りながら尋ねた。少女の妖しさに惹かれ、敬語を使うのが当然だと思わせている。

「お悩み相談を聞く場所ですわ。私はカウンセラーです」

 纏は妖しく微笑んだ。図師は、大きい瞳に吸い込まれそうな気分になった。

「ふとし! 遅いぞ! 早く、お茶!」

 纏はさきほどの男子に罵声を飛ばし、

「悩みがあれば、どうぞ」

 自分との対応の差に、図師は驚く。

「悩み……ですか」

「さきほど、大きなため息をついていらっしゃったので、悩みがあるものとばかり思っていました」

 少女は恵比須顔で言った。

「お恥ずかしい。――悩みは、あります」


 図師は自分の内気な性格、おどおどした態度が嫌だと告白する。

「できれば、私は、八乙女さんのように何でもこなせる、誰とでも打ち解けられるような八方美人になりたいのです」

 図師はテーブルに置かれたお茶を飲む。ほうじ茶だ。

「八方美人、ですか。そんな良いものとは思えませんけど」

 纏の指摘に、図師は首を振る。

「こんな性格に比べれば、とても素敵です」

「そうですか。それならば、良い品があります」

 纏が目配せすると、太が品物を持ってきた。

「こちら、『セイカックー』という商品です。毎朝、これに『八方美人』とつぶやけば、その通りの性格になります」

 図師は怪訝そうに品物を見た。青白い光沢があり、ラッパのような形をしている。

「もちろん、お代はいりません。これは無料レンタルです。お気に召さなければ、いつでも返しにきてください。なお、絶対に他人には貸さないでください。又貸しは禁止事項です」


 *


 翌朝。

 図師は険しい顔で、自宅リビングの椅子に座っていた。眼前には、謎の少女から貰ったラッパのような物体『セイカックー』がテーブルに置いてある。

(昨日は、一体なんだったのかしら……)

 品を手に取り、まじまじと見つめた。

(何もしないよりはマシかな)

 彼女は使うことを選択した。

「八方美人になりたい」

 セイカックーのベルの箇所に口をあて、つぶやいた。

「こんなことで、性格が変わるわけないよね」

 図師は立ち上がり、朝のシャワーをするため、バスルームに入る。


 今朝の外気は、いつもより爽やかな空気に感じた。

(気持ちいい)

 図師は清々しい気持ちになっていた。心なしか、風景が輝いて見える。

 通勤中の電車も、会社に向かう道のりも、新鮮に感じられた。

「おはよう」

 会社手前で、山本が挨拶してきた。

「おはようございます」

 挨拶を返すと、山本は虚をつかれた顔をした。

「どうしましたか?」

「いや、なにか、雰囲気が違うなって……」

 図師は微笑む。

「え、そうなんですか。いやだなぁ。山本さんに嫌われたくない」

「嫌ったりはしないよ」

 山本は微笑みを返した。

「何の話?」

 八乙女が割り込んできたので、図師が応対する。

「八乙女さん。おはようございます。今日も素敵ですね。アイシャドウ変えました?」

「あ、わかる? そうなんだー。新色が出たから試したの」

 二人は雑談を交わしながら、社屋に入っていった。


 午前の仕事を終え、周りの自分を見る目が以前と違うことを実感した。

(どうしたのかしら。今日はスムーズに会話ができている。そのせいか、みんな優しい)

 不思議に思い、首を捻っていると、八乙女が声をかける。

「一緒にお昼行かない?」

「はい。もちろん」

 図師は首肯した。


「何か。イイコトあったの?」

 和定食が美味しい店に入ると、八乙女はだしぬけに言った。

「いえ。別にありません」

「そうなの? なんか、いつもと違う感じがして」

 八乙女はメニューを手に取ったので、図師も同じくメニューを開く。

「おそらく、気の持ちようだと思います。心をいれかえたというか……」

 性格が変わるアイテムがあるとは言えるはずもなく、図師は適当に誤魔化した。

「そうなの? でも、それって素敵なことね。いまの図師さん、すごく眩しく見える」

 憧れの八乙女から言われ、図師は照れた。


 *


 毎朝、図師はセイカックーで「八方美人」の呪文を唱え、環境の変化を実感する。

 老若男女問わず街で知り合いに声をかけられることも増え、見知らぬ老人や観光客から道を尋ねられることも格段に増えていた。

 性格だけではなく、メイクも変えたので、ナンパ目的で声をかけてくる男性もいた。


 ある日、退勤しようとコートを羽織っていると、

「図師さん」

 と山本が呼び止めた。

「何ですか?」

 図師は首を傾げ、上目遣いで山本を見た。

「あの、その、よければなんだけど、この後、二人っきりで飲みに行かない?」

 初めて、憧れの男性から誘われ、図師は有頂天になる。

「もちろん。いいですよ」

 断る理由がなかったので、彼女は快諾した。


 お洒落なバーで二時間ほど過ごした後、山本と図師の二人は、ふらふらと街を歩いていた。

「結構飲みましたね」

 図師は緊張していたので、酔いはそれほど回っていない。

「うん。楽しかったよ」

 山本は笑顔で機嫌がよさそうだ。

「これから、どうします?」

 図師は山本の腕に絡みついた。

「そうだなぁ……」

 山本は、ちらりとファッションホテルを一瞥した。

「行きましょう」

 図師は彼の思いを察し、腕を組んだまま、歩き出す。

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