花火の頃

青いひつじ

第1話

高校2年の春。校庭の桜が一段ときれいだなんて、気づかなかった。

僕は、あの頃、君のことばかり見ていたから。



名簿の順で、僕の前に座る彼女。

横を向くと、ツンッと上を向いたきれいな形の鼻と、長いまつ毛が印象的で、揺れる髪からは僕が知らない甘い香りがした。

プリントを回す時に覗いた手首には、掴まれたようなアザがあった。



彼女と初めて出会ったのは、雪が降り出しそうな寒い日だった。

僕が時々行く奥川の河川敷で、誰かががひどく猫背になり、膝を抱えていた。

話しかけずにいると、鼻を啜る音が聞こえ、それは寒いからではなく、泣いているようだった。


思わず、「大丈夫ですか」と声をかけると、その子は、頬を赤く染めながら「ありがとね」と笑った。

そして、2年の春になり、その子が僕の目の前に現れたのだ。


僕たちが仲良くなるのに、時間はかからなかった。

楽観的な彼女と悲観的な僕は、まるで、磁石がくっつくように近づいていった。



「山田って、意外と愛想あるよね」


「松岡に言われたくない。なんで他のやつとは話さないの?」


「私が愛想振りまいたら、みんな私のこと好きになっちゃうから」


「だから松岡は女から嫌われるんだよ」




僕たちの会話はいつも、ふざけているようであり、本当のようであった。それが好きだった。

ピンチの時でも、なんとなく彼女となら楽しくやっていけそうな、この軽さが好きだった。


だから僕は、彼女のことを知っているようで、実際は何も知らなかった。





「松岡ってさ、あんま自分のこと話さないよな」


「それは、山田もじゃない?私たち、まともな会話したことないよ」


「たしかに」


「まぁ、私はミステリーガールだから」


「ミステリアスだろ」


「謎多き乙女なわけですよ」


「松岡にそんな色気ないよ」


「知りたい?私の色々。

知ったら、多分、私のこと嫌いになるよ」


「ならない」


「嘘だよ。絶対失望する」


「しない」


「じゃあ、例えば、私の母親が熱心な宗教家でも?」


「しない」


「父親が借金まみれでも?」


「そんなことで、失望したりしない」


「じゃあ、私が昔、何か犯罪を犯していても?」


「それでも、失望したり、嫌いになったりはしない」



僕が、あまりにもすぐ答えたからか、彼女は俯いていた顔をあげて、少し笑って、また俯いた。



「なんか、それって告白みたい」


「そうかも」


「え〜〜、まぁ〜たふざけてる〜」


この日、いつもの調子でそう言った彼女は、どこか元気がないように見えた。

髪を耳にかけた手の甲には、知らない、薄いアザがあった。



「もう6月も終わりかぁー。

夏休みさ、奥川の花火大会行こうよ」


僕と花火大会に行くことが、彼女の傷を治す薬になるなんて思ってないけれど、それでも、絆創膏くらいになれればと、そう思った。



「山田はさぁ、優しすぎるよ」


彼女は、遠くを見ながら「ありがとね」と笑った。







彼女との別れは、突然降り出した雨のようだった。


夏休み。明後日は奥川の花火大会。

雲ひとつない空の下、彼女に送るメールを考えていた。

書いては消して、また書いてを繰り返していると、彼女の方から"今日少しだけ会える?"と書かれたメールが届いた。

僕たちはその日の夕方、奥川で待ち合わせをした。



「久しぶり」


「久しぶり〜。山田、なんか背伸びた?」


「成長期かも。松岡も、なんか髪伸びた」


いつもの僕を演じながら、この時頭の中は、彼女をどう誘い出すかでいっぱいだった。


「あの「あのね!」


考えてたことが透けて見えたかのように、僕の言葉を遮って、彼女が先に話し始めた。



「私、彼氏できたんだ!なんと4歳年上の大学生!ずっと好きだったんだけどさぁ、こないだ告白してオッケーもらえたの!」



彼女は、毛先を触りながら、そう言った。

二の腕には、青く丸いアザがあった。



「だからね、花火大会も行けない。心配かけたくないし、他の男の子とは話さないようにしようかなって。もう、山田とも連絡しない」


「何、急に。今まで、そんなそぶりなかったのに」


「まぁ、私は山田が思ってるような純粋な少女ではなかったということです」


「別に、最初からそんなふうに思ってないけど」


「そっかぁ、残念」


「なんで?友達のままじゃだめなの?」


「だから、それはできないんだって。

勝手でごめんだけど、許して」


「花火大会誘った時、ありがとうって言ったのは」

 

「そんなの全部嘘だよ。行くなんて言ってないし」



僕は何も言えなかった。

怒っていたからでも、悲しかったからでもない。  


隣を並んで歩いていた彼女が、今日は、少し前を歩いて、顔がよく見えなかった。



「私たちらしく、笑ってお別れしよう!」


彼女は、整えるように前髪を触り、手を振った。


「じゃ!そゆわけで!」



この時、夕日に向かって歩き出した彼女を追いかけてはいけない気がした。


最後に一瞬僕の方を見た彼女は、目が少し腫れて、声は掠れていたから。


嘘をつく時、前髪を触るのは、僕が唯一見つけたサインだった。

彼女はきっと、僕に何かを隠している。


この行動には何か理由があって、これが、いつもふざけている彼女が、1人で悩んで、選んだ道だった。


どんどん小さくなる背中に、僕の心は花が散っていくようだった。

追いかけてその手を握りたいとか、頭の中は、色んなことがよぎったけれど。

今の僕にできるのは、その道をちゃんと正解にすることだけだと思った。



「さそったときさぁーー!!ありがとうっていってくれて、うそでもめちゃくちゃうれしかったぞーー!」



せめて、ちゃんと届くようにと、ずいぶん小さくなった背中に叫んだ。

足が少し止まった気がしたのは、多分、僕の気のせいだ。


その日以降、彼女との連絡は一切途絶え、知らない間に、蝉の声は聞こえなくなっていた。






夏休みが終わり、新学期が始まった。

僕の前で、退屈そうに窓の外を眺めていたあの姿はなかった。


担任は体調不良と言っていたが、なんとなく、彼女とはもう一生会えないのではと思った。

そして1週間後、彼女が転校したことが知らされた。





9月の夕方は、少し肌寒い。

2人でよく歩いた奥川を辿る道は、のびきっていた草が刈られて、さっぱりとしていた。



彼女が転校してから、学校では色んな噂が流れた。


「こんな時期に転校なんておかしくない?」

「大学生との子供できて、おろせなくなったから辞めたんだって」

「援交がバレたらしいよ」

「家族で夜逃げしたって聞いだぜ」

「違うよ。両親いなかったって、捨てられたんだって」


嘘だったとしても、そうじゃなかったとしても、そんなことはどうでもよかった。

彼女がどんな色で、どんな形でも、そんなこと、たいしたことじゃない。



ヒュンと風が吹き、カーディガンのポケットに手を入れた。

指先に硬い紙が触れ、それは、彼女がくれた飴の包み紙だった。

ほんのりと、甘い香りが残っていた。

僕はこの香りで、一緒に帰ったいつかの日を思い出した。



「私の下の名前、さくらっていうの」


「知ってるよ」


「えー、なんか今の言い方変態みたい」


「いや、同じクラスだし」


「山田、記憶力いいもんね」


「松岡が覚えてなさすぎるんだよ」


「あぁーー。テストやばかったなぁ。夏休み前、三者面談だし、最悪だぁーー」


「松岡って、最悪の状況って時も、なんか幸せそうだよね」


「へへ。山田は頭いいし、進学組でしょ?」


「まぁ、一応」


「東京?」


「うん」


「卒業したら別々の道に行って、新しい人に出会って、可愛い彼女とかできて、そしたら私のことも忘れちゃうんだろうなぁ。そんな人もいたなぁーって、なるんだろうなぁ」



そして彼女は、「それは少し寂しい」と笑って、いちごミルクの飴をくれた。


あの時僕は、なんて返したんだろう。



写真が色褪せていくように、大体のことは思い出せなくなって、痛い傷も、タンスの奥に行ってしまって、あの頃は若かったなーなんて、笑い話になったりする。

僕たちの日々も、いつかそうなると思うけれど。 



「それでも、忘れたりはできないよ」



今日の幕が降り始めた空に、そう呟いた。


座り込んだ僕は、夕日色に染まりながら泣いてしまって、胸は焦げるように熱くなった。







季節は、3度目の春が来て、僕は18歳になった。

荷物をダンボールに詰めていると、生ぬるい風にのって、窓から花びらが舞ってきた。

外では、太陽を浴びた桜が、白くきらきらと輝いていた。

もうすぐ、ここを離れ、遠い街へと引っ越す。








「ただいま」


「あ、康平、おかえり。

おつかれさま。東京から遠かったでしょ」



久しぶりの実家は、玄関が少しすっきりとして、昔はなかった花が飾られていた。



「法事は?」


「明日の昼ね。友達とどっか行ったりするの?」


「あー、明日の夜、高校の友達と会うかな」



僕が上京してから時間ができた母は、家庭菜園やハーブティーにハマっているらしい。

出てきたお茶は、独特な苦味があった。



「そーいや明後日、奥川の花火大会ね。昔はよう行ったけどね。康平が東京出てからは行ってないわぁ」



あの河川敷にも、もう長い間、行っていない。



「久しぶりに散歩でもしてこよっかな」


「ちょうどよかった、ついでに牛乳買ってきてくれる?」




奥川は夕方になると、川を跨ぐ大きな橋がシルエットになって、たちまち橙色と黒色の世界へと変わる。

それを眺めるのが、小さい頃から好きだった。


川を挟んで向こう側、道を歩く子供が手を振ってきたので、反射的に振り返した。

隣を歩くお母さんは、ぺこりと頭を下げた。



太陽が橙色になって、その色が空に滲んでいく。



この街が嫌いなわけではないけれど、僕は、大学卒業後も東京に残る予定だ。



いつか誰かを好きになって、結婚して、子供ができて、あんな風に夕焼けの中を手を繋いで歩いていく。

そんな素敵な未来は、まだ想像もできない。



今だって、思い出そうとしなくても鮮明に浮かんでくる。

彼女が、最後まで僕に隠していたこと。

消えてはできていたアザの理由。

あの日、追いかけていれば、物語は違う結末だったのかもしれない。

考えるほどに思いは尽きない。


そして、まだ少し後悔混じりの僕は、花火の頃になると思い出すんだ。


少し掠れた、あの日の声を。


夕日に染まった、あの日の僕を。

 

どこかで笑っていてほしいと、遠くから、願っている。



















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花火の頃 青いひつじ @zue23

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