Aポイントでいこう

@d-van69

Aポイントでいこう

 前に立つ人の肩越しに、背伸びをして眺めてみるが、行列は延々と続くばかりだ。これじゃあいつ俺の順番が回ってくるのかわかったものじゃないけれど、他にどうすることもできず、ただ並んで待つしかない。

「こりゃ、ちょっとやそっとじゃいかないね」

 話しかけられたのだと思い振り返る。見知らぬ初老の男が、辟易した表情で俺と同じく前方を眺めていた。なぜかその額にはうっすらと数字が浮き出して見える。刺青だろうか?19562と読める。

 俺と目が合った男が、「おや」と不思議そうな表情を見せた。

「兄さん、この列に並ぶにしちゃ若いね。幾つ?」

 45と答えると、

「なんだ。案外いってるんだ。30代かと思ったよ。若く見えるね」

 女性になら褒め言葉になるだろうが、男性にはどうだろう。少なくとも俺にはいやみに聞こえた。風格が足りないと言われているようで。

「兄さんはどうしてこの列に?病気か何か?」

「いや。違うよ」

「じゃあなに?」

 興味津々と言うふうで訊ねてくるが、言いたくはなかった。だが列はこの先も続く。その間ずっとこの男が後ろにいるのだ。その表情からするとしつこく訊かれるに違いない。今は言わなくとも、遅かれ早かれ言う羽目になるのは目に見えている。だったら今言ってしまおう。そのほうがすっきりする。

「自殺だよ」

「え?ほんとかい?兄さん、そりゃまずいよ」

「何がまずいんだよ。どんな死に方しようが、ここに来ればみんな一緒だろ」

 すると男はきょろきょろと辺りを見渡してから声を落とす。

「いや、実はね、この列に並ばされる前、死神のやつらが話しているのを小耳に挟んだんだよ」

 死神。死んだ人間たちをここまで連れてくる案内役のようなものだ。そいつらが何を言っていたというのか。

「ほら」と男は自分の額を指差した。

「ここに数字が出てないかい?」

 さっきから気にはなっていた。5桁の数字だ。俺が肯くと、

「これね、私が生まれてから今までに人から言われた〝ありがとう〟の数なんだって。生きているときには見えないけど、死んだらみんなこうなるんだって。あいつらは確かAポイントって呼んでたな」

「Aポイント?じゃあ俺のデコにも?」

「もちろん出てるよ。10038だね。ちなみに私のも教えてもらえるかな」

 その数字を伝えてやると、男はほっとしたような表情で、

「よかった。なんとか天国には行けそうだ」

「どういうことだよ、それ」

「あ、そうそう。これが重要なのよ。ほら。私たちが今並んでいるのは、審判を受けるためでしょ。天国行きか地獄行きかの」

 そうなのだ。だからどんなに長い列でも我慢して並ぶしかない。

「でね、その行き先を決めるのが、この数字なんだって」

「つまり、この数字が一定のラインを超えていれば天国に行ける、ってことか?」

「その通り」

「じゃあそのラインってのは?」

「未成年ならその年齢によって変るらしいけど、成人は一律10000らしい」

 よかった。ギリ越えてるじゃないか。これで俺も天国だ。と思っていたら、

「兄さん。今、天国に行けるって思ったでしょ」

「もちろんだ。10000越えてるんだからな」

「ところが、審判の席では、この数字が減ることもあるんだよ」

「なんで?」

「例えば、生前人様に迷惑をかけたとか、公序良俗に反する行いをしたとか、あるいは罪を犯したとかね。その行為によって減らされる額は違うようだけど、いちばんマイナスポイントの大きいのが、自殺なんだって」

「は?どうしてそうなる」

「知らないよ。たぶん神様は、自殺がいちばん罪深い行いだって考えなんじゃないの?」

 さっきこの男がまずいと言ったのはこういうことか。確かにそうだ。自殺はもちろんのこと、それ以外にも俺は気づかぬうちに色々とやらかしているかもしれないのだ。どれほど減額されるのかはわからないが、10000のラインを下回る確率はかなり高いように思う。

「それにしたって兄さん、なんで自殺なんかしたかね。もったいない話だよ。私なんか生きたくても生きられなかったってのに」

「生きられなかったって、あんたはなんで死んだんだよ」

「今流行りの病気さ。多分この列に並んでいる人の殆どがそうじゃないかな」

 突然降って沸いたような疫病。流行りだした当初はその対策が後手に回ったせいでかなりの死者が出たはずだ。確かにまさか自分が死ぬと思っていた人はいなかっただろう。

 そんな中、俺は自殺という道を選んだ。小説家を続けていく気力が失せたのだ。

 学生の頃、俺はいじめられていた。引きこもりがちになった俺の唯一の慰めは本だった。読むだけでは飽き足らず、いつしか自分でも物語を書くようになった。これはというものが書きあがるたび文芸誌に投稿した。そのうちの1編が編集者の目に留まり、無名の新人作家としてデビューすることになった。出版された本は1万部近く売れた。そのことがきっかけで俺は本格的に小説家の道を歩みだしたのだ。しかしそれはビギナーズラックに過ぎなかった。その後も定期的に新作を上梓するのだが、それらは殆ど売れず話題にもならなかった。40を越えたところで担当編集者から次が最後のチャンスだと告げられた。だから俺はそれまで以上に奮闘した。題材に選んだのは自分自身の生き様だった。いじめられ、引きこもっていた俺が小説家となり、何度も失敗を繰り返しつつも担当編集者と共にベストセラー作家を目指す物語だ。俺のような弱者を讃える気持ちも込められていた。

 だが、3年かけて完成させた自伝的小説はまたしても失敗に終わった。出版社の営業努力で店頭に並びはしたものの、それは返品の山となった。編集部に呼び出され、それを目の当たりにした俺は、人生そのものを否定されたような気持ちになった。だから突発的にビルの屋上から……。

「飛び降りたのか」

 話を聞いていた男がぼそりと呟いた。

「なんだか湿っぽい話になったな」

 自嘲気味に言うと、男はなんのなんのと笑顔を見せる。

「先は長いんだ。どんな話だってありがたいもんだよ」

 確かに。いつ終わるかもわからないこの列に並ぶ身としては、どんな話だって暇つぶしにはなるだろう。

「ところで兄さん、私が教えたこの話……」

 男は額の数字を指差しながら、

「これ、兄さんの役に立つ話だっただろ?」

 まあ、それを知ったからと言って今さら俺がどうこうできるものでもないが、心構えができるという意味では役に立っただろう。

「そうだな」

「だったらさ、ちょっとお礼を言ってみてくれないかな?ありがとうって」

 ポイントを増やしたいのか。今さら1つ増えたからと言ってなんの意味がある。と思いつつもありがとうと言ってやる。すると男の額の数字が18563になった。

「お」

「増えた?」

「ああ」

 待てよ。今でもこのポイントが増えるのなら、俺だって……。

「じゃあ俺にも言ってくれないか。ありがとうって。向こうに着くまで何回でもいいからさ」

 俺の提案を、男は「だめだめ」と鼻で笑いつつ、

「口先だけのありがとうじゃだめなんだよ。些細なことでもいいからちゃんとその人の役に立って、心から出たありがとうでないと」

 今さら俺が人の役に立てるはずもない。死ぬ前に知っていたら、なんとかできたのかもしれないが……。



 3日ほどかかってやっと列の先頭まで来た。3日というのはあくまでも体感だ。ここには昼夜の区別がない。ずっと眠りもせずに並び続けていたのだ。だが疲れは全くなかった。死んでいるのだからそんなことは感じないのだろう。

 個室に案内されると、役所にいそうな雰囲気の男が2人並んで待ち構えていた。事務机を挟んだ席に座らされる。まるで何かの面接のようだ。審判というから閻魔大王と対面できるのかと思っていたが、期待はずれだ。

 2人の前には開かれたファイルがあり、机の端には小さな電光掲示板が置かれていた。俺が座ると同時にそこに5桁の数字が燈る。10038。俺のありがとうの数だ。

「えー。カサイ、オサムさん、ですね?」

 1人の男の問いに、はいと肯く。

「あなたのAポイントは……」

 電光掲示板をちらりと見てから、

「10038、ですね」

「しかし……」と別の男が書類に目を落としたまま、

「あなた、自殺をされていますね」

 それからギロリと俺を睨む。

 思わずすみませんと謝ってしまった。

「謝罪の必要はありませんよ。それは本人の自由ですから。ただ、自殺となるとポイントは減額されて……」

 男はファイルの別のページをめくる。どうやらそこに一覧表があるらしく、指でなぞりながら、自殺、自殺……とその項目を探している。

「ああ、ありました」

 視線を上げた男は、

「ちなみに、あなたの自殺方法は?」

「飛び降りです。ビルの屋上から」

「なるほどなるほど。まあ、運良く巻き添えになった人もいないようですし、この場合のマイナスポイントは……」

 どうか38以下でありますように。と、ずっと祈っていたが無駄だった。

「5000ですね」

 5000?そんなに?異議を唱えたかったが何も言葉が浮かばない。まあ言ったところで無駄だろうが。電光掲示板の数字は既に5038になっている。

「他にもマイナスポイントはあるようですが、この時点で10000を大きく下回りましたので、地獄行きが決定です。お疲れ様でした」

 取り付く島もなく2人は扉を指差した。出て行けということだ。

 仕方なく腰を上げかけた瞬間、電光掲示板の数字がぴくりと動いた。5039になっている。

「ん?」と男の1人が覗き込んだ。その間にも数字はじわじわ増える。その速度はどんどん増していき、みるみる10000に迫っていく。

「おやおや」

 ファイルをめくっていた別の男が俺を見る。

「あなた、小説家でしたか」

「ええ、まあ」

 売れない、と付け足そうかと思ったがやめておいた。

「あなたの自殺を知ったある女子高生が、あなたの本に興味を持ち、購入して読んだそうです。その内容に感動したことをSNSで呟くと、フォロワーの多くが本屋に問い合わせ、出版社に残っていた在庫はあっと言う間になくなった。本はどんどん売れて、それを読んだ人がまたSNSで感想を述べる。感動した、勇気付けられた、生きる力がわいた、希望が出た、がんばります、などなど。その最後には必ず、あなたへの感謝の言葉が添えられていたようです。ありがとう、とね」

 数字は既に20000を越えていた。まだ増え続けている。

「おめでとうございます。もろもろのマイナスポイントを差し引いたとしても、10000を下回ることがなくなりましたので、あなたの行き先は、天国へと変更になりました」

 死後、評価される。アーティストにありがちな現象だ。できることなら生きているうちに日の目をみたかったが、それは高望みと言うものだろうか。とはいえ、地獄へ行かずにすんだのだから、それはそれでよしとしよう。

 俺は苦笑を浮かべながら、天国への扉へと向かった。

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