自由を撃つ

覇千蜜

第1話

「詰みだ。ジャック」


 月明かりに眩む深夜。

 コンテナが敷き詰められた港は、火薬と咽せ返るような血の匂いが入り混じっていた。


 そこで佇むのは黒いジャンパーを雑に着こなした金髪碧眼の男と、髪瞳スーツの全てを白色で染めた奇妙な男だ。


 影は一つだけ。

 白い男の腹には、拳銃が突きつけられていたからだ。


 銃の名はデザートイーグル。連続射撃を可能とする自動拳銃だ。

 44口径から放たれるマグナム弾の威力はハンドガンの中でも随一と言えるほどで、ついたあだ名は『ハンドキャノン』。発射時の強い反動を代償に、目の前の命は容易く刈り取られる。


「なるほど。君、いたのか!」


 猛禽類の爪よりも遥かに恐ろしい殺人兵器を前にして、突きつけられた白い男は危機感なく頷いた。

 むしろ薄寒い笑みすら浮かべ、飄々とした体重移動を繰り返す。


「それで詰みってのはどういう意味だ? もしかして俺が君に殺されてしまうってことか? あっはっは! 面白い冗談だ!」


 彼は快活な笑い声を上げ、尚且つ敵に向かって嘲るような皮肉を送っている。

 頭から爪先まで白一色で統一した道化のような男は、その精神まで道化のようだった。


「黙れ。その風体、結社のジャックだろ。さっさとアジトの場所を吐け」

「まあまあ、落ち着いてくれよ。俺は君と争うつもりはない」

「どの口が!」


 いけしゃあしゃあと争う必要性のなさを説く白い男――ジャックに、金髪の男が血溜まりを踏み抜く。


「ははは。血が飛ぶからやめよう! まあ、待て。無事に事を終えたら秘蔵のワインを開けてもいいぞ。ワインは嫌いか? それとも酒癖悪い?」

「黙れ!」

「おっと。酒癖が悪いのか」


 金髪の男が銃を力強く押し付ける。

 白い男――ジャックの着ていたベストには深い皺が寄った。


「質問にだけ答えろ。いいか、俺は撃つぞ。ガキだからって甘く見てたら足元掬われるぜ、今みたいに」

「へえ、なかなかの自信じゃないか」

「少なくとも、俺は床に転がっているコイツらとは違う」


 視線はジャックに向けたまま。

 金髪の男は味方であったはずの残骸を蹴った。だらりと力を失った腕は容易く飛ばされる。跳ねる水滴は、全て血だ。


 その行為を思案顔で眺めていたジャックは、唐突に指を鳴らして、


「そうだ思い出した! 君の名前はフェスティアン・ロジャーキート。なんでも腕を見込まれて、君んとこのボスが直々に勧誘したとかいう子だ。当時は10歳だったとか」


 ひゅぅ、と馬鹿げた口笛を吹いた。


「それで今は幹部。齢18歳にして、なかなかの大出世だ。すごいすごい。あと、巷では『消えた大と――」

「お前まで! 秘密結社の情報屋風情が知ったような口を……! 馬鹿にしてんのか!?」

「そう怒らないでくれよ、チェリーボーイ」

「――――」


 片目を瞑ったジャックは、続け様にちっちっちと小鳥を呼び出すような音色を乗せて、


「それと、その情報は少し古いな。最近の俺は何でも屋も兼業中だ。ぜひご贔屓にしてくれ」

「――――」

「…………と、そろそろこの銃退けてくれる? それともなに、君がクリーニング代を払ってくれるのか?」


 そう言って、銃身に指先を当てるジャック。

 「これ一張羅なんだけど」と、ため息を溢したが最後。港には沈黙が訪れる。


 呼吸さえ許されない緊迫した空気。

 喉元に突きつけられる鋭利な殺気は、一人の男から発せられている。

 だが、そんな常人ならば一瞬で泡ぶくような重圧に応える者はいない。

 それどころか、目の前の男は絶えず笑みを浮かべている。


 傍らの死体の流す血が。

 ぽつん、と血池に混ざり合ったとき――。




「死ね」


 フェスティアンの持つ凶器が火を吹く。

 躊躇はなかった。人間の反射速度は約0.2秒。目の前の敵を殺害すると決めた時、フェスティアンはその反応速度をより上回る速さで引き金を引いた。


 この近距離だ。絶対に外さない。

 肉をしゃぶり尽くすような獰猛さで、そのマグナム弾がジャックの腹を貫通させ――。


「なんて短気さだ! ザゼンとか興味ある?」


 凶弾はあらぬ場所へ向かう。その先には鉄のコンテナが。盛大な破損音を辺りに響き渡らせる。

 驚くべきことに、ジャックはフェスティアンの予備動作を察知し、銃身を体から逸らしたのである。


「この! 死に損ないが!」


 それが戦闘開始の合図だった。

 次弾を撃ち込むために、フェスティアンは銃身を握るジャックの腕関節に向けて蹴りを放つ。

 引き締まった筋肉の躍動は、歳幼くして強者と渡り合う力を秘めていた。ともすれば人の首など容易くへし折ってしまうだろう。


 それを一目で看破したジャックは銃身から手を離してしゃがむ。


 唐突なジャックの行動に目を見開くも、フェスティアンの取る行動は変わらない。


 鉛をぶち込むこと。この鉛は対人において最強と言っても差し支えがない。

 加えて、フェスティアンの拳銃を扱う腕は、並み居る狙撃手ガンナーを優に超える一級品。

 そうして、一番と一番を掛け合わせた際に導き出される答えは単純。勝利だ。彼を強者たらしめる。


 故に放つ。

 筋肉任せに足を下げ直して反動に耐え得る姿勢へ――。


「俺、結構早いんだよ」


 その前に、地面に手をつけた男が長い足をフェスティアンの胴体目掛けて打ち込んで、それを足場に次の銃弾を華麗に避ける。


 放たれた弾は床に撃ち込まれて穴を作った。小さいクレーターを見る限り、おおよそ人が受けていい弾ではないことが分かる。


「はあ!? なんなんだよお前!」

「あっはっは! すごいだろ!」


 本来であれば、床から足を浮かせた時点でジャックの死は確定していた。フェスティアンの計算では、少なくともそうなっていた。

 彼の早業は、一介の情報屋が持ち合わせていい戦闘技能ではない。


 ギリ、と歯を噛み締めたフェスティアンに向かって、追撃の徒手が放たれる。


「それに先約があるから、争ってらんないんだよな!」


 1メートル離れた場所から、追撃の拳が素早く繰り出される。

 それに対して、人差し指を素早く二回引くフェスティアン。薬莢が飛び、弾だけが一直線にジャックを狙う。


 ――が、それが来ると信じていたジャックは、体を屈めて射線を抜けた。

 一発、ジャックの白い頭髪を掠っただけで、傷は一つもつけられなかった。彼の正確な射撃技術が仇となったのだ。


「ちっ!」

「……2連射はちょっと引くわ」


 銃弾は三度知らぬ場所で跳ねる。鉄の反響が人間以外に当たったのだと知らせてくれた。


 この段階でフェスティアンは自分自身の驕りを認めた。この男を舐めていた、と。

 だが戦いが始まった以上、フェスティアンに後悔する余白はない。ただ目の前の敵に対処するだけであった。


 ――男の拳は正確だ。銃を持つフェスティアンの手首に狙いを定めて最短距離で向かってくる。

 2連射の反動は明確な隙を作った。これは避けられない。


 しかし、それは受けてはならない。

 武器を奪われてはならない。

 自動小銃によって胸を撃ち抜かれた死体達が、そう言っていた。


 故に、


「――――おらよ!」

「……ワオ。君は拳銃大好き人間なんだと思ってた」


 フェスティアンは愛用のデザートイーグルを後ろに投げた。この男に武器を持たせてはいけないと理解したからだ。


「徒手でも充分俺は強い」

「そうじゃなくて。ほら、傷つくだろ?」


 カシャン、と音がして、その間も二人は徒手の打ち合いを続ける。

 打ち込まれた拳を受け流して、無防備な片側を狙って打ち込むも相手の足が追撃に飛んでくるため防御に回る。


「ちょっと逃がしてくれない? 君のためだからさ」

「逃して俺に何の徳がある。手前、手ぶらじゃ半殺しにされる」


 右、左、右足、左。

 次々と技を繰り出していく二人であったが、決め手に欠けていた。

 力自慢のフェスティアンはジャックの速さについていくために力を落とす他なく、速さだけが取り柄のジャックは逆に攻めきれない。


 しかし、均衡は数十手という攻防の中で崩れ始める。

 生死を分ける瞬間瞬間の意思決定を繰り返すうちに、脳には疲労が溜まる。人間である限りそれは当たり前のことだ。


 フェスティアンの繰り出した右腕を、ジャックが掴む。年長者としての経験の意地がそうさせた。


 そこからシラットと呼ばれる格闘術の真似事で、相手の体を捻りあげようとして――フェスティアンの言葉にハッと顔を上げた。


「え、いやそれは俺じゃな――」


 隙が生じる。

 そこでフェスティアンは体の軸をずらして、筋肉任せの背負い投げに派生させようとした、その瞬間。


 ――二人は諸共爆風に巻き込まれた。


「うお!?」

「おぉっと!?」


 コンテナ内に仕込まれていたらしい。バラバラに砕けた鉄屑が辺りに散らばっている。


 爆発はフェスティアンの背後と右コンテナの2箇所。離れた位置で格闘を繰り広げていた二人は、運良く深手を負わずにいられた。


「あ、アメイジング……!」


 と、相変わらず口元に笑みを浮かべるジャックの立ち直りは早い。爆風など日常茶飯事だと笑い飛ばしてしまいそうなくらいだ。

 しかし、これは彼にとっても予想外の出来事だった。


「……あ、無線!」


 爆風から受け身をとったジャックが、懐から取り出した『無線機』に耳を当てる。


 それが数秒ほど雑音を拾った後、


「おい! 状況はどうなって」

『――こ・ぉ・らーー!! どこほっつき歩いてるの! 親玉を逃すつもり!? アンタの放浪癖まだ治ってなかったわけ!?』


 無線機から聞こえるのは女性の怒鳴り声。

 鼓膜が弾けるような大声量に耳を塞いでいたジャックが、我に返って否定に走る。


「違う違う! 例の子どもに絡まれてたんだ!」

『……計画にはなかったけど合流したのね。で、生きてるの? その息子とやらは』

「…………ぃっつ」

「呻いてるよ。絶賛お腹抱えてる感じ。まあ、放っておいてもよさそうだ」


 フェスティアンがコンテナを体の支えにして立ち上がるが、脇腹には破片が刺さっていた。

 黒いジャンパーの下に着た白いシャツが赤く染まっていく。


「こ……の」


 それでも彼は止まらない。

 普通の人間であれば痛みで叫んでいるところを、彼は噛み殺すように耐えていた。

 ただ残念なことに、最大パフォーマンスは期待できないだろうと分かる。


「ああ、今なら行ける。それで、どこだっけ?」


 動きが緩慢としたフェスティアンの隙間を縫って、ジャックが場から離れようとして、


『え、アンタのところに行ったらしいわよ』

「え?」

 

 間抜けなジャックの声が溢れて、遠くから――いや、近くからエンジンの駆動音が聞こえて。


 振り向いた時、コンテナの向こうから現れたのは灰色の高機動車だった。


「は、はあ!?」


 唸るエンジン音は大虎の如く、地を這うような振動で周囲を威嚇するようだ。

 大型ワゴン車と同程度の図体にも関わらず、家族団欒の空気はない。むしろその反対。


 高機動車の乗員数名が車を降りようとした瞬間に、ジャックはしばしの逡巡。

 ふらつき状態のフェスティアンをチラ見して、


「……おいフェスティ……フェス!」

「お前に呼ばれる筋合いは」

「君が戦闘狂なのは分かったから休戦だ! 来い!」

「っな!」


 傍らの子どもを連れての逃走。

 彼らの次の行動を予測したジャックによる咄嗟の判断は、高機動車に乗り込んだ人々の一手先を奪った。


 しかしそれを甘んじる彼らではなかった。

 崩れかけのコンテナに身を隠そうとする二人の形跡を追うように弾丸が弾かれる。

 一発だけではない。十発、数十発と、飛ぶ鳥を落とすように迷いなく放たれる一斉掃射。

 一度捉えられればただでは済まない殺戮の雨。


 ――なんとか滑り込むようにコンテナに身を投げての生還は、まさに危機一髪だった。

 何発かが服に着弾するも、奇跡的に体には穴一つ空いていない。『命があるだけ儲かりもの』と言うのなら、これは大儲かりの部類だ。


 だがそれすら許容できない男が1名。


「あーあー! 俺の一張羅が! ほら見ろフェス! 風通しが良くなった!」

「っるせぇ……服の一つくらい買えよ。情報屋なら儲かるだろ」

「君みたいな若い子には分からないだろうけどなぁこのスーツ高いんだぞ! こんな仕事を受けないと貯蓄は減る一方だし、世知辛い世の中!」


 いつの間にか取り出していたハンカチを食いしばるジャック。

 見た目は二十代前半だが、やることは幼稚。はっきり言って小学生レベルだろう。

 奇抜な服装も含め、彼が如何に酔狂かつ自由な人間であるかが分かる。


 それを理解した上で。

 フェスティアンは足元にあった『ソレ』を、躊躇いなく手に取った。


「それで、どうして俺まで連れてきた」

「――――」


 黒いグリップを強く握りしめるフェスティアン。

 引き金はいつでも引ける。

 同じ轍は踏まない。

 距離は約1メートル。

 次は逃さないし油断もしない。

 フェスティアンのあまりある戦闘センスは、たった数分のやり取りでジャックの癖は見抜くに至った。

 故にフェスティアンは、約80%の確率でジャックを撃ち抜ける。


「言えよ。アレはウチのだ」


 彫りの深い顔に皺を寄せて、白い道化を急かす。


 ――灰色の高機動車にはロゴが入っていた。赤色の王冠と羽が交差する血塗られた印だ。

 それはフェスティアンの所属する組織ダーガスのものであった。

 情報屋のジャックがそれを知らないはずがない。

 だと言うのに。


「だってアレ、フェスを処分するために遣わされた人達だろ?」

「…………」


 あっけらかんと手を振るジャックに、フェスティアンは唇を噛んだ。


「俺は君のついで。君は優秀な戦闘員だし、銃の狙い先くらい気付いていたんじゃないか」


 ジャックの指摘は正しい。

 図星を突かれたフェスティアンは肩の力が抜けていく。

 数日前のニュースを見ていた彼は、その理由に気がついていたからだ。


「…………やっぱり、俺が狙われるのは」

「フェスの実父がこの国の『大統領』だからだ。もっとも、君はその落とし胤みたいだけど。政治争いに巻き込まれるのは大変だなぁ」

「…………」

「なんて、そんなことはどうでもいい。依頼には関係があるけど、俺個人としては興味が薄い話だ」


 そう言ってフェスティアンから目線を逸らし、ジャックは数メートル先の死体を観察する。


「ああ、ちなみに君は俺を誤解している。アレは俺がやったんじゃない。依頼人が別の人間に依頼していたんだろう。おかげで、呼び出された君は無傷で済んでいたわけだ」

「……お前じゃないのかよ」

「こう見えて俺は博愛主義だからな」

「嘘つけ」


 博愛主義ならば、あそこまで戦闘技術を磨く必要もないだろう、と苛立ちを込めるフェスティアンの言葉を笑みで受け流すジャック。


「……ところで」


 銃撃音が止んでいた。

 これ以上の掃射は弾の無駄だと気がついたらしい。

 となれば二人の方へ向かう足音が聞こえてきてもいい頃だが、そんな様子もない。

 不思議に思って様子を確認しようとジャックが動こうとすれば、


「――ふん、相変わらず腕だけは確かなようだ。これしきの駒では足りんだか」

「……ボス」

「やったのはフェスじゃないけどな」


 聞こえるのは重厚な男の声。

 姿は見えないものの、男からは自信やプライドといった尊大な部分が見え透ける。


 フェスティアンの呟き通り、彼は正真正銘ダーガスの親玉。ジャックの記憶と相違なければ、頭髪の有無が特徴的な人物である。


「……白スーツ、ジャックか。ならばこの計画はバレていたと?」

「ぷぷ。フェスは何も知らなかったけどな!」

「…………おい」


 空気破壊のジャックに冷たい目を向けるフェスティアン。ジャックの煽りは真実に則っているだけあってタチが悪い。


「お前の依頼主は誰だ! 言えば、命は見逃してやる」

「秘密さ。これでも秘密結社だぞ? ……とは言え可哀想だ。上から下までいろんな人間と関わっているっとだけ言っておこう」

「…………」


 大ヒントだ。と挑発するようなジャックから興味を外した男は、大きなため息を吐いて、


「まあいい。今回のメインはお前じゃない――フェスティアン。お前は今ここで死ぬか、警察に自首するかのどちらかだ。選べ」

「……ボス」

「従わなければ、殺す」


 沈黙。

 後に、コンテナ越しに銃を構える音がした。


「……ダーガスの後援者は現大統領の対抗馬だからな。不安要素は摘んでおきたいんだろう」


 ジャックは懐から一丁の拳銃を取り出す。


「…………俺は、」

「フェス。お前はどうする」


 カラカラ、とチャンバーを回転させるジャックが訊ねる。


 持っているそれはコルト・パイソン。

 威力こそデザートイーグルには劣るが、加工の繊細さでは遥かに上だ。

 洗練されたフォルムは誰もを虜にする黒身であり、握るグリップは美麗な木目模様をしている。

 銃身4インチ、38口径357マグナム弾のベーシックリボルバー。


 この展開に巻き込まれた男、ジャックは変わらぬ笑みのまま武器を持っていた。


「俺は」


 フェスティアンは自身の銃を見下げる。


「……死なねぇに、決まってるだろ。警察にも、父さんにも世話になるつもりはない」

「おー! いいねえ! その反骨精神! 聞いたか今の?」

「…………オーケー」


 ジリっと足元を爪先でにじる音。怒りの滲んだ声。この先の展開は丸分かりだ。

 各々の主張がすれ違うとき。いつだって、彼らのような人間が使う手段はただ一つだけ。


「――皆殺しだ!」

「――さよならだ」


 火蓋は切って落とされた。


 先手を打ったのは――、


『バズーカーよーーぉい! 放て!』


 ジャックの無線から溢れる女性の声。

 直後、爆撃される高機動車。

 冗談でもなんでもなく、それは本気で放たれた。


 大きな破裂音が港に響き渡る。バズーカは車の装甲、人員どころかエンジンもろとも吹っ飛ばしたのである。


 遮蔽物に隠れていた二人は無事だったが、高機動車の近くにいた彼らの安否は絶望的だ。


「さすがだクイーン! この隙に突っ切るぞフェス!」 

「おい、さすがにマズイだろアレ!」

「問題ない。後で味方が揉み消してくれるさ。多分な」


 遮蔽物から先に飛び出たのはジャック。後からフェスティアンが続く。


「俺の仲間がヘリで待ってる。安心してくれ、護衛任務はこれで2回目だ!」

「信じられない方の数字じゃねえか」

「ちなみに1回目は家の鍵を持ったまま船で待機していただけさ」

「鍵っ子か! これが初めてってことじゃねえか!」


 二人は別々のコンテナの裏へ。


「れっきとした経験だ。それに肩の力は抜けたろ? さ、アイツらしぶといみたいだから左は任せたよ」


 そう言って、ジャックは射撃に備えて撃鉄を叩く。

 掴みどころのない男にため息を吐いたフェスティアンは、弾幕を凝視する。


「…………5人か」


 数を捉えた後、炎上する残骸の向こうからアサルトライフルによる迎撃が行われる。

 この港内から出させないために弾幕を張っているのだ。


 だが煙のせいで見えていないのだろう。

 コンテナを遮蔽物にしていれば当たらない。そこから冷静に敵の位置を把握、ついでに銃弾の装填を行うフェスティアン。


「そこだ」


 弾幕を抜ける。

 アサルトライフルはたしかに強力だ。手数によって相手の動きを封じ込め、容易く追い詰めることができる。


 だが、敵の姿が見えていない場合、それが油断となり傲慢となり、仇となる。敵に当たらない上、自分の位置を知らせているようなものなのだから。


 引き金を引く。

 デザートイーグルの反動は並ではない。

 誤った持ち方をする者や、肩が弱い者はもれなく脱臼する。男性であってもそれは例外ではない。

 また、撃てたとしても標的を狙うことは相当難しい。なにせ反動でブレる。


 ――手榴弾が爆発したような派手な音と、肉が抉れる音。

 空になった薬莢が視界を左に切っていく。


 フェスティアンは、そんなデザートイーグルを十全に扱うことができる優秀な狙撃手であった。


「いいね。実に派手で俺好みだ」


 そう言ってジャックはコンテナの上にのぼる。

 金属の音に反応した狙撃者二人がジャック目がけて掃射。

 湯水のように使われる弾丸を、ジャックは素早く、踊るように避ける。

 一弾一弾は小さく、威力はマグナム弾よりも遥かに弱い。

 それでも、防弾装備もなく真正面から受ければ致命的なダメージになる。


 それを避ける。避ける。避ける。

 彼の身のこなしは、素早さは、この場にいる誰よりも秀でていた。


「そろそろ退場願おうか」


 合間にジャックから放たれるのは二発の弾丸。

 深青の錆を纏った美しい黒身は、無機質で無慈悲だ。標的を逃すことはしない。ただ、そこにいる者を排除するだけ。

 迷いのない弾は、それぞれの狙撃者に真っ直ぐ向かっていく――。


「ふむ。そっちで俺の出番はなかったみたいだな」


 大きな銃声が二度聞こえて、ジャックはコンテナから軽快に飛び降りる。着地はスマートに。それが彼の流儀だった。


「フェス! 倉庫を出る!」

「…………」

「……フェス?」


 沈黙するフェスティアンの姿は、既に煙の向こうだ。

 出遅れた、と慌てて駆け出すジャック。


 ――灰色の煙を抜けた先に見たのは二つ分の人影。燃え盛る車体のそばで熱風をもろともしない者たち。

 否。片方は動けないの間違いだ。


 金色の人影は焦らすようにゆっくりと銃を向ける――腹部から血を流し、体の半分を焦げさせた男へと。


「……ボス。拾ってくれてありがとうございました」

「ありがたいと思うなら死ね! ワシのために死ね! 恩を忘れたと言うのか!」

「いいや」


 醜い男の激昂を、フェスティアンは冷静に受け流す。氷のように冷ややかな碧眼が、その矮小な命を捉える。残酷に、冷酷に。


「スラムにいた幼い俺を引き取ってくれたことには感謝してる。けど、」

「っ!」

「少なくとも、俺を殺そうとしたのなら、お前も殺される覚悟は持つべきだ」


 ――砂漠の鷲は、飢えている。

 鮮血に、復讐に、自由に。

 彼がその常人離れした肉体能力を得た理由があるとするならば、きっとそれが理由。


「ち、違う。わ、ワシはそんな――!」

「じゃあな、父さん」


 弁明は聞いていなかった。

 バン、と耳を裂くような破裂音がして、目下の生命は絶命する。

 一瞬。

 彼の人生はたった一撃で崩壊していった。それを看取る者は、彼への興味を捨てた虚の者。


 闇の中で、車体が火花を散らして燃える。

 自由を求める愚か者。それを戒めるように炎が高く舞い上がるが、彼は一瞥するだけで終わった。


 その一部始終を見ていたジャックがコンテナから体を離す。


「いやあ、最近の子って怖いな。俺だったらインスタントラーメン一個分は躊躇うかもだ」

「3分も待てる器には見えねえよ」

「マジかよひどいな!」

「ふん」

「……まあいいさ。ヘリは向こうだ。早くここから逃げよう。いやーはは、バズーカはやりすぎた」


 煤を払ったジャックが何事もなかったように笑う。それから思い出したようにコルト・パイソンを持ち上げて。


「ちなみに、君はまだやりたいか?」


 問いかけ。それを鋭い目線で眺めた男は愛銃を自身の額に当てた。


「お前、俺を守るために来たんだろ。なら戦う理由はない。今の所な」

「欲しい返事をどうもありがとう。背後からズドンじゃ世話ないからな」


 ジャックが手品師のような鮮やかさで銃を懐にしまえば、フェスティアンも倣って懐にしまった。


 二人はコンテナターミナルの開けた場所に着陸したというヘリの元へ急ぐ。




***




 残されたのは煙を立てるコンテナ達と、悪意から生まれた血溜まり達。


 深夜。善も悪も寝静まる暗黒の世界。

 明日という日を生きるための呼吸をする人々がいて、それを促す世界がある。

 人によっては暖かい夢を見る者もいるかもしれない。


 だが、明日を失った者たちにそんなものはない。

 彼らは、求めれば求めるほど遠ざかる『自由』を求めている。一瞬が授ける幸福のためだけにそれをしてしまえる。

 だから本当に欲しい明日も心地よい夢も、一生手に入らないのだ。


 それが彼らの踏み入れた闇の世界。


 夜は更けていく。

 遠くから、サイレンが鳴り響く。

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