41 花見で一杯

「梓。もう一杯酌してくれ」

「叔父さん。もういい加減にしてよ。もう何杯飲んだと思ってるの?」


 九星が作った宴会料理の上へ桜の花びらが舞い落ちる。

 満開の桜に囲まれた広場には同じく花見酒を楽しむ為に集まった地元の人々と、


「おや、九星。この程度の酒、真水とそうそう変わらぬよな?」


 お猪口を片手に九星と笑い合うコウを睨みつける。


「コウもそのぐらいで終わりにして」

「私の体はいくら飲んでも大丈夫だぞ」

「叔父さんの財布が大丈夫じゃないんだよ」


 そのまま日本酒が詰まった瓶を取り上げようとしたが、こちらの動きを察知したコウが素早く酒瓶を掴み取ってしまった。そういえば反射神経に関しては彼の方が圧倒的に早いのだ。

 コウと再会してから比較的平和な日々が続いていた為、すっかり忘れていた。


「ほら、梓も堅苦しいことばかり言わずに楽しめ。酒の肴も九星が作った割には美味しいぞ」

「一言余計だよ」


 コウが料理の入った重箱を指さす。

 正月におせち料理を入れる為に九星が買ってきた重箱には枝豆やら、チーズやら、重箱というより居酒屋の小皿に似合いそうなものばかり詰められていた。

 試しにチーズを一つ頬張ると、癖の強い濃厚な味が口の中に広がった。


「梓は飲まないのか?」

「今の日本では二十才以下は飲酒出来ないと決まっているの。私はまだ十九才だから飲めないよ」

「ほう。大君が定めた決まりであるならば仕方あるまい」


 もし仮に二十歳以上であってもこの二人とは飲むべきではいと本能が語りかけてきている気がする。

 コウがお猪口をブルーシートの上に置くと、一際強い風が吹いてきた。

 木々のざわめきと共に花びらが吹き荒れる。


「おいおい。嘘だろ」


 九星が被っていた帽子が風に飛ばされてしまったのだ。

 すぐさま帽子を拾う為に立ち上がる九星。さらに運が悪いことに追い風が吹き、彼の帽子は遙か彼方へと姿を消した。

 追いかける九星も同様だ。四十代だとは思えない脚力は術式による強化による物だろう。

 私も立ち上がろうとしたが、コウに左袖を掴まれる。


「梓が行く必要は無い。九星の足ならあの帽子を捕まえられるからな」

「それでも……」

「先ほど梓に尋ねたいことができた。二人きりの時にだ」

「つまり叔父さんが離席している今のうちに話したいこと?」

 

 帽子からコウの方へ視線を移す。

 視線を交わした彼の表情は穏やかで落ち着いていた。初めて見た際は息を飲んだ彼の美しい容姿も今では見慣れてしまい、何気ない景色として映る。


「以前から聞きたいことが一つあった。梓、君にとって生き神とは親から押し付けられた責務であっただろう。しかし君は今も生き神として祭祀を続けている。これは君にとって望んだことなのか?」

「そうだよ。どうしてそんなこと聞くの?」

「実を言うと私は一度自害した後、梓が神域へ帰ってくることは無いと思っていた。もし仮に君が再び神域へ訪れることがあっても居留守をするつもりだった。これを機に梓が渡水を離れることが出来ればと思っていたのだ」


 コウの隣へ座り直す。

 

「でもコウは結局居留守なんてしなかったよね?」

「愛しい人が目の前で泣いているのだ。放っておく事など出来ないだろう」

 「そう、コウらしいや。生き神に関する心配はもう要らないよ。だって今の私なら本当に望んでいないことは『嫌だ』って言えるから」


 そう今の私なら本音をハッキリと伝えられる。自分自身に嘘をつくことぐらいできる。

 今まで、コウと出会うまで、きっと私は他人に尽くすこと以外にが無いのだと思っていた。でもそれは違う。

 本当は言葉にならない願いを持っていたのだ。

 桃色に包まれた木々を子供達が駆け抜けて行く。渡水も今頃は桜が満開になっているのだろうか?


 今まで何人もの生き神が儚く命を全うし、何度も物語が悲劇で終わった。いつか橘樹梓という人間にもその時を迎える日が来るだろう。それまで、きっとコウと二人ならば何も怖くない。


「ほう。ならば梓が今生き神であり続けていることは本望なのだな」

「そうだよ。いつか渡水の土で眠る日が来ても、貴方が恵を与えてきた土はきっと暖かい」

「そうか。英雄はヤマトの土を血で濡らして回ったらしいからな。それはそれは暖かろう」

「ちょっと、ムードが台無しだよ」

「あぁ、すまんな」


 コウが高らかに笑う。


「そういうコウこそ、神域に居なくて大丈夫なの?」

「私が梓の隣にいるのは今に始まったことではなかろう?」

「そういう問題じゃなくて、今までは神域に荒神が居たから貴方が留守にしていても大丈夫だったけど、今は貴方一人しか居ないじゃない」

「巫女とは思えない愚問だな。我々神霊は人の子が望めばどこにでも居るぞ。そうでなくとも梓を一人ぼっちにするという選択肢は私には無いからな」


 彼がそう言ったその時。右腕がグイッと彼の方へ引き寄せられる。九星の前に居る為、いつもの如く女装をしてもらっているが、布越しに触れる彼の体は男性そのものだ。


「そうなんだ。ありがとう。なら今度はデートにでも誘ってよ」

「あぁ」


 二人で静かに笑い合うと、九星がこちらへ駆け寄ってくる足音が聞こえる。


「ごめん。お待たせ」

「おかえりなさい、叔父さん。無事帽子は見つかりましたか?」

「見つかったよ」


 九星の方を見れば彼の右手にはしっかり帽子が握られていた。


「さぁ、花見酒の続きだ」

「まだ飲むの?」

「当たり前だろ」


 呆れる私をコウが鼻で笑う。


「そういえば梓、もう一つ聞きたいことが出来た」

「何?」

「その『でーと』とは何だ?」



 

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血塗られた白羽は愛を知らない 白鳥座の司書 @sugarann

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