一日だけでいいから

香倉なほ

一日だけでいいから

 二人の少女が道端の草むらにしゃがみこんでいる。

 秋のはじめに吹く冷たい風が少女たちの間を抜けた。高校の帰りだろうか。まだ制服を着たままで鞄も側に置いてある。

 少女たちは何かを一生懸命探しているようだった。土がつくのも気にせず、地面に膝をついている。

 一人が立ち上がり伸びをする。背中がばきばきと鳴った。


「うーん。今日も見つからないかな……」


「でも、もうそろそろ見つけないとあの子……」


 二人の間に沈黙が流れる。立った少女はもう一度しゃがんだ。二人の探す手は止まらない。日が沈もうとしていた。


    *  *  *


「行ってきまーす」


 佳奈かなはそう家族に言って玄関の扉を閉める。この日の一限は英語の小テストがあるので、勉強しようと早めに家を出たのだ。

 彼女はいつも遅刻ギリギリを攻めるので、これは珍しいことだった。

 学校の前は桜並木があった。高校の入学式は風が強く、桜の花びらがたくさん舞っていたのを覚えてる。ただし、今は秋なのでひらひらと舞うのは紅く色づいた桜の葉である。

 そんな中を通って教室まで行くと、案の定誰もいない。彼女のクラスでは時間ぎりぎりまで来ない人が多い。佳奈は一番後ろの窓側の自分の席に座って教科書を広げた。



 どれくらいしただろうか。顔を上げるとちらほらと人が見えた。時計を見ると一時間目まで残り三十分。おそらく今いるのは家から学校までが遠い人たちだろう。この時間じゃないと電車がなくて間に合わないのだ。

 ふと窓の下を見ると見覚えのある二人が歩いていた。茶髪のショートヘアの子と濡羽色のロングヘアの子。昔からの幼馴染み。

 気分転換にもなるしと、佳奈が下の玄関に行くと二人は驚いたような顔を見せた。


「佳奈、もう来てたの?私たち佳奈の家の前で待ってたのに」


 茶髪のショートカットの方──星歌せいかにそう言われ、佳奈は首をひねる。


「……待ち合わせしてたっけ?」


「中学の頃からそうだったでしょ」


 佳奈は記憶を辿る。しかし、中学の時は確かにそうだった気がするが、高校でもそうだったかは分からなかった。記憶が抜け落ちているように、ぽっかりと空いていた。

 先程から、もう一人の友だち──明日香あすかは口を開かない。


「でも、佳奈がもう学校に来てたとは驚いたよ。どっちかというと遅刻しかけてるから、今日もそうかなって話してたの。ね、あす」


 ですよね、と佳奈は納得した。自分の想像通りだった。


「あ、うん。……二人とも、あのさ、一時間目あと十分で始まるよ」


 明日香が佳奈たちの手を引っ張って走った。しかし明日香は、一度も佳奈と目を合わせようとしなかった。



「私、あすに何かしたかな」


 休み時間。佳奈はずっと読みたかった本を星歌に借りるついでに聞いた。明日香が係で先生に呼ばれて席にいない今がチャンスだということもあった。

 星歌は腕を組んで答える。


「うーん。してないと思うけど、確かに朝から少しおかしいと思うよ。でも、怒っているというより……」


 星歌の言葉がそこで途切れる。明日香が自分の席に戻ってきたからだろう。授業ももうすぐ始まるということもあって、佳奈は本のお礼を告げて、自分の席に戻った。



 ──気まずい。

 佳奈はほうきで床を掃きながら、明日香を見つめる。しかし、明日香は何も気づかず黒板を消していた。

 掃除は名簿で区切られており、佳奈と明日香は同じ掃除場所だった。

 いつもなら、話してないで手を動かせと言われるくらいずっと話している二人なのだが、今日は一言も会話がない。

 佳奈は直接本人に話を聞くことを決意した。

 掃除が終わって他の人が帰った時、佳奈は明日香に尋ねた。


「あす。私、何かしちゃったかな」


 教室を出ようとしていた明日香の足が止まった。佳奈からは明日香の背中しか見えていないため、明日香がどんな表情かおをしているか分からなかった。


「……何もしてないよ」


「嘘だ。じゃあどうして今日一日、目を合わせてくれないの?他の人とは話すのに、私とは話してくれないの?私はあすのこと好きだけど……長い間一緒にいて、嫌なところも見てきて……私のこと嫌いになった?」


 明日香は「そんなことあるわけないじゃない」と、振り返る。


「私だって佳奈のこと大好きだよ。でも、混乱しちゃって。佳奈、本当に何も覚えてないの?星歌も覚えてないみたいだし」


 明日香は佳奈の方をまっすぐ見た。夕日に照らされて、教室がオレンジ色に染まる。

 本能が耳を塞ごうとする。──続きを、聞きたくない。


「私の勘違いだったらごめんね。……佳奈、病気治って退院出来たの?」


 明日香の瞳を見た佳奈の頭の中で何かがピキッと鳴り、ひびが入る。


「この間佳奈は……私が握った佳奈の手は冷たくなってたのにって」


 ──パキン、と乾いた音が頭の中で鳴った。



 咲倉佳奈は体が弱かった。

 小さい頃から入退院を繰り返して学校に行けない日も多かった。

 一年の三分の一は休んでいた小学生時代。ほぼ毎日学校に行けてた中学生時代。急に体調が悪くなってしまった高校生活。先日、心臓が痛くなって佳奈は入院した。そしてそのまま退院することはなかった。

 次に目が覚めたとき、佳奈は花畑に立っていた。

 すぐ隣にはとっても綺麗な水が流れる川があった。佳奈の家の近所にはこんな綺麗な川は無かったため、とても驚いた。透き通っていて、きらきらして、優しい風が吹いていた。

 花畑ではいろんな花が咲いていた。二輪草にりんそう黄菖蒲きしょうぶ藤袴ふじばかま。少し遠くにユーカリの木もあった。季節も生息地域もバラバラで佳奈は不思議に思った。

 そして、佳奈の手の中にはなぜか四つ葉のクローバーがあった。どうしてこんなものを持っているのか分からなかった。

 後ろを振り返ると目の前に立派な白い髭の見知らぬおじいさんがいた。


「君の手の中に四つ葉のクローバーがあるだろう?君は一度だけ願いを叶えることが出来るんだ。ただし死んでしまったことを取り消すことは出来ない。元の世界に行くなら最長でも一日だけだよ」


 死んでしまったことを取り消すことは出来ない。おじいさんのその言葉に改めて佳奈は実感した。私は死んだのだと。

 ここで佳奈は願った。「一日だけでいいから健康な体で高校に通いたい」って。


「では、夕方頃に帰って来れるようにしておこう。私のことを思い出したら周りの人も君がどうなったのかを思い出すからね。……最後に一つ、聞いていいかい?」


 佳奈は頷いた。


「君にはこの花畑がなんの花が咲いているように見える?」


 何故そんな事を聞かれるのか分からなかったが、佳奈は見たままに話した。季節もバラバラで共通点のなさそうな植物の事を。

 するとおじいさんは何故か嬉しそうに笑った。


「そうかい。それはよかった。……大事にするんだよ」


 おじいさんがそう言うと、佳奈の意識は途切れた。



「思い出した?」


 明日香の声に、佳奈は今学校にいたことを気づかされる。明日香はいつ取り出したのか分からない携帯をしまいながら言った。


「私、夢で言われたの。おじいさんに夕方になる頃に、佳奈に真実を伝えてくれって。そんなことあるわけないと思って、朝、学校に来たら、この間……冷たくなっていたはずの佳奈がいて。……でもあんな態度は取っちゃいけなかった。ごめん」


 佳奈は休み時間に星歌に言われた言葉を思い返した。きっと星歌は『でも怒っているっていうより混乱とか戸惑ってる感じ?』と言おうとしたのかもしれない。

 その時、ドアが軽い音を立てて開いた。


「あ。あすいた。ねえ、佳奈のことでさ……」


 教室に入ってきたのは星歌だった。佳奈と目が合い、立ち止まる。

 おじいさんの言っていたことは本当だったのだ。星歌は佳奈がもういない事を思い出した。

 明日香が佳奈の方を見る。


「急に連絡したけど、星歌も間に合ってよかった」


 佳奈は二人の視線を感じ、自分の手を見た。しかし佳奈の目に映ったのは透けた手のひらと、床に並ぶ木の板だった。

 最後は笑った顔が見たいなと、微かに喉から出た音を二人は聞き取ることが出来た。二人は顔を見合わせ佳奈に向かって破顔した。──目に大粒の涙をためて。

 佳奈は笑おうとして、失敗した。色々な感情が入り混じって、歪んだ笑顔になってしまった。

 佳奈は足の方から光の粒となって、空へと飛び立った。


    *  *  *


 ある晴れた日、住宅街に二人の少女が立っていた。


「私、昨日あの子の夢を見たの」


「え!私もだよ」


 黒髪の少女の言葉に、隣に立っていたショートカットの少女がはねる。

 二人は『あの子』について、話を続ける。


「あの子、体育で校庭走り回ってたんだよ。あと、朝早くに学校に来てた。……でも、私ひどい態度取ってた。何で、あの子のこと、無視するようなことしてたんだろう」


「私の夢も同じだよ。……確かに、あんたの様子がおかしいって相談された。あ、それでね、夢の中で貸した本が実際に失くなってたんだよ。そしたらさっきあの子のお母さんが部屋で見つけたのを返してくれて……」


 ショートカットの少女はこれこれと、実際に本を隣の少女に見せる。 二人は顔を見合わせる。


「もしかして、あの時渡した四つ葉のクローバーのせいだったりして」


「ああ、四つ葉のクローバーで願いが叶うっていうやつ。私たちの一緒に学校に行きたいっていうのが届いたのかな。それとも、あの子が願ったのかな」


「どっちでも私たちは幸せだったよ」


「うん」


 少女たちは歩き出した。



─Fine─

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

一日だけでいいから 香倉なほ @naho_k

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ