第19話 湖のある街

 普段、拠点として活動している中央都市シーブルは、中央都市というくらいなのでほぼ国の真ん中に位置していた。

 そこから東西南北に大きな街道が1本ずつ伸びる。

 農民や地元の人しか知らない道を入れれば、もっとたくさんあるだろう。


 街から街への移動は、魔物と遭遇することが大前提である。

 それも選ぶ道次第であり、襲われる心配の少ない道は通行人が多く安全だが、急いでいたり荷物があったりするとお互いに邪魔になる場合もよくあった。

 人気のない道でも、そこを好んで選ぶ者もいる。

 自分たちの力で魔物を倒せる冒険者たちだ。


 エイミーから伝えられた依頼を受けることに決めたロザリアは、引き受けると返事をしてすぐに南部の都市ダンデラへ出発した。

 ルカは荷車にいつものように荷物を詰め、ごろごろと引きながら後をついていく。

 今から向かう都市がかつての仲間の故郷であることは、彼女には教えていない。

 言う必要がないと思ったし、言ったところで同情なんてされたくない。

 そんな痩せ我慢から、ルカは笑顔を貼り付けていつもよりも陽気に振る舞っていた。


「楽しみですね!ダンデラと言えば、大きな湖があることで有名な街でしょ?美味しい魚料理とかあればいいな〜!」


「……大丈夫なの?」


「はい?」


 振り返ったロザリアの視線に、気遣いのようなものを感じて一瞬固まる。

 しかし、ルカはすぐに笑った顔に戻して言った。


「なにがですか?この道のことを心配しているなら問題ないですよ。何度も通ったことがあるし、魔物に襲われても低級ばかり。楽勝です」


「違うわ。無理をしていないかと聞いているのよ」


「どうして僕が無理をしていると?まあ、ちょっとテンションがおかしいかもしれませんが、浮かれていると思って多めに見てくれると助かります」


 えへへと苦笑いを向ければ、ロザリアは案じるような表情は変えずにまた前を向いた。


(我ながら、嘘を吐くのに慣れ過ぎだな)


 彼女に言ったことはすべてが嘘ではない。

 かといって、真実でもなかった。

 そういう混ざり合った気持ちでいる方が本音を悟られにくい。


 ルカの心の中に溜まっている澱のような感情は、ロザリアには何一つ関係ない。

 いくら契約魔法で繋がっている主人と契約者でも、ここまで踏み込んでくることは許可できないのだ。

 だから、教えない。

 不誠実だと言われようとも、それだけは譲れなかった。


■■■■■


 中央都市シーブルを出発して、丸2日。

 途中の道で魔物に襲われたりしながら難なく突破して、ルカとロザリアは無事に南部の都市ダンデラへと足を踏み入れた。


「これがこの国で一番大きな湖と言われるエイデス湖か!噂通り、でっかいな〜!」


 城壁をくぐれば、正面に見えるのが一見鏡のように穏やかな水面。

 だが、れっきとした湖であり、この湖を囲むようにダンデラの街は作られていた。


「山から流れてくる水は、すべてエイデス湖を経由して流れていくそうよ。ダンデラの街の発展には、湖が欠かせない。まさに、水と共に生きる街ね」


 隣に立ったロザリアが湖のさらに向こうを指差した。

 灰色の山脈には、どんな時でも解けない雪があるのだと聞いたことがある。

 山に降った雪が少しずつ解け出し、川になって湖に集まる。

 当たり前に存在する自然の摂理に則った循環は、どれだけ規模が大きくなろうと変わらない。


「綺麗だな……」


 日差しを反射してきらめく湖面に、波打ち際で遊んでいる地元の子どもたち。

 かつてのルカの仲間が生まれ育った街。

 一緒に見るという夢は叶わなかった。


「なにをぼーっとしているのよ。この街のギルドに挨拶して、宿に荷物を置いてと忙しいのだから」


「わかってます。でも、もうちょっとだけ」


 ロザリアに急かされても、ルカは動く気になれなかった。

 感傷的になる資格なんてないと思っていながら、実際に見てしまえば「ああすればよかった」という後悔ばかりが頭を過る。

 もう、そんなことを考えても過去は変えられないのに。


「……じゃあ、私も休憩。付き合ってあげるんだから、あとでなにか奢ってくれればいいわ」


 近くのベンチに腰を落ち着けたロザリアは、不満げなのは表情だけで雰囲気はとても柔らかい。

 驚いて目を丸くするルカに、彼女は不敵に笑った。


「魚の丸焼きが有名なのよね?夕食は豪華にしたいわ」


「ギルドから依頼の手付金をもらっていますから。ちょっとくらい値が張っても大丈夫です」


 ルカも同じように笑って言えば、彼女はくすぐったそうにしていた。


■■■■■


 おそらく、自分が普通でないことは気付かれている。

 その原因まではわかっていないみたいだが、それを追求しようとしないところがロザリアらしいと思っていた。


(命令で口を割らせることもできるのに)


 絶対的な力でもって、隠し事を喋らせることも主人であるロザリアにはできる。

 でも、その選択をしないから、ルカはなんだかこそばゆく感じていた。


(大事にされているのか、甘やかされているのか)


 年上の彼女の見せる優しさは、ルカにはとても眩しく映る。

 押し付けるでもなく、ただ手を差し出しただけというものだけど、それだけのことが嬉しいことだってあるだろう。

 湖面を滑って吹く風は、いつか笑って語り合った仲間と同じ匂いがした。


 たっぷり1時間は湖を眺めてから、ダンデラの街にあるギルドを訪れた。

 扉を開くと、バーカウンターにはグラスを片手に座っている見慣れた姿があった。


「エイミー?どうしてここへ?」


「やっと到着?待ちくたびれちゃったわ」


 カランッとグラスの中の氷を揺らして、艶っぽく微笑んでいる。

 近くにいる男性冒険者たちの目を釘付けにしながら、エイミーはしっかりした足取りで歩いてきた。


「今回の依頼はアタシも同行することになったの」


「聞いてないわよ!?」


「昨日通達があったから。知らないのも無理ないわ」


 上級冒険者が2人。

 しかも、人数の少ない女性冒険者がいるのだ。

 周囲で遠巻きに眺めていた男性冒険者たちの視線に嫌なものが混じるのを感じて、ルカはとっさに2人と邪な視線の間に割り込むように立った。


「立ち話もなんですから、座って話されたらどうですか?」


「そうね……でも、ここじゃ落ち着かないわ」


 エイミーがぐるりと目線を巡らせて言う。

 その瞳の奥には、周囲の有象無象に対する苛立ちが隠されているように見えた。


「じゃあ、私の取った宿の部屋にしましょうか。そこなら構わないでしょう?」


「もちろん!」


 瞳の奥の苛立ちを隠して、満面の笑みで答えたエイミーは残っていたお酒を飲み干すと、うきうきとロザリアの後をついていった。


■■■■■


 ロザリアとルカが宿泊する予定の宿は、ダンデラの街でも5本の指に入ると言われるほど高級な宿だった。

 一度の討伐任務で金貨1枚の報酬しかもらえない下級冒険者には、絶対に手が出せないような金額が1日で飛んでいく。

 それを5日分、まとめて支払うというのだから上級冒険者というのはそれだけで特別な存在である。


「夜でもないのに、エイミーがお酒を飲んでいるなんて。珍しいじゃない」


 甲冑を脱いで、旅装を解きながらロザリアが言う。

 宿の部屋に着くなり、ソファに座ってだらけていたエイミーは眉間にしわを寄せていた。

 ちなみに、ルカは別室を用意してもらっていて、今いる部屋よりも狭くて落ち着く部屋だった。


「だって、面倒だったんだもの。ロザリアを待っていただけなのに、口説いてくるやつが多すぎて。そんなに自分に自信があるなら、もっと他の女の子に目を向けなさいよ」


「つまり、あれは暇つぶしと苛立ち解消のためだったと」


「そういうこと!せっかくの美味しいお酒だったのに!」


 あいつらのせいだ!と喚いているエイミーに、ルカはそっとグラスを差し出した。


「これは?」


「なんというか……お詫びですね。ダンデラの街についてから、ちょっと寄り道をしてしまって。そのせいでギルドへ行くのが遅れたんです」


 グラスの中身は、昼間に見たエイデス湖の水面をそのまま持ってきたかのような深い青色に染まっている。

 さすがは最高級の宿ということで、部屋に備えてある酒も一級品ばかりだった。


 ギルドのバーで働いているのは下級冒険者がほとんどで、一通りの接客と酒の作り方を学ぶ。

 経歴だけは長いルカは、カクテル作りもお手の物だった。


「夕食まではまだ時間がありますから。ロザリアと一緒に休んでいてください。僕は少し野暮用を片付けてきます」


 エイミーに出したグラスの隣には、青と白のグラデーションが綺麗なカクテルを並べる。


「これはロザリアの分。飲んでもいいけど、一杯だけですからね」


「わかってるわよ」


 拗ねたように唇を尖らせる彼女にそう言って、ルカは1人で部屋を出て行った。

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