45. 身分剥奪

 先生の前にしゃがんで、お父様を見上げる。不思議なことに、お父様は思ったほど怒っているようには見えなかった。


「先生は私をかばっているんです! 私、先生が好きなの」


「陛下、ティナ様は暴行のショックで、冷静な判断力を失っています。これは恐怖と生存本能に基づく有名な症候群です。トラウマになる前に、適切な治療をお願いします」


「違うわ! 私は正気よ。お父様、先生は悪くないの。行為は合意の上だったわ」


「ティナ様に酒を飲ませました。彼女は酔っていて抵抗ができなかった」


「お父様、お願い。私を信じて。先生を酔わせて誘惑したのは私なの。罰するなら私を」


「陛下! ティナ様は未成年。責任能力のない年齢です。彼女をたぶらかして、洗脳しようとしたのは私です。これは犯罪なんです」


「王籍を離脱したいと言ったのは、他の人と結婚したくなかったから。でも、それは先生とは関係ない。先生は適切にお役目を全うしただけで、なんの咎もないんです」


「ティナ! 君は僕に脅されて、しかたなくそう言っているんだ。これは僕のマインド・コントロールなんだよ」


 私たちの噛み合わない主張を、お父様は黙って聞いていた。先生は嘘をついている。私の立場を守るための優しい嘘。でも、それは正さなくちゃいけない。真実を知っているのは私だけ。そして、今、先生を守れるのも私だけなんだ。


 お父様は私たちの方に近づいて、私を横に押し避けると、先生の襟首をグッと掴んで引き上げた。はだけたシャツの下から、鍛えて引き締まった胸が見える。


「ティナ、これはお前がつけたのか?」


 先生の首筋や胸に、私が吸った無数の跡がくっきりと残っていた。指南で練習したおかげか、鬱血の印は鮮やかだった。


「はい。行為の最中に私がつけました。無意識だったけど。先生がすごく愛しくて」


 私の答えを聞いて、お父様はため息をついた。少しだけ、その顔が赤くなった気がした。


「全く。いつの間にこんなことを覚えたんだ。娘の情事を見せつけられるなんて、一体なんの拷問だ。父親になんかなるんじゃなかった」


 お父様は吐き捨てるように言った。そして、今度は私の首筋や鎖骨辺りにサッと目を走らせて、更に大きく息を吐いた。


「とにかく、行為については合意だったと認めよう。指南のことは王妃から聞いているし、相手が指南役なら別におかしなこともない」


 よかった。お父様が分かってくれた。これで暴行罪で先生が罰せられることはない。


「だが、ティナはまだ学生だ。男に溺れて軽率な言動をしたことは見逃せない」


「私が考えなしでした。先生に迷惑がかかるなんて思っていなくて」


 先生は黙っている。きっと私のことを怒っているんだ。私がバカなことをしたせいで、先生をこんな目に合わせたんだもの。当然だ。


「こういうことにならないよう、適切に導くのも指南役の責務。ジルベルトには国外退去を命じる。祖国に戻って、我が国が援助する病院で働くように」


「お父様っ! 先生は本当に悪くないの。罰は私が受けます。どうかお願い。お咎めは取り消して」


 お父様は、怒ったような呆れたような声を出した。


「無理を言うな。これでも最大限の譲歩だ。ありがたく思いなさい」


「陛下、それでは甘すぎます。王族の洗脳は重罪。刑を緩めれば、他から不満が出ます。国内外にも示しがつきません」


「仕方ないだろう、事が事だ。お前を罰すれば、ティナの醜聞が流れる。まだ嫁入り前だぞ。悪い噂はティナのためにならない。これは刑罰ではなく配置転換だ。人事異動とする」


 私の評判に傷が付いたら一生後悔する。先生はそう言っていた。お父様の言葉を聞いて、先生は黙って頭を下げた。


 どうしてこんなことに。なぜ私のせいで先生が王宮を去らなくちゃいけないの? 先生は何も悪いことをしていない。私が勝手に先生を好きになっただけなのに。


「それなら、私も一緒に行くわ。先生のお手伝いをしたいの。病院で働かせてください」


「馬鹿者がっ!  小娘が王族の保護もなく市井に出て、なんの助けになると言うんだ。それに色気づくのはまだ早い。まずは勉学だろう。お前は更生のために王女の身分を剥奪し、アレクセイのところに送る」


 帝国に! 先生の祖国とは真逆の方向。もう先生と会えなくなってしまう。ショックで立てなくなった私を、黙って成り行きを見守っていたお母様が立たせてくれた。


「カル、もういいでしょう。ここは私に任せて、少し休んだら?」


「そうだな。みなも下がれ。この件は他言無用だ。情報漏洩があった場合は、全員を極刑に処す」


 お父様はそう強く言い切って、衛兵や側近たちを引き連れて退出していった。部屋に残されたのは、お母様と私。それから、先生とサラさんだけだった。


 先生は床に跪いたまま、黙って下を向いていた。側に駆け寄りたいのに、怖くて足が動かない。何を言っても、何をしても、先生にもっと嫌われてしまう気がした。

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